大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年07月29日(金)
この辺り、ハイデガー以外全く有効性がない、歯がたたないというのが、理屈(形式論理学)が先行するのではなく、形式を告知する時間論が先行する、という論理学的転回が語られているからなのだが、それが見えなくなる時、陰謀論や厨二病や全能感しか語りようがなくなるからね。
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posted at 02:45:32
要は、理屈の通らない不条理を理屈するようなことなのだが、そのような現代思想の不条理が、オウム事件以後通用しなくなり、エヴァ以後厨二病と陰謀論だけが対立軸という内向的な状況から抜け出せなくなってしまった、というだけだろうね。
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posted at 02:52:09
こうした、形式論理学から、形式告示的解釈学への、論理学的転回ということが、現代思想では議論されているのだが、それがあまりにも不条理だから、とくに日本ではオウム事件以後、思考が破綻的になり、理屈だけに形骸化してしまった、ということが問題なのだが。
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posted at 02:57:17
余談だが、うちのTLでは、隠者君が、中二病的に理屈だけで陰謀論と格闘しようとしていて、それに対して、それが形式的に間違っていると中嶋さんが応酬してしまうのだが、そういうことがそもそも問題になっていないように見えるということなのだが。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 03:02:37
というのも、デカルト的懐疑をカント以上に徹底するハイデガーにおいては、理屈に合わない不条理があったっていいじゃないか、という極めて寛大なことをいうのであって、そこでは陰謀論と厨二病という形式性の闘争が、全て一蹴されてしまっているからなのだが。
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posted at 03:05:22
論理学的には過去でさえ修正主義的に転倒して認識してしまうことに対して、そうしたことから論理学的に転回し、論理性自体の根幹を構築し直そうとしているのだから、修正主義自体が超克されているというか。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 03:08:13
社会ダーウィニズムにしても、修正主義史観にしても、論理的に説明のつく過去(歴史)をなぜ求めるのかというと、過去に神のような絶対的原因を訴求してしまうからなのだが、そうした論理的な史観から自由になろうよ、という話なのだから。
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posted at 03:12:41
説明のつかないことこそ真実(形式告示的真理)なのに、説明ができなければ気が済まない(形式的真理)、という知的な弱体化が、ここまで深刻な時代状況になるとまでは思わなかったが、如実にそういう困難な時代らしい。説明なんかつかなくてもいいのにね。
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posted at 03:19:23
人間の屁理屈で説明できてしまうようなことが真実と疑うこともしないなんて、正気の沙汰ではない、というのが存在論的真理と呼ばれるようなことなのだが、一々説明しなければ気がすまず、説明できると納得してしまう、という恐ろしい状況が、ネット時代に助長されたのは言うまでもない。
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posted at 03:25:31
この話は実は面白い。twitter.com/rocayicitasu91... 働かざる者=資本家は食うべからず、の元になっている偽パウロ書簡(テサロニケ信徒への手紙2)は、終末論と言われることが多いのだが、それに対して~
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posted at 22:15:21
ハイデガーは終末論を批判するために、パウロ書簡(テサロニケ信徒への手紙1)こそが、カントが血迷ったニュートン的絶対時間を駆除して、終末論を完全にねじ伏せる本来的時間(カイロス)だ、ということを存在論だ、というからだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 22:15:35
カントでは、物理的時間による(内的)自由を言う割には、その自然時間がニュートン的な被造物の時間、絶対的原因を前提している内的時間で、本来の時間である自由を言い当てていない、という時間論なのだが、それがハイデガーによると、偽パウロ書簡(終末論)に対するパウロ書簡にあることになる。
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posted at 22:22:22
ハイデガーが時間論で一貫しているのは、偽パウロ書簡では終末論になるが、テサロニケ信徒への手紙1の再臨論では、終末論にならない、という時間論をいうからだ。カントではこの当為がないのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 22:32:05
ハイデガーが時間論を存在論と呼んでいた時代、つまり第一次世界大戦後の時代は、終末論をめぐる活発な言論がなされていた時代で、ハイデガーはそうした終末論を駆除するロジックを言うために、そういう言動をしているのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 22:36:04
それが、働かざるもの=不労所得の資本家も、食うべからざるではないのかどうかは、私には言えないが、少なくともそれが終末論であり、そうした死の欲動(経済成長のようなもの)では、個人という尊厳は見失われる、という存在論を彼は言いたいのだ。
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posted at 22:38:21
2016年07月31日(日)
それは懐疑主義であり、方法的懐疑ではない。イギリス経験論に対してカント以後は、命題の真偽を信じる経験という旧来の形式的な論理性ではなく、存在論であるか否かが論理的真偽になっただけで、信じるも疑うも何もない。単に存在論的であるか否かというだけだ。@inja650rr
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posted at 03:09:40
現象学という方法的懐疑の徹底では、現象の起源(神の有無)ではなく、現象を起源として扱う視点の可能性を問う(それを問題地平という)のだが、それは形式性の破れ(不条理)を積極的に受け入れることでもある。というのは~ @inja650rr
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posted at 15:10:12
存在論か非存在論か、というのは、理神論か有神論かという問題地平を超越することだが、結局、元の木阿弥で、現象の起源に神の有無を探求しているように誤解されてしまう。それが形式性の破れなので、それに対する消極性ではなく積極性を発揮すること。@inja650rr
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posted at 15:13:01
そこまでいくと、バラモンのように神々を超越する、人間が神の捏造者だという疎外論や陰謀論に直結するような、古臭い超越ではなく、不可知論のことだろうが人間の有限な能力を、積極的な自由として認める、という存在論という新たな超越の仕方に達する、そういう次第。@inja650rr
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posted at 15:14:54