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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2016年12月01日(木)

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

宇宙って有限なのにね(^-^)/ RT @BeTakada 特異点の裏側、外側、つまり時間反転を有そのものの反転と観るか、或いは特異点の出口つまりホワイトホールが有ると観るか、もうひとつ絶対者である時間非対称と観るか、論点はこの3つで争われている様に見えます。 pic.twitter.com/zKnCOEba9R

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posted at 15:51:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

収束点にならなければ有限でいられた宇宙が、特異点を(真理)前提にすると有限が無限になるというのが、矛盾的というだけですよ。ほんとうに点=虚無は無限を生んでしまうんです。しかし宇宙は有限だし、特異点になるしかない点性もあやしい。ハッブルが余計な観測するからww @BeTakada

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posted at 15:55:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

RT @BeTakada そうですね。ですから物質たった一個、つまりは有ひとつにハイデガーはこだわったのだとも考えられます。有ひとつの働きを知ることが世界や宇宙を知ることになり、時間の行方を左右するのだと思います。絶対者なんて概念が世界を不幸にしてますからね。負けたくないです

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posted at 15:56:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

この数日ツイートしたように、絶対者というより、自然即無限というスピノザの収束点=自己原因が、特異点なんですよ。それでは無限が生まれてしまう。ハイデガーが有限論ばかりするのも、それゆえです。点性は無限大=矛盾律をはらんでしまう。宇宙は有限なのに。@BeTakada

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posted at 15:59:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

スピノザは、デカルトの観念としての神、無限、自己原因を、公理にたかめようとして、間違いを犯しているのです。有限の宇宙を無限と捉えて、特異点としての自己原因を記述したからでしょう。スピノザを自然即神=汎神論というが、スピノザの問題は自然即無限という矛盾です。@BeTakada

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posted at 16:01:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

おそらく、スピノザが有限の自然(宇宙)を無限と措定し、自己原因という汎神論を書くのは、ご承知のように、絶対者を真理前提しているからだが、いまや真理前提は自然の有限なのです。自然を有限としたとき、特異点では無限大になり、矛盾してしまう。@BeTakada

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posted at 16:04:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

ハイデガーの『存在と時間』の収束点が、点性、点時間、ヘーゲルの点時間、を真理前提とする一切に対する、批判的視座となるように語られているのも、そうした事情によるのでしょう。点とは虚無のことであり、有限な宇宙に無限を生じせしめる矛盾律なのでしょう。@BeTakada

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posted at 16:06:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

その意味でも、『存在と時間』を時間地平に補うハイデガーのカント書が、有限の学の公理集として、カントに言及するのが極めて興味深いのです。スピノザはデカルトの神を無限として先措定するが、ハイデガーのカント書ではそれを有限に転回させるわけだから。@BeTakada

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posted at 16:12:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

宇宙=存在は有限なのです。点性でみれば無限大が生じ、そこに絶対者という真理前提を重ね合わせると、危険なことになるのでしょう。しかし、そんな真理前提などお構いなしに、存在は有限なのです。宇宙が有限なように。@BeTakada

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posted at 16:13:02

2016年12月04日(日)

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2016年12月05日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

次元というより、やはり時間の実数性と虚数性の差異に、話を戻すべきですね。さもないと、スピノザのように因果論的特異点、つまり虚無を産みかねない。それを回避するためには、時間の虚数化に向かう、という先日の話題です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 05:09:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

しかし、そのためにはハイデガーのカント書(1929年)と、同書所収のカッシーラーとのダヴォース討論に立ち返るべきです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 05:13:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

自然界(存在者の全体)には点も線も、もしかすると次元もない。そういう直観の問題に折り合いがつかないと、前述の通り、スピノザにあったような因果論的誤謬、ないしは単純に実在論に頽落してしまう。カント以後は、それが数学と物理学の峻別の話として浮上してくる。@BeTakada

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posted at 05:22:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ところが、昨今またしても因果論や実在論に頽落してしまう。つまり数学と物理学を峻別したカントの土俵が霧がかってしまった。殊に大陸哲学と分析哲学の分断がそれを助長した、というストーリー=フリードマン史観があるわけです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 05:24:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

哲学史は哲学=存在論ではなく頽落だが、フリードマン史観は、むしろ存在論的でしょう。それは、ハイデガーのカント書(1929年)所収のカッシーラーとのダヴォース討論から、戦後のあらゆる思考が頽落してしまった、というように見えてくるからです。その最たる問題が無限です。@BeTakada

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posted at 05:32:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

