大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年02月24日(火)
リトさんが代表してるけど、告発されるのは(私が)独断的かどうか、という大問題。しかし私が面白いというのは、自分が「ゾルゲ」なので、他人を気にする=独断するような問題系は、現代では非本来的とされることで、独断ってもう不可能なのではないの?ということ。@LitoSnowfield
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posted at 08:13:17
でしょ? いやそこ重大なんですよ。それが高田訳の高田珠樹が訳出したナトルプ報告です。従来はそれに類する誤読でハイデガーが誤解されていたことになるからなんです。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 08:35:55
そういえばご紹介しなかったが、高田珠樹『ハイデガー』 amzn.to/1AoxU4w は一般教養書の語り方なのでだれでもナトルプ報告の意味がわかるはずですが、その「気遣い」の章読めば、別に『存在と時間』読まないでもいいんじゃない? @LitoSnowfield
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posted at 08:37:33
はやっww それよみやすいよ。おすすめするのわすれてた。高田珠樹訳の翻訳シンポでも、それにもとづいた話だった。シンポでは村上春樹とナトルプ報告を比較文学していたが。私はそれを探ってるだけだよ。togetter.com/li/749961 @LitoSnowfield
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posted at 08:45:02
あの世代から村上春樹世代ぐらいまでは、意識的に旧来のハイデガー誤読を相対化するために小説書いてるからなー。問題は後続世代がその批判性を意識化できず混乱が助長されて、飽和したことぐらいしかないからねー。@LitoSnowfield 筒井さん世代?であるためか
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posted at 08:53:18
ちなみに、従来はダザインの和訳名だけを現存在と捉え受容することで生じた誤読があったのに対して、最近ではゾルゲの意味内容も現存在と捉える、という転換が起こったというのがさっきの話。@LitoSnowfield
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posted at 10:51:24
私もうまく言い当てられないのだが、翻訳による摂取でハイデガーだけが、カントのような古名に比して誤読されやすいのは、文意ではゾルゲなのに、語彙ではダザインで、それ(現存在)をゾルゲという文意で読めない誤訳が横行した、といったパースペクティヴらしい。@LitoSnowfield
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posted at 11:02:59
斎藤慶典フッサールよくまとめてますね。twitter.com/sunamajiri/sta... 最終章の時間に関しては、まだ読み込んでませんが。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/qgbdDCscs7
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posted at 18:10:48
フッサールが統覚もコギトを知らなかっただけですから、コギトを純粋化した統覚を意識に戻したことに対して、自我と言って失敗しますね。@jeanbeauty2 ナトルプの超越論的統覚が、純粋意識であり、経験を介さないもので、論理的なものも、最終的にはここに、回収されるといいます。
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posted at 18:15:02
斎藤慶典には純粋=超越論という明確な定式がありますが、コギトを統覚に純粋化しただけでは、時間が純粋化してないですね。それで意識という古名が自我となり、純粋方法を喪失しますね。しかし構想力なら純粋経験の名指すべき古名は世界で、それで時間が取り出されますね。@jeanbeauty2
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posted at 18:18:53
斎藤慶典は五章以降、フッサールの問題点を明確にハイデガーから言い当てていきますね。twitter.com/sunamajiri/sta... つまり動態や発生にならないということですが。@jeanbeauty2
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posted at 18:28:19
ところで、斎藤慶典は「次元」を術語にしますね。「想像力は自我とは異なる次元だ」といういわば補語なんですが、ナトルプ報告を重視した高田珠樹の『存在と時間』の訳文が「存在相」という「相」を補語にする遣り方に似ている。どうやら日本語にはそれが必要らしい。@jeanbeauty2
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posted at 18:31:02
ちょっとこの書き方twitter.com/sunamajiri/sta... は訂正。斎藤慶典は純粋=超越論とカント書から定式化することで、フッサールの失敗を言い当てますね。(続く)@jeanbeauty2
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posted at 18:39:30
そのカント書から斎藤慶典は以下を明らかにしますね。コギトを統覚に純粋化しただけでは時間が純粋化せず、それで意識という古名が自我となり、純粋方法を喪失する。しかし構想力なら純粋経験の名指すべき古名は世界で、それで時間、つまり無限の純粋性が確保されますね。@jeanbeauty2
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posted at 18:40:53
