大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年02月26日(木)
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2015年02月27日(金)
さすが目の付け所が奮ってるわね。そこがハイデガー的なのだ。プラトンでは普遍的、かといってアリストテレスでは超越範疇的なのだ。つまりそれでは創作にならないのだ。@LitoSnowfield 昔の創作って普遍性というのが結構ポイントだったけれど昨今はどうなのか
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posted at 02:26:18
ハイデガーって創作論だからね。そのあたりは高田珠樹ハイデガーの第三章、ナトルプ報告のあたりが分かりやすいはず。第二章まではハイデガーが置かれた、カトリシズムとプラトニズムの文脈だから後で読んでも良い。@LitoSnowfield pic.twitter.com/ApxgYgFyPb
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posted at 02:29:07
単純に、普遍を目指す古典的創作が受動的に認識する企投、出来合いの神話なのに対し、被投によって事象に迫るのは、丸山文隆 twitter.com/sunamajiri/sta... の言い方では神話の創作の境地なのだ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/1yHdrxzYez
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posted at 02:45:55
貴方本当に鋭いわね。だから好きよ。つまり創作としてみないと、このハイデガーの話はわからない。丸山の結論はカントのような学が創造しないことなのだが、出来合いの神話を受け取る受動性なのか、新たな神話を創造する能動性なのか、という存在論しか学は不可能なのだ。@LitoSnowfield
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posted at 02:51:31