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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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Favolog ホーム » @sunamajiri » 2015年11月23日
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2015年11月23日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

タカ基地さんが、そのコスモスとしての世界、世界する人間という箇所GA26-218-239で、宇宙全体とか言い出したあたりから、怪しいと思っているんですよ。twitter.com/BeTakada/statu... 問題はむしろ以下です。@BeTakada

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posted at 00:01:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

ハイデガーの言う存在者とは、自然には世界=自己も含む、ということです。自己以外の対象という意味で存在者といわない規定の仕方です。ハイデガーの転回とは、存在者=自然に自己も含むと規定することです。@BeTakada

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posted at 00:02:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

ハイデガーが規定しようとしているのは、自我は自然に含まず、自己は自然に含む、という用語法の問題です。それはデカルトの方法を自我と受け取ってしまった循環論を退けるようなことです。@BeTakada

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posted at 00:03:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

これは、方法論(神を観念と要請するようなこと)は方法ではない、というスピノザのデカルト以後の問題です。それをライプニッツ講義で語る意義は極めて大きいのです。@BeTakada

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posted at 00:08:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

丸山論文の結論 twitter.com/sunamajiri/sta... も、学的企投の断念こそが方法だ、というハイデガーの転回の内実(内的必然性)です。方法とは現存在の生起のことだが、それはヤスパース的に学的企投できない。@BeTakada pic.twitter.com/mGkjTH8rlD

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posted at 00:11:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

ハイデガーとヤスパースの対決は、(カント的な)概念化は方法ではないとするヤスパースを、方法を概念化するというハイデガーが批判するようなことです。ここで初めてデカルトの方法が概念化されているのです。それはGA26の世界は世界観ではなく無だ、ということです。@BeTakada

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posted at 00:16:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

ここではじめてハイデガーはデカルトの方法に、きわめて回りくどく直面しているのです。ハイデガーはデカルト以前への遡行などではなく、デカルト的方法的懐疑の徹底についてしか語っていない。それがデカルトという先存在論的存在了解の克復なのです。@BeTakada

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posted at 00:29:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

訂正→ 日常的存在了解の脱領域化か → 日常的存在了解の脱領域化が @BeTakada

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posted at 00:45:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

このことで、デカルトの困難である《方法》という問題が、何であるかという未解決ではなく、そうであることとして表明的に解決したことになるのです。デカルト以後は非本来的な方法の喪失です。ハイデガーの転回はデカルトの方法化、つまり(認識規則の)根源規定です。@BeTakada

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posted at 00:46:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

ついでに、認識の方法とは、用語を思弁が歪めず、規約として自覚的に規定することです。デカルトの方法は、釈迦の無記のように形而上的な思弁は語りえないことだ、ということであるはずですが、そのための方法とは、認識の規則、根源規定を判明に規定することなのです。@BeTakada

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posted at 00:55:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

そのためにメタレベルの規定論の用語で語られなければならない。たとえば、人間について語るためには現存在、現存在を語るためには未然性としての存在者、世界について語るためには自然、というある意味集合論的な用語の規定が語られているのです。@BeTakada

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posted at 00:58:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

このAという用語にはBを含む、などの論理性が学的企投と呼ばれるものです。ハイデガーが問題にするのはより極端で、非本来的な論理学=学的企投に対する、本来的な学的企投で、方法を概念化する、という先存在論的存在了解の克復としての存在了解が、語られているのでしょう。@BeTakada

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posted at 01:00:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

GA26の基礎存在論からメタ存在論への転回を、学的企投の領域化(領域存在論)と解釈する従来学説に対する、学的企投(日常性)の脱領域化、あるいは本来化と捉えるのが、丸山文隆の仮説と言えるでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 01:06:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

より一般的な文脈では、カントにおいて、自然と世界に決定的に二重化した「われわれの外」、つまり神の視点(根源的直観)の設定による客観を、解消するということです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada pic.twitter.com/Pr38jQ8XDv

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posted at 01:16:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

これがデカルトの方法的懐疑を、先存在論的存在了解=日常化にしてしまう、非本来的形而上学から、日常を脱領域化することで、存在了解させる本来的形而上学ということであり、最後にハイデガーはその学(化)の断念、論の重視を語っているのです。存在学ではなく存在論なのです。@BeTakada

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posted at 01:20:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

