大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年07月06日(水)
前者を頽落、後者を未来というのは、現代思想の源流であるハイデガー的な思想です。そして志向性というのは、意識はそれ自体で実体的にあるのではなく、必ず何かに触発される意識だ、ということです。唯識で言う非実体性(空)とは何か、という解答です。@chang__air @J_J_Kant
タグ:
posted at 02:00:01
もっと簡単にうと、観念論が言葉遊びになるのは、様々な概念を分節して、大乗仏教の唯識論ではないが体系化してしまうのだが、その観念自体が何であるかは不問に付す、空(空論)にしてしまうのに対して、現象学はその存在自体を判明にするのです。@chang__air @J_J_Kant
タグ:
posted at 02:03:43
哲学で探求というと、不可知なものを探る営みと思われがちだが、実は、そんなことは分かった上で、より厳密にしようと探っているのです。つまり、喋りながら何かに偶然気づくというのとは正反対の営みで、何の話題か分かりながら喋るようなことです。@chang__air @J_J_Kant
タグ:
posted at 02:11:54
それを、西欧哲学では現象学というのです。まず意識は、ある方向付けが与えられた時に、それによって触発された現象で、その意識という現象は、とくに言葉を喋る時の方向性(志向性)のことで、それは何の話題か分かりながら喋るようなことです。@chang__air @J_J_Kant
タグ:
posted at 02:14:59
しかも、それは予定調和ではない。話題が話題をその都度触発して発展するような関係性です。概念が派生して収束するような伝統的論理学に対して、現象学ではそうした関係性を論理的というのでしょう。だから饒舌に語るのでも、沈黙しているのでも同じです。@chang__air @J_J_Kant
タグ:
posted at 02:26:31
かといって、短文が悪いわけではない、現象学的方向性があれば、カントのややこしい観念論論駁のようなものに基づいた、いわば正しいことがいえるんです。つまり方向づけられていないと、正しいも不正もいえない、ただそれだけのことでしょう。@chang__air @J_J_Kant
タグ:
posted at 19:00:51
2016年07月07日(木)
さて、今ハイエク、つまりウィーン的な個人主義なるものの話が出たのだが、これも現代思想の源流であるハイデガー的なものに対する反動である点が、今日的に最も枢軸となることだろう。twitter.com/sunamajiri/sta...
タグ:
posted at 13:09:42
英米分析哲学あるいはウィーン楽派のいう個人主義は、ハイデガーに全体主義を見ているのだが、実はそれがお門違いだ、というのが今日アメリカでのカント研究の急先鋒であるフリードマン史観。このパースペクティヴが日本に未紹介な弊害はあるのか? twitter.com/sunamajiri/sta...
タグ:
posted at 13:13:33
フリードマン史観とは、A Parting of the Ways: Carnap, Cassirer, and Heidegger Michael Friedman www.amazon.co.jp/dp/B004XOZ892/... で最近アメリカに定着した哲学史観で、図式そのもののこと。
タグ:
posted at 13:21:41
日本ではプラグマティズムの文脈で、非常に間接的に迂遠に紹介されていることになる、このフリードマン史観とは、ウイーン学派的にハイデガーに全体主義を見ることは、誤った個人主義であった、という最近のアメリカの哲学的結晶のこと。
タグ:
posted at 13:23:55
フリードマン史観とは東がカルナップに対するハイデガーに物象化をみて否定神学を言うのに対して、ハイデガーのカント書のダヴォス討論に、分析哲学と存在論の根源を再発見する史観で、日本のハイデガー再評価の黎明期に木田元がハイデガーとウィトゲンシュタインは同じだ、といっていたようなこと。
タグ:
posted at 13:31:55
問題は、アメリカはフリードマン史観によって哲学が問題収束的なのに、なぜか日本では同じ図式が物象化論・宗教哲学に留まり、戦前、これを凌駕した田辺元が、戦後には全体主義戦争の思想だったと、語られてしまう点。twitter.com/sunamajiri/sta...
タグ:
posted at 13:40:44
この図式は、たとえば欧米ではソーカル事件で一応の収束をみたようなことを、日本だけ依然として問題にし続けているようなことだ。この前、近所の坂部恵の弟子のO氏に、Twitterで頽落する人は未分化な個人主義ばかりツイートしていると言ったら、ソーカル事件の二の舞いだ、とすぐに言われた。
タグ:
posted at 14:19:06
それは、日本で個人主義が全体主義の反動のように根拠付られてしまうことに対して、そもそもなぜ全体主義が語られ、それがいかに数学的だったのか、という文脈を割愛していしまい、すべての哲学的な動機を、唯識論や独我論に求めようとしてしまう、日本独特の文脈が障碍となっているためだ。
タグ:
posted at 14:19:19
端的に、個人とは独我や唯識でないことを指していて、それが有限性ということなのだが、それに対して無限遠点とか、無限集合を思考することも、唯識や独我といった観念論ではなく、それは論駁されるるものだ、という命題があり、それを日本では全体主義と誤解しがちだ、ということかもしれない。
タグ:
posted at 14:19:34
思想的にいうと、田辺元の西田幾多郎に対するハイデガー的反論である種の論理が、じつはハイデガーのダヴォス討論にある、カルナップとハイデガーの根源図式という問題を凌駕するような視点で、それが戦後、日本では全体主義戦争の思想と語られてしまった、ということが問題的になるのだ。
タグ:
posted at 14:19:48
こうした思想史的なパースペクティヴからいうと、田辺元的な、ハイデガーのカント書の乗り越えのようなものが、日本の全体主義戦争の思想と戦後言われ続けてきた蟠りが、今一気に噴き出しているように見えるのだ。日本だけ(思考が)停滞するのには理由があったのだ。
タグ:
posted at 14:20:02
前に何度かツイートしたが、このダヴォス討論で、ハイデガーに最後にやり込められ、アメリカのコロンビア大学に亡命したユダヤ教徒、カッシーラーであるが、日本では全共闘ヘッドで駿台物理の山本義隆が邦訳者で、山本物理学史観の原型なのも興味深い。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8...
