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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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Favolog ホーム » @sunamajiri » 2016年08月14日
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2016年08月14日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

いや、「時間の根拠」ではなく、時間が根拠なのですよ。ないしは物自体も時間的なのです。そういう方向の話です。@BeTakada いつも常に胸に残る時間の認識に対する違和感。釈然としないその理由は、時間が時間である事の根拠が欠けているからだ。なぜ時間なのか、時間は如何にあるのか。

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posted at 02:54:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

寧ろ、存在者である物が根拠ではないというのは、時間の側に存在者(物)の根拠を、布置するという程度の話です。物自体も非時間的(永遠を保存するもの)なのではなく、原則論上の時(持続・継起・同時)のカテゴリーを保存するだけで、つまり朽ち果てるのです。@BeTakada

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posted at 02:54:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

それが、超越論的時間規定、つまり超越論的図式論と、ハイデガーのカント書が定義する図式光景(観点)です。時は三種の綜合により過去・現在・未来に分解(GA25)されるが、それは本来の時ではなく、原則論上の持続・継起・同時が本来の時カテゴリーなのです。@BeTakada

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posted at 02:57:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

ハイデガーのGA25~GA3カント書は、純粋理性批判の感性論~演繹論~図式論~原則論で、時の本来のカテゴリーを確定するのに、超越論的時間規定(時が物の規定であること)の視点から見ているのです。ここまでを参照。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:01:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

その前提(真理前提)となっているのが、木田元が指摘するGA24第一部のカントの被制作性の露開でしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... それを真理前提に、GA25では感性論に対する演繹論上の時間の分解(過去・現在・未来)をし、GA3に向かうのです。@BeTakada

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posted at 03:07:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

カントが被制作性を真理前提として、感性論(無限時空の互換)に対する、三種の綜合を演繹するのは、過去・現在・未来のこと(三種の綜合)だが(GA25後半)、しかし被制作性を露開(批判)する(GA24)と、それは時というより地平だ(GA3)なのです。@BeTakada

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posted at 03:12:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

それが、齋藤元基のいう、カントの現前時間(内的時間)に対する、ハイデガーGA25以後の非現前の時間(地平時間)への、いわば時間論的転回の意味です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:13:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

感性の時間では空間(無限延長)であり、構想力を時間とすると、それは時間地平(有限性)で、その根源からは、カントの原則論(時の根源範疇である持続・継起・同時)に直結できる、と話しているわけです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:15:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

それが、GA3あたりまでのテクストの解題なのだけれど、それが果たして何なのか、というのは、眠いのでまた今度。もちろん、永遠などない(不死などない)、時は何(物理法則)も保存しない、というようなことに行き着くと思いますが。@BeTakada

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posted at 03:16:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

ざっというと、カントの被制作性(木田元)という真理前提(細川亮一)を除外すれば、時が物の規定だという図式性(想像力とは時だ)による、純粋理性批判の経験の類推~観念論論駁(つまり何を方法的には構成できるのかという話)は、そのままカントを踏襲できるという話でしょう。@BeTakada

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posted at 03:47:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

カントの純粋理性批判の経験の類推~観念論論駁は、何を構成できるのかという話です。しかし、被制作性というカントの真理前提を外さないと、ニーチェのようにミイラになってしまうが、真理前提を取っ払えば、ミイラ取りはミイラにならないという(笑)。@BeTakada

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posted at 04:06:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

しかし、今、タカ基地さんがお読みのGA25の第一部は、超越論的感性論は、対象の直感が対象を齎すという根源的直感(第一原因のことでしょう)と、自らの直感が産出しない対象を直感できる派生的直感を、カントが分節したという話をしていたと思います。@BeTakada

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posted at 04:06:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

GA25第二部の後半になると、自発性と受容性とか、自立性と自己触発、に対する超越論的統覚と自由、という二分法 bit.ly/2aNIo7z 、GA3では純粋自己触発とは何か、という話になるのです。@BeTakada

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posted at 04:06:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

そこから、純粋統覚と超越論的統覚の差異性(カント書)という、デカルトの方法的懐疑の徹底が遂行され、カントの感性論の二分法、根源的直感VS派生的直感が転義してしまう自発性VS受容性という非本来の二分法を全て一掃するんでしょう。神が要らなくなるわけです。@BeTakada

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posted at 04:07:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

二元論も三元論も、どんどん転回していくんです。二元論は神と人だったものが、超越論的統覚と自由へ。三元論とは感性・悟性・想像力だが、それに合致する時規定は過去・現在・未来ではなく、どの時制にも保存される持続・継起・同時という経験の類推による超越論的構成だ、という。@BeTakada

