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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2016年06月01日
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2016年06月01日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

メルロのハイデガー解釈は、ユクスキュルの生物学というより、『知覚の現象学』の時間地平の箇所だが、木田元『存在と時間の構築』が再構成する第一部第三篇「時間と存在」に、その明確な地平が欠如していて、単に被制作性の有無、つまり形而上学を語っているからです。@BeTakada

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posted at 20:18:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

ところで、木田元は図式論が原則論に成就していない、という光景も参考になるのでしょう。木田はメルロのユクスキュルとの関連、つまり生物学でコギトを捉えていて、超越論的原則論としてのハイデガーを捉えきれていないからです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 20:11:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

そういう点でも、非常に見通しの良い構図なのです。コギトを意識と捉えず時間と捉えると、超越論的地平が得られ、観念論に陥らない。それを存在了解とか脱自とか、ハイデガーは名付けているが、それは対独我論的なのです。なぜなら原則論上、それをいう権利が有るからなのです。@BeTakada

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posted at 20:02:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

コギトは単に思惟ではない。超越論化する反省を伴う。だからこそそれを単純に意識という客体にはできない。それが実存論上の存在了解です。したがって、脱自=存在了解というのは、コギトを意識=対自と捉えず、コギトを超越論=時間と捉える了解の仕方、地平=方法自体のことです。@BeTakada

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posted at 19:46:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

地平は、志向や意識や対自とは対立的ですよね。いわば対自と脱自を比較するメタレベルが地平という光景なのでしょう。その点からも、マクタガートのA系列B系列という時間の実在論も、意識を時間との対立とみなす観念論で、時間という現象を捉える地平となっていないのでしょう。@BeTakada

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posted at 19:29:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

サルトルはデカルトのコギトを意識=対自と思っているが、ハイデガーはコギトを脱自=時間と捉えている。その用語の原則論的齟齬のため、サルトルはハイデガーが(存在)理解できず、構想力もイメージと捉えてしまうが、メルロはそれを本来の時間地平に戻す話をしているのでしょう。@BeTakada

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posted at 03:53:25

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