大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年10月18日(火)
手前味噌だが、このデュラン論、フォロワーのタカ基地氏との対話を一気に連想した。彼は基礎存在論とメタ存在論を混同するのか、存在者を存在と語る素朴実在論を語ろうとしてしまうのだが(語れないことを語っている)、おそらくそのこととも直接関連しているのだろう。
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posted at 07:39:30
「~しかし、それについては殆ど語らなかった」1928年以後とは、まさにハイデガーのカント書以後なのだろうな。「それについて」とは、ハイデガーの誤謬は詩的言語だけが存在を語るとしたことで、数学言語も存在を語るということなら、殆ど語らなかった割には饒舌な気もする。 pic.twitter.com/9xCyfHDqmF
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posted at 07:32:51
bit.ly/2efOEUK 「1928年頃からヘルマン・ワイルは数学的直観主義はフッサールの現象学的哲学に対する自身の情熱とは相容れないと考えるようになった。晩年、数学を「記号的構造物」と考える立場を取るようになり、ヒルベルトやカッシーラーの思想に近づいた」
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posted at 07:26:41
Kim氏のボブ・デュラン論とハイデガー批判、点と線が結ばれないところもあるが、デリダ批判、思弁哲学批判、小説批判、散文批判、音韻論として面白かった。やはりヘルマン・ワイルのカント書批判の件が肝なのだろう。bit.ly/2efOEUK
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posted at 07:25:16