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posted at 04:24:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

非本来の時規定では因果律が無問題にできないのだが、想像力を時とする超越論的規定からは、持続・継起・同時という本来の時カテゴリーだけが思考の対象になる。それらが被制作性という真理前提を除外したことで見えた地平だ、と言いたいのでしょう。@BeTakada

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posted at 04:26:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

昨今のハイデガー読解は画期的だが、ハイデガーのカント論で、なぜかGA31の因果論批判が度外視される傾向があると以前から危惧してるのだが、このような地平からは、因果律から自由に、つまり過去に囚われた内的時間から自由な、想像力=時が発露=時熟する、というわけです。@BeTakada

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posted at 04:37:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

ちょうど、私達がGA31の地平の論者なのに対して、たとえばハイデガーフォーラムの人たちが、意外と非GA31的な論者のようで、従来はハイデガーのカント論を等閑視して、ハイデガーのニーチェ論の読解ばかりになっていたことの二の舞いになりやしないか、と見えなくもない。@BeTakada

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posted at 04:42:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

確かに、GA24~GA25~GA3~『物への問い』~『カントの有のテーゼ』ばかりが論じられるのだが、存在はレアールな(規定的な)述語ではないが、想像力を時とする規定(時熟性)は、十分、GA31のような、因果論~内的時間からの自由を時熟させる、ということでしょう。@BeTakada

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posted at 04:52:49

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

物(存在者)が規定根源ではなく、時間が存在者の規定根源=存在だ、と現象学的に方向づける(志向させる)、存在論ですからね。こうした存在論のメタ(メタとはアプリオリのことだが)を、どう記述するかという。@BeTakada 時間も存在論としてメタ転回している。

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posted at 21:03:05

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

昨晩のリンクが切れてしまってるが、冒頭 twitter.com/sunamajiri/sta... でいったように時間論だからね。@BeTakada 延長や慣性、量子論や或いは数学的対象などの問題系を要請せず、自明と言わざるを得ない位置に引き上げてますから、賢いとしか言いようがないですね。

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posted at 21:57:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

リンクが切れると、話の方向性が分からず、変なことをいう人がわくので、必ずはツイートはリンク辿れるように配慮してください。方向性のない話は非現象学的です。話の流れを再現しずらいので、Evernoteで話の全容を。bit.ly/2aRDRh4 @BeTakada

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posted at 22:13:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

まとめサイトのTogetterしたいところなのだが、半年以上たまってしまっているのと、Togetter側で読者が不用意に読んで、方向性が分からずへ、非現象学的なことをいう人を警戒して、まとめようがないのです。方向性のある話だけをしているのだから。@BeTakada

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posted at 22:17:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

これもDMではなく、ツイッターで対話してください。bit.ly/2b8j2P5 DMは連絡事項等だけにしていただかないと、ログれないのであとで検索できないのです。@BeTakada

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posted at 22:18:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

ちなみに、それへの解題をすれば、時間は物の根源規定だから、そもそも、有無という範疇を含まないと言えると思います。時間とは有無を言えないこと=根源規定です。@BeTakada bit.ly/2b8j2P5

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posted at 22:20:25

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

ハイデガーのいう存在論的差異だけが論理学的だという宣言は、物(存在者)を根源と規定すると、時を規定できないということ、逆説すれば時を規定根源とすれば、存在者(物)は存在しているということでしょう。@BeTakada

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posted at 23:38:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

なぜかハイデガー以外の時間論は多かれ少なかれ、時間の有無(時間の存在)を発問してしまうのだが、ハイデガーの言う本来的時間論というのは、時とは有無(存在や無)を問えない、唯一のこと、となるわけでしょう。@BeTakada

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posted at 23:38:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

つまり、時とは有無を問えない根源規定なのです。それに対して、モノが存在するのは時が根源規定であるときだけ、と言えるのかもしれません。そのあたりをハイデガーが如何に(つまり方法的懐疑的に)厳密に論述しているのかが、おもしろいところなのでしょうね。@BeTakada

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posted at 23:38:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月14日

当然、こうした存在論から気づくべきは、従来、形而上と形而下では誤解されていたが、ここでは時と物、存在と存在者が対照されている。時=存在と物=存在者の対偶性を正確に捉えると、物理学のメタ=アプリオリ(根源)としての形而上を存在論できる、と言いたげですね。@BeTakada

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posted at 23:39:26

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