タグ:
posted at 14:47:11
それにしても、世界の中で日本だけ、依然として個人主義と全体主義という復古的な対立軸で、旧世界のようなことを語っている停滞は、かなり深刻だ。世界はそれよりも数歩先に行ってしまっているということに、全く気づいていない。twitter.com/sunamajiri/sta...
タグ:
posted at 14:52:42
どういうことかというと戦前、西欧では神の死以後の悟りを終末論としてユダヤ教徒が語ってしまうことに対する闘争が起きていたのだが、戦後はそれを引き継いだ哲学者が、中国に神の死の可能性を探ることをポストモダンと言い始めたのに、日本だけそこから孤立してしまったという構図。
タグ:
posted at 15:13:25
西欧人は、西欧とは正反対の支配思想である中国に、私達の想像以上に憧れているのだが、日本にはそれを撥ね退ける力があるらしい。中国は西欧的な神を殺すことを支配というのだが、日本がこれを免れるのは仏教的だからなのかもしれない。しかしそれによって日本だけモダンから抜け出せないのだろう。
タグ:
posted at 15:17:22
ニーチェが神の死といい、仏教の悟りを説いた時、ユダヤ教徒が悟りとは終末のことだ、といった戦前、ハイデガーだけがそれに抵抗できたという構図だが、こんな問題、日本人にはいかにも幼稚に見えるだろう。ところが神を殺したい西欧人は真剣なのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
タグ:
posted at 15:21:56
ちなみに、いまカント書、ダヴォス論争、フリードマン史観、ソーカル事件という話をしたのだが、これもこの中に含まれていて、神の死を支配構造とするのは終末論なのか、そうではないのかという論争がポストモダン。twitter.com/sunamajiri/sta...
タグ:
posted at 15:26:04
西欧人の真面目というのは、そういう話をすることなのだが、日本人にはいかにも馬鹿げた、幼稚な話に感じられてしまう。それは西欧にも中華思想にも支配されない、独特の精神構造があるから、というのが西欧人の日本人に対する見立てだったのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
タグ:
posted at 15:28:20
日本の3.11が世界の民主主義を発狂させたという『ハウス・オブ・カード』が全米で大ヒットしているが、西欧は中国に神を殺され支配されかねないが、悟りの境地のように見えていた日本が3.11で地に落ちた、と世界が敏感に反応しているわけだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
タグ:
posted at 15:34:15
もちろん、中国の台頭が著しいのだが、かつて、蝶々夫人で日本の自然の風景は崇高ではなく、女だけが自然だと語られたことに対して、山水画の世界が西欧人には、彼らの神を殺す天国の表象に見えている、というのがアバターという映画だったというのも面白い。
タグ:
posted at 15:36:30
ツイートまとめ(^-^)/ 世界の幼稚と日本の幼稚の違い。日本が見えていない世界の目と、世界が日本人が想像以上に中国を天国だと感じていること。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
タグ:
posted at 16:02:56
2016年07月08日(金)
そんな、いきなりパウロからはじめないでよ、ハイデガーじゃあるまいし。youtu.be/VqUaWNEJlaU まあハイデガーの場合、ヘブライ人への手紙ではなく、テサロニケ信徒への手紙こそ本来的時間性だというのだけどね。 pic.twitter.com/44XthEL9eI
タグ:
posted at 22:23:06
ちなみにハイデガーが本来的時間というパウロ、テサロニケ信徒への手紙とは「無事だ、安全だといっているその矢先に、突然、破滅が襲うのです。決して逃れられない」という箇所ね。神が現れることではなく、あくまで人間の心構えの問題だ、という点をハイデガーは時間性と呼ぶのだ。
タグ:
posted at 22:30:16
他力本願であれば終末論の時間性に頽落するが、日本語の「備えあれば憂いなし」ということを、時間性であると捉えれば、終末論のような破局を克服する力が人間に備わっていることになる、とのたうち回って語るのがハイデガー。「想定外」だと時間的ではない、何か別の思惑だという意味ね。
タグ:
posted at 22:40:54
要するに、人間が時間に対して無力だと語るギリシャ以来の思想を反駁するのに全力を注いでいるということなのだが、アウグスティヌスの時間論でも、カントの時間論でも、パウロの好機(カイロス)は捉えていない、それでは人間が無力だということだ、といっているわけ。
タグ:
posted at 22:50:04
日本語に直すと、宗教でも科学でも他力本願をすれば破滅してしまう。人間にはもっと底力があって、それは常に襲ってくる破滅に対して、備えあれば憂いなしのように、正しい気構えをもつことだ、というような思想。
タグ:
posted at 22:51:43
これをハイデガーは、形式論理学に対する反駁として行っていて、告知されざる形式論理学は、形式性の告示ではない、という命題にしているわけ。これが基礎存在論(存在と時間)で言われていること。
タグ:
posted at 22:53:29