おそらく、@jeanbeauty2 さんは、『存在と時間』から『純理』に戻ることで、2つのミッシングリングを抱えてるだけです。一つはエポケーを通ってない。もう一つはナトルプ報告を通っていない。それがトンネルと入口と出口で齟齬を来している。前者は斎藤慶典が明解ですね。
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posted at 18:50:18
もっと集約すると、斎藤慶典的な「次元」という分節、高田珠樹的な「存在相」という分節、それをトンネルの入口と出口に備えていないので、トンネルがつながらない、そういう日本語固有の問題に見えています。twitter.com/sunamajiri/sta... @jeanbeauty2
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posted at 18:53:38
数学は無限を回答不能にすることです。一方、カント書は、無限から有限の純粋性を徹底させるといった按配で、「有限な論理を経験する」といった問題は存在しないと思います。@jeanbeauty2 ナトルプの超越論的統覚が、純粋意識であり、経験を介さないもので、論理的なものも、最終的には
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posted at 18:59:49
鍵RT @jeanbeauty2 還元が、繰り返されるとき、これ以上疑い得ない、と判断されたとき、根源だと、判断しているのは、コギト?超越論的主観、純粋統覚?でしょうか。
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posted at 19:59:31
根拠律ではあるまいし、還元は無限遡行ではないですよ。疑いもないのです。ちなみにハイデガーはカント書以降の転回で、根拠律(の系)を所在究明erorterungと言い換えるほどだそうですね。twitter.com/sunamajiri/sta... @jeanbeauty2
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posted at 20:02:11
2015年02月25日(水)
国会図書館デジタルに所蔵の昭和10年の池上鎌三の『カント書』紹介は、非常に俯瞰的。ナトルプというより、時間を多様性、空間を全体性の範疇にしたユダヤ教的なコーヘンから、ハイデガーが対峙したものを叙述している。dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid... @jeanbeauty2
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posted at 01:04:21
コーヘンとナトルプがマールブルク学派の祖だが、後期はユダヤ哲学になり、弟子のローゼンツヴァイクについて、アメリカ科学哲学のパトナムが近著のハーバード講義で、仏教性の批判として取り上げていたのが記憶に新しい。twitter.com/sunamajiri/sta... @jeanbeauty2
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posted at 01:05:22
昭和10年の池上鎌三の『カント書』論は、現存在を「生存的人間」、超越的構想力を「超越形成的構想力」と訳語が面白い。現象学がデカルト以前の中世の範疇論に回帰し、理性の自発性ではなく、構想力による時間の受容的自由の一元論化で、コーヘンと対立的とする。@jeanbeauty2
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posted at 01:06:43
コーヘンが時間を多様性、空間を全体性にし、超越的感性論を削除したことで、純粋理性批判を認識論に貶めてしまうのに対して、そうした理性の自由ではない方向、時間を受容する超越論的構想力の一元性、存在論にした、としている。コーヘンは極めてユダヤ教的なようだ。@jeanbeauty2
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posted at 01:10:14
ナトルプもコーヘンのようにユダヤ教的なのかはしらないが、カトリシズムを嫌うプロテスタントの新カント派をやりこめるためには、ハイデガーのように、カントの理性の自由という認識論(自発性)を、時間を受容する構想力に純粋化しなければならなかったということだろう。@jeanbeauty2
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posted at 01:25:54
勿論、このユダヤ教の問題はむしろ戦後に顕在化して、覆ってしまうのだが、昭和10年の時点の方が、日本の『カント書』受容の見通しがいい印象があるのが不思議だ。ご一読されたい。池上鎌三『ハイデガーのカント解釈』 dl.ndl.go.jp/view/pdf/digid... @jeanbeauty2
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posted at 01:26:47
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時間の受容、つまり時間が現象しているのであって、自我のようなものが現象しているわけではない、という最後の自由。存在忘却というが、時間が忘却されているだけだ、といった問題系。昭和10年の池上鎌三の『カント書』論に比しても、現代ではまるで隠蔽されている。@jeanbeauty2
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posted at 17:37:36
時間の排除が著しい。そこでいう時間=カイロスは最近では、斎藤元紀『存在の解釈』で、パウロ~アウグスティヌス~ルターのカイロス論がありますが、やはりマルレーヌ・ザラデル『ハイデガーとヘブライの遺産』 www.evernote.com/shard/s157/sh/... が鋭い。@jeanbeauty2
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posted at 17:38:08
ヒラリー・パトナム のハーバード講義は amzn.to/1FrqgWM 。ハイデガーが対峙するマールブルク学派の祖、ヘルマン・コーエンが後期にユダヤ思想に戻る時の弟子、ローゼンツヴァイクとウィットゲンシュタインをユダヤ思想とみなす講演。@jeanbeauty2