自然界(存在者の全体)には、収束点の無限大以外に無限が存在しない。これが「全体における存在者」、つまりメタ存在論の視座だが、こうした転回から逆行すると、勢い、収束点の先に無限遠点をイメージしてしまう。そうしたことがカント書では厳密に排除されているのです。@BeTakada

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posted at 05:34:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

1929年のハイデガーとカッシーラーのダヴォース討論から分析哲学に分裂してしまい、戦後は見えなくなる。これは日常的には、数学と物理学を混同し、偶然を必然と誤解するようなことです。そうしたカオスというかパニックを是正するのは、そんなに難しい話ではないと思います。@BeTakada

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posted at 05:41:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ところで、ダヴォース討論は、カッシーラーの師匠であるヘルマン・コーエン的な心理学主義批判、つまり無限小論に対する痛烈な批判です。このコーヘンの心理学批判が昨今のタカ基地さんに重なるのが気になるところなのです。d.hatena.ne.jp/theseus/201302... @BeTakada

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posted at 05:49:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ハイデガーがダヴォース討論で、名指しでヘルマン・コーヘンの数学観を、一蹴していく道筋と、タカ基地さんが重なるのが、数学的か物理学的か、私には上手く判定できませんが、そのあたりを念頭に読み進めてみて下さい。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98... @BeTakada

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posted at 05:53:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

こうした、無限と有限の切断、デデキントのような話が、数学の世界では今日でも問題的だが、哲学の世界では不問になっている、ということがいかにも問題的なのでしょう。昨日のメイヤスー論者のカント論もそれでもちきりでした。bit.ly/2gTJ9zl @BeTakada

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posted at 06:00:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

メイヤスーがカントを仮想敵に思弁する実在論は、素朴実在論ではないのか?という問題があるということなのだが、それは取りも直さず、数学と物理学を混同する思弁は可能か、というような問題です。しかしそれができない、という厳密論がカント書にはあるのです。@BeTakada

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posted at 06:05:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ところで、bit.ly/2gTJ9zl で参照されている鈴木俊洋が、うちでも積み本になっていた。フッサール数学論の全体像を構築する試みのようだが、それほど分厚くはない、これの読解でもしませんか? bit.ly/2fUtMXF @BeTakada

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posted at 06:08:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

いずれにせよ、物理と数学を混同する直観が見分けられないとならない。たとえば時間は点ではなく地平であるとか、時間カテゴリーは過去現在未来ではなく、持続継起同時の三種だとか、そういう厳密論を踏まえて数学は本当に可能なのか、そう問わないと、また痛い目にあう。@BeTakada

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posted at 06:10:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ツイートまとめ①(^-^)/ だから絶対者じゃなく、自然即無限という概念をめぐる戦いですぞ。それを絶対者がどうのというから、知性が危うくなるのよ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 08:31:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ツイートまとめ②(^-^)/ ヘーゲル的な史観からカント書による厳密な数学と物理の弁別へ www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 08:31:54

2016年12月07日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

GA25ではなく、その後のGA3がタカ基地さんにはミッシングリングというだけです。これは物理学にも突き抜ける問題で、量子論は認識論か存在論か、という大混乱の原因ともなっている。@BeTakada 先に、もう一度GA25を併読します。

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posted at 02:07:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

GA3問題、あるいはダヴォース討論 twitter.com/sunamajiri/sta... と言うのは、一言で言うと、カントを形而上学者として一蹴する議論で決裂した、というような話です。@BeTakada

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posted at 02:08:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

カントのアプリオリテートに対するテンポラリテートというのは、新カント派が、カントを認識論者として立てたことに対して、カントを形而上学者として一蹴すると、存在論のプリオリテートであるテンポラリテート(点時間に対する地平時間)に突破する、と読んでよいでしょう。@BeTakada

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posted at 02:10:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

フリードマン史観を受けた最近のピーターゴードンのハーバード講義の目次とGA25に関する辺りをスキャンしておきました。bit.ly/2hcMaHJ www.amazon.co.jp/Continental-Di... @BeTakada

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posted at 02:15:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ピーターゴードンは哲学者ではなく歴史家です。処女作のハーバード講義『ローゼンツヴァイクとハイデガー』は全米ユダヤ教とドイツ哲学学会の受賞作です。第一次大戦後の終末論を一蹴するハイデガーの話です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 02:20:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

しかし、これは単に歴史学上の問題ではなく、これ以外の哲学史が全て一蹴されるような、存在論上の問題と捉えるべきです。ハイデガーは要するに、新カント派のユダヤ教性を喝破している。それがカッシーラーとのダヴォース討論です。@BeTakada

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posted at 02:47:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

