大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年10月14日(金)
さっきの話で言うと、メタレベルって、息子(イエス・キリスト)の視点と誤解して、父殺しに奔走する言葉の運動ではなく、おそらくオイディプスの視点のことだからね。要するに単純に神の視点でかきゃよいって話なんですよ。サスペンスものはそう書くのだし。@LitoSnowfield
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posted at 17:46:56
デリダが、オブジェクトVSパフォーマンスではなく、オブジェクトVSメタレベルだ、というのだけれど、どうもパフォーマンスのレベルに落っこちちゃってる気がするのよね。あれはハイデガーの脱固有名性という概念の劣化コピー(再固有名化)だからなぁ。@LitoSnowfield
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posted at 17:43:48
東の議論というのは(郵便論的存在論的)、オブジェクトレベルとパフォーマンスレベルがあるのではなく、オブジェクトレベルとメタレベルがあるのだ、というハイデガー論なんだけれどね。それをパフォーマンスレベルで受け取ってしまうと、誤配信になるよ、みたいな。@LitoSnowfield
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posted at 17:42:35
そこで問題なのが東の議論よね。ハイデガーが仕出かしたのは、デリダが躓いたオブジェクトレベルとパフォーメイティヴ(かっこつけ)なレベルではなく、じつはオブジェクトレベル(息子の視点)とメタレベル(神の視点)のことだった、という。@LitoSnowfield
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posted at 17:41:02
だから、根源的プロテストなのよねハイデガーって。創世記を選民的に独り占めにするな。それは文化ですらない、謀略だと言いたいんだろうから。ハイデガーが造物主(などという虚無)は存在しない、みたいに言うことになるのも、そういう意味なんだろう。@LitoSnowfield
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posted at 17:00:40
新約=キリスト教では、どうしても創世記(の固有性)を名指してしまう。それで詩が自由に書けなくなった、とハイデガーは言いたいんだろうなぁ。フランス人だとどうしても新約的にユダヤ人を固有名で名指してしまう、というのは、まさにそのあたりのことだしなぁ。@LitoSnowfield
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posted at 16:53:30
おもしろいのは、新約では旧約=創世記の固有名性を名指してしまうから、ハイデガーがそれを名指さない新・新約を語ってる、というあたりだろうなぁ。だから彼は天地創造というか造物主を語らないのよね。造物主を語らないで済む単独者になったというか。@LitoSnowfield
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posted at 16:50:56
カント以後、西欧哲学は、音楽と文学の違いしか語っていないといっても過言ではないのだが、ハイデガーが達成した音楽こそ文学だ、という詩論=時間論が、ギリシャのパトスの復活だとする、ボブ・デュランのノーベル文学賞受賞によって、現前化されているのが極めて興味深い。
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posted at 02:22:47
私たちはつい、自分を静的に対象化(物化)してしまう。ハイデガー以後の詩学というのは、こうした自分を物に喩える近代の病を、徹底的にギリシャ哲学への誤解として抽出して、ある瞬間に我を忘れて文学的感動に没入するような、本来の動的な対象化、をパトスとして取り出す、というものだ。
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posted at 02:15:45