大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年12月24日(土)
理解せず、漠然と考えてると存在出来なくなる(される)から、考えるより前に行動なのよ、いつも哲学でその話してるんだが。考えちゃだめ笑。自分の思考を疑うのよ。自分のちっぽけな思考力を過信すると痛い目にあうのよ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @PiyoMegtan
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posted at 11:24:52
たとえばハイデガーが何を解釈しているかというと、「我漠然と考える故に我存在する」という近代人に対する、古代のパルメニデスの一文「思考と存在は同じだ」の意味なのよ。どうやったら近代人の驕り、自分の思考を過信する、という殻を打ち破れるか、という命題だから。笑 @PiyoMegtan
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posted at 11:25:09
2016年12月28日(水)
偽なる空が、真なる空により無化されるですか。いいですね。年末の総括というのなら、総括という言葉の語弊も払拭できるので、何か途中まとめ対話でも企てますか? ちょうどさっきRTされたのが、年初でしたね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada pic.twitter.com/uRLVPk1o2M
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posted at 14:59:58
ところで、日本でハイデガー論といえば、どんな小さな書店でも常備しているベストセラー本をご存知ですか。これを読めず、社会がデッドレターのように停滞しているように見えなくもない。bit.ly/2icFmvb @BeTakada
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posted at 15:03:03
カント書の地平というのは、①カルナップがハイデガーを《論理形式を名詞化》したと批判したが、②ハイデガーは《哲学用語を固有名化》することで転回した、という【固有名論】だが、それを一番分かりやすく説明した東本が国民文学という皮肉。それでみんな【独我論】的になる。@BeTakada pic.twitter.com/K1DuDuwHT1
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posted at 15:30:28
ところで、東が柄谷の固有名論の独我論性を言い当てるその箇所が引用する『存在と時間』が、呼び声はどの先からくるのか、という気遣いの話。存在と時間という不気味な呼び声に衝き動かされているだけでは、国文学的に届かない声、超越論的シニフィアン=ファルスになってしまう。@BeTakada pic.twitter.com/nU8e3vRBfK
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posted at 15:58:45
こう整理すべき。転回とは生物学からの転回だが、それがジャーゴン(私秘性)に見える生物論者(木田元)には被造物に見えてしまう。しかし生物学から転回していれば、制作性(ポイエーシス)であるより、フロネーシス(時間論)の手紙が届く。@PiyoMegtan @BeTakada pic.twitter.com/dGlA6qy9sS
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posted at 16:30:32
2016年12月29日(木)
新刊文庫で新訳か。(^-^)/ 内的時間意識の現象学 (ちくま学芸文庫) エトムント フッサール www.amazon.co.jp/dp/4480097686/...
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posted at 12:33:28
「フッサール現象学は学問の基礎づけを目指すが、その際「いちばん根底に横たわる」問題が時間である。時間は一瞬で流れ去るのに、多くのものはなぜ持続的に「存在する」ことが可能なのか。「客観的時間」への信憑を括弧に入れ時間を構成する意識それ自体が時間のなかに現れてくる根本的な事態に光を」
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posted at 12:35:15
新訳文評判が良いのか。www.amazon.co.jp/review/R2JU8GA... 「できるだけ初心者にもわかりやすいように訳した力作。注にしっかり目を通しながら解説まで通読してほしい。今までフッサールを読んできて「ついていけない」と思っていた人は「前よりついていけるかも」
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posted at 12:39:19
「『時間意識のなかには何が含まれているか、そして、そこからいかにして客観的な時間が構成されてくるか、を明らかに』した一冊。サルトルもデリダもレヴィナスも、本書に言及している。訳者曰く、「フッサールを批判し、新たな独自の現象学を展開するためにも、本書は、基礎文献あるいは必須文献」
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posted at 12:40:02
問題は、肝心なハイデガーの主著がフライングで、ポスト主著のGA26
補論のメタ存在論への転回後、同第二部でこの本を批判し、時間は内的意識ではなく地平だ、というカント書に行く辺りの話を、いつも読もうとしているのだが。「サルトルもデリダもレヴィナスも、本書に言及している。」
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posted at 12:45:20
この話はいかにも錯綜的だが、要はカント以後は起源論ではない(言語論ではない)、むしろ音楽的実践論だ、ということであるにすぎない。それが垣間見られるのが、このハイデガーによるフッサール批判なのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 13:03:36
ハイデガーのフッサール批判とは、内的時間意識を現象学的に批判する超越論的時間地平こそが規定根源=客観的時間だ、というものだが、こうした起源論批判というものは、音楽的実践(音楽教育)の現場からしか実感できないものであり、またそこからしか音楽は再び再開できないのだ。
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posted at 13:05:44
逆に言うと、ハイデガーが超越論的時間規定から内的時間意識を現象学的に解体することである転回(ケーレ)以後、私秘的な哲学の固有名化となるのは、言語起源論ではなく音楽的実践としてしか、時間性は客観性を帯びない、という意味でしかない。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 13:09:12
ここではつねに、メロディーなのか、歌詞なのか、それとも韻律とは別に、時間が触発する何かなのか、という問しか立たないのであり、その問しか立たない地平にしか、たとえば音楽的実践である音楽教育が生成しないように、客観的時間は認識できない、というようなことでしかない。
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posted at 13:10:27
なぜリスナーにはメロディーに聴こえるが、バッハや戦後のモダンジャズミュージシャンのようなインプロヴァイザーにはメロディーではなく、自由な時間に聴こえるのか、という話である。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 13:12:04
ハイデガーが実存的分析(生物論)から転回 twitter.com/sunamajiri/sta... するのは、このフッサールのメロディー論に対するフライングの解消であり、大抵のハイデガー批判はこのフライングに対するものだ。ジャーゴンも、この地平を失念することであり、単なる失語症ではない。
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posted at 13:20:36
もっと平たく言うと、ハイデガーがなぜ転回するのかというと、主著の時点で、カントを音楽的実践論と読めていないということだ。フッサールの内的時間意識、つまり過去把持としてのメロディー論を受けて、ハイデガーは新しい音楽を聴こえるようにしたのだ。それを転回(ケーレ)というのだ。
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posted at 13:24:29
『存在と時間』が『内的時間意識の現象学』へのフライングで生物論に陥ってしまい、そうした生物論=実存論的分析論から、メタ存在論に転回するGA26補論以後、はじめてハイデガーは時間とは内的時間意識ではなく地平だというカント書の射程に入る。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 13:49:29
生物論=実存論的分析論、基礎存在論からは時間の地平性はみえず、むしろ被制作性と、それに対する批判という推論地平しか見えてこない。twitter.com/sunamajiri/sta... この地平を回避するにはどうするか。そしてその地平回避はなぜ実践的時間である本来の音楽教育論たり得るのか。
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posted at 13:52:54
この、存在論は(言語)起源論やその批判(私的言語)としてではなく、規定となる根源を据えた上で、何か時間のようなものまで産出する実践であり、時間とは実践のことだ、という音楽教育論としては必当然のことが、いわば音楽外的に極めて錯綜する事態を、何と名付ければよいのか?
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posted at 13:57:52
この今朝のスレッド、最後まで通読すると、ドイツ音楽の解体としての戦後ジャズの実践的音楽を聴こえるようにしたハイデガーという、私の一貫した話題に接合されるよww(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 14:08:04