フリードマン史観関係は、まだ邦訳がほとんどないです。したがって日本ではここからは研究行為になってしまうのだが、一般化しているのは、ハイデガー読本の安部さんのダヴォース討論をめぐるエッセイです。 bit.ly/1vCoWgk @BeTakada

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posted at 02:47:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

安部氏が bit.ly/1vCoWgk が序盤で鋭く紹介しているように、カントは直観の二様を峻別したわけです。それは認識が対象を生むのではなく、認識に先立って存在する、という超越論性です。超越論というのは素朴論への対語です。@BeTakada

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posted at 02:48:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

認識論が対象を生む、思い描いたとおりの対象が認識によって生まれる、という物理学の認識論化を、誤謬として退ける最も鋭い箇所です。それは、恋愛で、自分の欲求から恋愛対象を生んでしまうことと同義。それでは相手に出会えない。それに対して、ハイデガーは出会い論ばかりする。@BeTakada

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posted at 02:48:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

第一次大戦後の終末論の最中、こうしてカントのユダヤ教化としての新カント派をハイデガーは追い詰めたのです。その親分カッシーラーは、コロンビア大に亡命。カッシーラーの日本での紹介者は、全共闘ヘッドで駿台予備校の創始者のようなカッシーラー主義的山本義隆物理学です。@BeTakada

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posted at 02:48:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ある意味、戦前のハイデガーとカッシーラーのダヴォース討論(物理学でいうと、量子論は存在論なのか認識論なのか)が、戦後日本ではカッシーラー主義的な全共闘による、アカデミズム解体、ハイデガリアンの解体の様相のままなのです。代理戦争状態です。@BeTakada

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posted at 02:48:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

日本では(素朴に)先鋭化されてしまったが、もはやこうしたアカデミズム解体は世界の趨勢です。ポピュリズムの台頭もそれでしょう。私の年代だと、ラカンやデリダの文学理論上で有耶無耶にされたことです。確かにラカンは架橋したが、かえって分裂症者を生んでしまった。@BeTakada

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posted at 02:49:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

とはいえ、発端はたかだか戦前のハイデガーによる終末論批判(偽パウロ書簡批判)にすぎないのであり、それが新カント派のユダヤ教性の暴露として白熱した、カント書のダヴォース討論というだけなので、それほどうろたえることではありません。@BeTakada

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posted at 02:49:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

第一次大戦後の終末論(偽パウロ書簡の資本家は食うべからずの時間性=クロノス)の台頭に対する、ハイデガーの(パウロ書簡、想定外はないという時間論=カイロス)は、だいぶ前に発問しました。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:00:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

こうした偽パウロ書簡=クロノスに対する、パウロ書簡=カイロスを、アプリオリテートに対するプリオリテート、テンポラリテートとして立てる、というようなカント書の地平時間論に基づく、新カント派(ユダヤ教徒)に対する批判=超越論的批判が、ダヴォース討論です。@BeTakada

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posted at 03:03:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

したがって、未邦訳史観であるフリードマン史観は、終末論の復活ではもちろんなく、そうした終焉論争=終末論(宇宙に始まりと終りがあるというコスモロジー)に対する、存在史学上の退け(コスモロジーに始まりも終わりもない)なのです。@BeTakada

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posted at 03:06:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

こうした、始まりと終わりがあるとすることで陥る、非本来の時間論(永遠性)に対して、本来的時間論が具体的に何を意味するかは、メルロ=ポンティーのいう「環時間的」(omnitemporel)にも現れてそうですね。twitter.com/merleaupontybo... @BeTakada

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posted at 03:11:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

しかし、コンチネンタルデバイド(大陸哲学との分断)という史観(存在論)は(世間でいうアカデミズム解体としてのポピュリズムも)、ドイツ哲学はスピノザ批判としてのみ了解できる、といったような問題地平です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:17:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

スピノザを批判すると孤立する。カントが数学と物理学、認識論と存在論、さらには派生的直観と根源的直観を弁別すると、その綜合は何かから孤立してしまう。そういう問題が見据えられないと、認識論や形而上学から、存在論に転じることは、限りなく不可能でしょう。@BeTakada

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posted at 03:19:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

スピノザ批判は、カント以後の起源論批判です。経験的直観が可能になるためには、対象を原因とする認識論ではなく、因果論(観念論)の以前から、存在がなければならない。対象は認識ではなく時間が与える、存在とは原因に先立つ時間的現象だ、というわけです。@BeTakada

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posted at 03:29:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

このように、超越論的批判というのは(柄谷が転倒するのとは逆に)、起源論批判のことです。以前から強調しているように、カント以後は音楽教育論としてしか真ではありません。意味の起源は無意味に有るという起源論を批判する音楽教育論が、カント以後制度化するのもそのためです。@BeTakada