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posted at 17:39:01
米科学哲学のヒラリー・パトナムに、存在と時間を忘却させ思考させない信仰というのは、新カント派の申し子、ヘルマン・コーエンの弟子ローゼンツヴァイクが、ヘーゲル歴史哲学の近代性、ユダヤ民族を排除した非時間性を歴史化する、二契約神学と呼ばれるもの。@jeanbeauty2
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posted at 17:41:23
しかしそうしたカントを認識論に封じ込める新カント派のプロテスタントから、アメリカに逃れたユダヤ哲学者という文脈から隔絶されて、戦後の日本でハイデガーは時間として語られない。明らかに隠蔽工作があるように思える。@jeanbeauty2 bit.ly/1LC72Qu
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posted at 17:45:36
まさに時間を受容させないかのような隠蔽ですね。極めて興味深い思考です。@jeanbeauty2 受容というプロセスと作業というか、そういうものはなく、すぐに既往とか到来とかではないかと。ハイデガーの解説では、時間の受容について、なぜあまり出てこないのでしょう。
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posted at 17:57:11
様相論をエポケーして本来的・非本来的に様相論を解体できなかったからでしょうな。@jeanbeauty2 広く経験という事態の成立の仕組み、構成されたものの、解明を目指したわけですが、構想力の議論で時間論をさらに探求しなかったのはカントが感性論で、すでに時間を論じていたから?
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posted at 18:01:12
様相的なのでしょう。@jeanbeauty2 現象の成り立ちの仕組みのもの、現象することの根本が、時間である、という視点が、カント書では、議論されているのでしょう。カントは、感性論の中で、時間については、どうなんでしょう。空間のアプリオリな形式は、よく触れられてますが。
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posted at 18:05:22
経験の本来性はヘラクレイトスのピュシス(自然)です。それを被覆したのがプラトンの固定存在を静的に見る認識論です。それを開覆するアリストテレスの超越範疇から、制作過程の動態だけを手許性として取り出しリセットする。それで本来性だけになった。@jeanbeauty2 広く経験という事態
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posted at 18:33:14
だから、カントが図式論で隠蔽しかけた直感(感性)、想像力(構想力)に頼るんです。そのことで経験と超越範疇が暴力的にリセットできる。その本来的な経験が現象を捉えている。それを純粋化として記述するカント書では、時間の受容だけが、純粋現象になっている云々。@jeanbeauty2
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posted at 18:38:54
それらが戦前の池上鎌三が解説した「先験的構想力の純粋直感に対する関係、並びに純粋悟性の純粋直感に対する関係」の全容だし、とくにご質問の後者です。ところが戦後は、ハイデガーが実存論的に語られ隠蔽される。それが~@jeanbeauty2 pic.twitter.com/C7wJ4sx2gz
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posted at 18:50:00
それが最近は、とくに冒頭の丸山文隆 twitter.com/sunamajiri/sta... の、手許性が棄却されメタ存在論となる、という論証が台頭してきた。カント書は、時間を受容する自由に対して、自発的理性の不自由という、純粋化の記述です。理性は肩身が狭い。@jeanbeauty2
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posted at 18:55:40
そうですね。被覆に対しては制作、被制作に対しては開覆ですしね。最後に手許の制作物が被覆したのものを、開覆したんでしょうね。それが隠蔽された。黒ノートでは工作というそうですね。@jeanbeauty2 ナトルプ報告書では、封印されてまま温存されてきたものを、暴き出す
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posted at 19:27:38
ちなみに『フッサール起源への哲学』の斎藤慶典ですが、丸山文隆の最も秀逸な論文 www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... では「全体における存在者」を自明的に捉えていると、加藤恵介と並んで批判されています。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/rvCQ6NE9A0
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posted at 19:53:50
「全体における存在者」を「存在者の全体」=宇宙全体を外から領域的に眺める神の視点、つまり認識論に自明化すると、現存在に先立つ眼前自然の事実性というハイデガーの記述の必然性が明らかにならない、ということです。twitter.com/sunamajiri/sta... @jeanbeauty2
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posted at 20:28:12
そこで、斎藤慶典と並んで不正確、つまり認識論に留まるもの、と批判されている藤恵介の『ハイデガーのフッサール批判』はこちら。www.kobe-yamate.ac.jp/library/journa... @jeanbeauty2
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posted at 20:30:18