大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年05月22日(日)
先日ヒュームのカテゴリー誤謬と超越論的構想力の話がでた twitter.com/sunamajiri/sta... が、解説で近藤功が同じ示唆をしている。デカルトに対してカテゴリー誤謬しているのは、ヒュームなのかカントなのかハイデガーなのか。 pic.twitter.com/9l23SROxY5
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posted at 09:21:49
転回とは端的に非歴史的な現存在の時間=基礎存在論から、科学を歴史的に見るような歴史への転回のことだ、というのは理想社版の訳者解説が分かりやすい。つまり、図式的に自我より時間が根源になるのは、歴史を度外視しているということなのだ。 pic.twitter.com/7iTPd9AgU1
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posted at 08:38:12
ハイデガー読本の要約が分かりやすい。「コギトが主観にないものの言明を矛盾律とするが、カントの革命は矛盾律に代わる原則」を見立てたという要約。それをハイデガーが「図式論の成就としての原則論」(カッシーラ)としたのが転回だろう。 pic.twitter.com/NZbLUeDkjU
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posted at 08:32:32
たとえば、木田元的には、基礎存在論はカントの被制作性暴露だが、それだけではニーチェの被制作性暴露に転回できないということと、基礎存在論は自我に対する時間の図式的根源性を問題にするが、それだけでは西欧形而上学の被制作性暴露に達しないということは、同じことなんだろうね。
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posted at 08:21:32
カント書の図式論(自我より時間が根源的だ)は存在と時間(基礎存在論)のままで、原則論に達しない、という『物への問い』。訳者解説では、自我より時間こそ図式の規定根源だ、というだけでは転回が起こらない、というのが要約されていた。bit.ly/1TlqvhI
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posted at 08:20:02