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posted at 03:31:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

起源論をすれば意味は解体してしまう。起源論批判というのは無意味を没収するような話です。そのような話としてしか起源論批判=超越論的批判は真ではない。しかしそれは対象は認識が与えるのではなく、存在=時間が与えている、というような話でしょう。@BeTakada

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posted at 03:36:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

フリードマン史観 twitter.com/sunamajiri/sta... … 関連は、未邦訳ですからね。日本の研究者がパニクってるだけですよ。ハイデガー全集ならGA25では不十分でGA3をまずは読んできて、という話です。@BeTakada このピーターゴードンを読めという事ですね

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posted at 03:41:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada 認識論というか内的必然、つまり客体、アプリオリな構造、それと有機体としての人間の意志との連関、つまり構想力との接続の「場」の話しをしているつもりなのですが。その「場」それ自体が主客一致の場であり、実時間と虚時間の対消滅、生成の場であると考えています。

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posted at 03:43:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

上にも引いた柄谷行人が、時間を場といいはじめてしまうし、日本では、時間は場といわれるようなのだが、ハイデガーはそれではだめだといいそうですね。時間は点でも次元でも場でもなくて、内的時間でもなく、地平なのでしょう。@BeTakada

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posted at 03:44:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

以下タカ基地さんの話を転載して検討してみます。@BeTakada この間は書き損ねましたが、この世界の有ひとつが、我々と出逢い、与えられる「何を」時間を〜ですね。

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posted at 03:50:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada 有ひとつが時間なのですから、我々は世界の先人の時間を与えられ生存していると言っても良いと思います。それは同時に愛と呼んでも良いと思います。ただしこの時間(有)の中には、我々の時間(有)そのものを傷つけ、また奪うモノもあるという事は付け加える必要がある。

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posted at 03:51:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada ただし永劫回帰とは完全に前世の形に生成されるという意味では無いですよね。例えば、コップ一杯の水分子に印を付けて海にこぼした時、1年後にその海でそのコップを使って海の水を汲み、その中に印を付けた水分子は幾つあるかと言えば100個前後入ると計算できたとする。

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posted at 03:53:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada しかし、海には海流が有り、深海では対流は遅く、海流に乗れば早く地球を回ります。またその途中で蒸気に変わり雨となり土壌に沈み何十年も先に海に戻る分子も有るでしょう。

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posted at 03:53:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada また人や他の生命の体内で血液に変わる場合もあるでしょう。そういう意味からも現実的には、コップに戻る水はもっと少ないはずです。

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posted at 03:54:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada ましてや輪廻転生など、何兆年先話なのかとも思いますし、基体を構築するDNAが失われているのに、如何様に元の基体に生成されるのかなど、先ず有りえない話でないですか。

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posted at 03:54:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada 仮に自分のDNAを用い同じ基体の私がそこに現れたとしても、それは私以外の分子で構成された人間で有り、私に似ているかも知れないが、それは私によく似た他者以外の何者でもという事ですね。

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posted at 03:55:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada ですから私は、独我論や人間機械論や予定説と同様に、100%の因果律や決定論もないと言っているのには、上記の理由に照らしての事です。

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posted at 03:56:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada しかも物質の動的移動は、生命にとって単に物質の移動です。ですから単に物資のアプリオリな働きを調べているだけ、観ているだけと言っているだけなんです。この辺り先生はどう思いますか?

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posted at 03:56:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

メタフィジックというのは、フィジックの前へですからね。万物流転の前へ、ですよね。だからこそそこには永遠というものがない。永遠という話を根絶するようなお話でしょう。@BeTakada この辺り先生はどう思いますか?

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posted at 03:58:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

冒頭 twitter.com/sunamajiri/sta... から触れたように、カントの形而上学性の暴露というのは、新カント派の認識論性の暴露なのです。認識論では時間がクロノスのままだからでしょう。そのままではポンティではないが、永遠性が問題化してしまうかもしれない。@BeTakada

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posted at 04:01:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ハイデガーはGA3で、十把一からげに新カント派的認識論は、カントの形而上学性に気づいていない転倒だ、と言っているわけです。それはGA24でカントの被制作性が暴露されたという木田元より根源的なのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 04:04:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

これを逆算すれば、カントを形而上学ではなく認識論と信じてしまう新カント派、つまり認識論が、もっぱら信仰のようなもので、存在論的ではない、というようなことでしかない。@BeTakada

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posted at 04:05:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

