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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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Favolog ホーム » @sunamajiri » 2016年01月20日
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2016年01月20日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

こうしたアリストテレス~ハイデガー的なデカルト批判は、日本人が陥る誤謬、学問は外から取ってつける技能だ、というような誤謬性に釘を刺すよね。そのように学問を語ることは、人生の無駄遣いもいいところだ、というように。@BeTakada

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posted at 20:46:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

これは、いわゆる能力主義、外力を内力と語ること、とも根源的に異なる。アリストテレス形而上学のように、医学が患者の内的治癒力を触発する有力であるように、学問は内発的であって、外力のように後から能力を付け足すものではない。それは学に限られたものでも、もちろんない。@BeTakada

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posted at 20:45:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

図式性は、受動と能動の相即、あるいは自発性に対するカント書の純粋自己触発のことで、アリストテレスでは力(能力)のことだが、しかしそれが外力と内力とに分断させられたので、それを橋梁する語りの力能だけが、図式性として存する、というのは非常に分かりやすいね。@BeTakada

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posted at 20:36:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

よって、外力を反省するのを語りとする、デカルト的な二元論や潜勢というものは、語りの無能であり、本来の語り方(方法的懐疑)は、アリストテレスが外力としてしまうようなところを、すべて語りの内力=力能として現勢する、というハイデガーの語りだけが、語りとしてあるのだ。@BeTakada

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posted at 20:31:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

カントが、ニュートン力学~ライプニッツ動力学に対する批判哲学、という図式性は菊池健三の『カントと動力学の問題』が鮮やかだが、しかしそれでもまだ生産的構想力、語りが学を脱外力化し現勢するまでは、カントでは潜勢する。ハイデガーの語りの現勢力は怖ろしいほどだ。@BeTakada

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posted at 20:21:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

医学が患者の治癒力という、内的な有力を引き出す、学的な有力であるように、外力ではなく有力と語る、語りの能力が学問においては要請されているにもかかわらず、デカルト以後、それが歪んでいる、という語りの根源図式性が問われているのだろう。無能な語り、反省は要らない。@BeTakada

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posted at 20:06:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

タカ基地さんはGA33を貪り読んでるようだが、まだ未入手だ。いわばポストカント書の図式、無能と有能がそこにあるのだろう。私は、このハイデガー読本の要約だけで、この有能という図式性を見立てたよ。@BeTakada pic.twitter.com/lTxwuHpWnj

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posted at 20:03:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

ちなみに、千葉恵「アリストテレスにおける力と運動」bit.ly/1ltDhuH の中の、メタとはギリシャ語では時系列の先後という語義だ、というのは参考になるはず。@BeTakada pic.twitter.com/raF2Vd3S9g

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posted at 20:01:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

しかし要は語り方の問題で、そこでは2つの仕方があるだけ。コギトを実在(現実存在)のように語れば無能(論理的可能性)が反省的に後付で語られるが、現存在として語れば、可能態は有能という、ありのままで語られる。後者のほうが芸術的語り方だ、という後期の問題なのだろう。@BeTakada

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posted at 19:55:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

デュナミス論は、後期の芸術論、語り方の問題の筈だが、GA33のデュナミス論は、カント書の根源図式の完成版のように見える。タカ基地さんが今お読みだが、この論文から推測した。千葉恵「アリストテレスにおける力と運動」bit.ly/1ltDhuH @BeTakada

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posted at 19:54:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

いわば、デュナミス(可能態)である自己を、コギトのように反省対象として、論理的可能性にすり替えれば、それは欠如態、あるいは端的な無能であり、そもそも可能態は、コギトより「論理的」に先行する自己の有能のことである、という根源図式が具体的に語られているようだ。@BeTakada

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posted at 19:52:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

ハイデガーがアリストテレスの最も困難な箇所という形而上学1047a24-26を有力とする話は面白いね。外力ではなく有力という図式を語る、それが(語りの)能力としての可能性だという。患者の治癒力が医者の医術力で、学問の力能はそう語られる、という話。@BeTakada

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posted at 19:51:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

ハイデガーが「これによって、古代における最大の哲学的認識が語り出されているのに、この認識が今日に至るまで哲学で等閑視されている」というGA33,デュナミスは論理的可能性ではなく有能と語る図式にあるという、カント書の完成の物語らしいですね。入手したいが予算が。@BeTakada

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posted at 19:50:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

しかし、要は語り方の問題で、そこでは2つの仕方があるだけ。コギトを実在のように語れば無能(論理的可能性)が反省的に後付で語られるが、現存在として語れば、可能態は有能という、ありのままで語られる。後者のほうが芸術的語り方だ、という後期の問題なのだろう。@BeTakada

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posted at 13:48:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

GA33面白そうね。アリストテレス形而上学1047a24-26のこの解釈「現実的に有能であるのは、そのものがそれへの能力を持っていると語られる、その能力(語り)の中に己を置くやいなや、それにとってはもはや実行不可能なものが全くないようなものである」@BeTakada

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posted at 13:16:29

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