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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2016年11月22日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

スピノザの汎神論批判としてのカント以後の絶対時間を解体させたハイデガーと、半田氏的なシュタイナー論 bit.ly/2fkDxNe を比較すると、ハイデガーの言う被投、脱自、非現前時間が逆に浮き彫りになるところがあるのかもしれない。@BeTakada

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posted at 05:04:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

ただ、こうした時空というドイツ哲学の発問はあくまで、デカルトの神を観念ではなく、無限に解体したスピノザの汎神論に対する、批判性としてのみ存在できるものなので、素朴に受け止めれば物自体という観念論を免れない。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 04:41:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

少し先走れば、じつは(三次元)空間は無限なキアスムが生起するある種の錯覚のようなものだが、空間からは時間が生まれないように、まったく逆に、時間が根源となっていて、有限な時間が無限なキアスム、つまり錯覚としての空間まで生起してしまう、ということは可能かもしれない。@BeTakada

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posted at 04:34:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

空間はキアスム=交差する複数の視点がそれぞれ神を信仰する無限遠点である時に生起するに過ぎないが、こうした無限のキアスム=複数の無限遠点から、カント書的な有限のキアスムに移行できた時、問題になるのが唯一性としての無限遠点であるのは、これまた免れないことだと思うが。@BeTakada

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posted at 04:29:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

絶対時間に対する相対時間を、非被投的、つまり対自的企投的な時間としてしまうと、相対時間の脱自性、非現前性が浮き彫りにならない、というのがハイデガーならば、半田氏のシュタイナー論は、あたかも時間の空間化ではなく、空間の時間化のようにも見えてくる。@BeTakada

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posted at 04:18:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

半田氏が面白いのは、おそらくシュタイナーがハイデガーとは真逆で、比較の絵図が浮かび上がるからだ。ハイデガーは時間を企投しない、被投的時間が脱自的時間から非現前的時間に向かう動性を記述するが、半田氏が真逆に絶対時間~企投的時間に向かっているのが興味深い。@BeTakada

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posted at 04:12:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

ハイデガーはカント書で、こうしたカントの時間論を完全に解体し、半田氏はシュタイナーで同じことをやろうとしている。ただし、半田氏がいうように、一般には図式的とは非身体的のことであるにしても、カント書においては、図式光景が身体性そのものになっている点が逆なのだが。@BeTakada

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posted at 04:02:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

カントの最大の問題は、絶対空間を相対化するのに絶対時間に回帰してしまったことで、それが半田氏では、キアスム(交差)の各自が無限遠点=神の信仰を有していること、ということになるのだろう。続く @BeTakada

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posted at 04:00:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

これはハイデガーのとくにカント書を中心にした図式論で読むと、非常にすっきりした用語法(範疇論・概念論)にみえてくる。ハイデガーはカント書で、カントが空間化させた時間を、いわば純粋時間として図式化することに成功しているのだが、半田氏が同じ作業をしようとしている。@BeTakada

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posted at 03:57:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

つまり、三次元的な空間を生み出す、視点のキアスム(交差)にあって、それぞれの視点が、無限遠点=神の視点であると仮定せず、もっと平たく言えば神という信仰を捨て去ってしまうと、このキアスムは何を言い当てるのか=図式光景にするのか、といったようなことだろう。@BeTakada

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posted at 03:54:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

端的に言い換えると、三次元を認識させる、交互の複数の視点が、神の視点=無限遠点に立っているとするから、半田氏が物理的というシュタイナー的な高次思考が、非身体的~非物理的、つまり図式的に見えてしまうが、もし交互の視点から無限=神の視座を奪えばどうなるか。@BeTakada

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posted at 03:49:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

とくに、半田氏の「シュタイナー的な高次思考が、従来は非身体的=図式的に見えたのは、三次元を認識させる交互の観察者が、それぞれ無限遠点=神の視点に立っているからだ」という言い方(図式光景)が、非常にわかりやすい。bit.ly/2fkDxNe @BeTakada

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posted at 03:45:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年11月22日

というのは、いまタカ基地 @BeTakada さんがRTしてくれた半田さん、連投で見ると、半田さんの図式光景が非常にわかりやすく書かれているね。このあたりから図式光景、つまり概念図を整理すると良いかも。bit.ly/2fkDxNe

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posted at 03:30:15

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