ハイデガーを、デカルト以前への哲学史的遡行というのは、思想史的転倒です。そうではなく、デカルト的方法が孕む非方法、ハイデガーの言い方では、先存在論的な存在了解の日常性という、文字通りの欺く神を招いた、自我という無規定を追い払うこと、それが遂行歴史なのでしょう。@BeTakada

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posted at 01:30:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

まとめると、ハイデガーの脱自的時間に至るために、無化される問題 twitter.com/sunamajiri/sta... 世界と自然とは、カント以後、自然と世界に二重化した客観は非本来的で、本来的には世界という人間も自然に含む、と規定されるべきだということです。@BeTakada

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posted at 01:39:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

「存在者の全体」とは自我という自己像として、宇宙の全体像のように客観された自己のことです。これではモナドのように、アクセスできない全体を持つ実体になってしまう。それに対して「全体における存在者」とは、端的に「主観の主観性」のこと、と解釈するしかないでしょう。@BeTakada

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posted at 02:00:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

そうね、そこはそう仰ってますね。さっきうまく過去ツイートを辿れなかったのですが、その前に、混同しているような。と心配したところがあったのかもしれません。まあそれは流してください、重要なのはなんといっても~ @BeTakada

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posted at 02:56:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

その箇所で重要なのは、(本来的には)人間は自然に含まれるのに、カントが人間は自然に含まれない、いわば超自然だと客観を規定したようなことを、ハイデガーはずっと問題にしているのでしょう。ただしそれは他愛無い問題で、むしろ時間論としか語れない、というところでしょう。@BeTakada

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posted at 03:01:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

それゆえ、転回というのも、単に「存在者の全体」から「全体における存在者」というよりは、学的企投では、人間とは何かと客観視してしまい、人間とは如何にかという主観的方法を語ることが出来ない、といったような。カント書はあくまで時間論による人間の方法化の書ですので。@BeTakada

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posted at 03:06:04

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

勿論、物自体と現象のカント的二重化は、有限者(派生的直観)は第一原因でもないのに時空を無限に移動する客観(根源的直観)という、デカルトが神を前提した非本来的方法による、究極の誤謬推論だといったあたりでしょうね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:45:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

それは自然学と形而上学のアリストテレス的規定も同じ不徹底だ、と言うことの歴史性でしょうね。哲学史では単に遡行だが、思想史的にはより徹底した方法へのバージョンアップだ、という。さもないと人間という用語の規定が非本来的形而上学に遡行してしまう。@BeTakada

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posted at 03:46:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

なお、GA25-126の「根源的直観は人間という有限な存在者には全く帰属しない。人間は人間である以上、空間と時間の自由な創造者ではない。派生的直観である。予め既に与えられたものを出会わせるという仕方で直観する」twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:58:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

しかもそれは、弁証法が時間を無(否定)として直観すること(即自的企投)でもない(時間は意識対象ではない)。カントの統覚である予期・把持・現前には、時間が間接=脱自されて、能動化するような構想力が、純粋自己触発としてある(カント書)、という。@BeTakada

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posted at 04:04:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

GA26の時間は志向対象(内的時間)ではない~GA3カント書の時間は根源規定である、という議論は、古来からの自然と世界の用語の二重化による、物自体と現象のカント的二重化という議論が無化(解消)した時に、はじめて問題化する。それが時間が無を要するということだ。@BeTakada

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posted at 04:35:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

時間(を問題にすること)が、無(GA26-252)を要請している、というだけです。これが点とは弁証法による時間の点性化ではなく、問題の一点化だという、『存在と時間』(公刊部)の結末(問い)であり、時間は脱自的だ、という答え(GA26+GA3)なのでしょう。@BeTakada

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posted at 04:39:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

なお、時間が能動的 twitter.com/sunamajiri/sta... というのはハイデガーの表現ではないはず。そういわないために、より正確な論述をしているのがカント書です。@BeTakada

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posted at 04:43:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

恐らくより不正確に言い表すと、客観は神の視点で有限な視点を非本来的に超越してしまうが、月の裏側も含めて月と客観できるのは、本来的には時間が有限な視点を多様化する、などと言えそうだが、それは、視点の多様を統合する構想力が静的ではなく時間的だからなのです。@BeTakada

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posted at 04:45:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月23日

GA26~GA3を一言で要約すれば、twitter.com/sunamajiri/sta... で良い気がしている。GA26~GA3の、時間を脱自(被投)すること、というハイデガーの問題は、『ハイデガー読本』でも、GA25カント講義書をめぐる斎藤元紀氏が触れる程度だ。@BeTakada

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