前に発問したように、存在論は形而上学性を暴露(脱構築)して解体した先にあります。だからこそスピノザのような自然即無限のような実在論が退けられているだけで、単に絶対者や被制作性が解体されたわけではない。より強力なのです。@BeTakada

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posted at 04:07:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ちなみに、構想力は場ではなく地平です。場はおそらく悟性と感性かもしれないが、その根である構想力は地平であり、時間です。言い換えると感性が悟性を与えるのでも、悟性が感性を与えるのでもなく、時間=構想力が地平になる時、悟性や感性が与えられるのです。@BeTakada

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posted at 04:09:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

おそらく、タカ基地さんが踏まえているGA25の三種の綜合は、地平融合以前です。地平融合とは構想力が時間地平になることです。場時間ではなく地平時間からすれば、カントの形而上学性=認識論性=非存在論性が喝破される、そういう具合です。@BeTakada

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posted at 04:17:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

去年来一貫していっているのは、永遠性や不死性をどう乗り越えるか、という話です。乗り越えないと死ねませんからね。これが存在論だとすれば、認識論ではそれはどうやら乗り越えられない。そのあたりどのようにタカ基地さんが咀嚼したのかが気になるところ。@BeTakada

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posted at 04:19:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

構想力が地平になる時、感性(表象)と悟性が同時的に生まれる。つまり、時間が非地平の場合、悟性(論理)は表象を与えない。これは先日来の、アルゴリズムは意識の起源ではない、というタカ基地さんの起源論ないしハードプロブレムを髣髴とさせるので気になるところ。@BeTakada

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posted at 04:25:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

地平時間が表象の根源で、起源が時間を表象するのではない、という地平時間という問題は、もう一度ここに立ち返ってみて下さい。twitter.com/sunamajiri/sta... ちなみにカント書やダヴォース討論と言うのはこれを巡る論争です。けっしてフレーム問題ではない。@BeTakada

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posted at 04:29:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

これは意識には起源はなく根源があるということなのだが、それと、タカ基地さんの発問でいえば、万物流転が永遠の不在を実感させるということとは、何ら矛盾しないでしょう。ただAI時代に、アルゴリズムが意識=永遠の起源に見えるが、起源=永遠などないという共通した話題です。@BeTakada

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posted at 05:11:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

スピノザ批判以後、仕上がれらているのは、起源論と根源論の弁別です。時間を地平とみなす根源時間は、意識=永遠を生み出すが、その逆である、アルゴリズムや永遠が意識の起源になることはできない。意識には根源はあるが起源はない、そういう話です。@BeTakada

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posted at 05:23:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

意識は根源現象ではありえても起源現象ではない。つまり構想力は意識の根源だが、悟性(アルゴリズム)は意識の起源ではない。アルゴリズムこそ時間の産物であり、アルゴリズムは時間を生起しない。@BeTakada

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posted at 05:30:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

柄谷行人が、時間を構想力とするハイデガーの地平根源に対して、時間を場だとするトランスクリティーク以後、意識の根源に対する、意識=哲学の起源を弁証法するのも、永遠という悟性が構想力によって生まれる、というだけの話です。日本人は柄谷的な場時間が好きなようですが。@BeTakada

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posted at 05:34:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

端的に、起源論というのは、不明なものを探求する営為のことです。書きながら=語りながら、つまり探求の結果陥る部分否定、弁証法のことです。それに対して、根源とか永劫回帰というのは、輪廻や永遠のことではなく、全肯定=説明文のことです。そのどちらで語るかですね。@BeTakada

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posted at 05:49:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

つまり、結末を探りながら慎重に語ると、部分否定しかねないところを、そういうところに頓着せず、大胆に説明文を書いてしまうと、私のようにあらゆる部分否定に足を引っ張られず、全肯定的に、あるいは網羅的に、全部語り尽くしてしまう、というようなことです(笑)。@BeTakada

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posted at 06:03:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ハイデガー的な二重襞(存在論的差異)で喩えれば、実在する存在者(物)から慎重に探求を開始すると、語り得ないことを部分否定、止揚として捏造してしまうのです。しかしそれは存在しているのです、部分否定などお構いなしに。それを全肯定(一重襞化)する、語り方の方法論です。@BeTakada

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posted at 06:06:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

したがって、永劫回帰というのは永遠とか輪廻転生という、三島由紀夫が好きそうな事柄ではなく、単に部分否定をする探求(懐疑主義)を懐疑する方法的懐疑の語り方の洗練のような話でしょう。@BeTakada

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posted at 06:09:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

タカ基地さんが、時間論=量子論と発問するのも、量子を表象のように、眼前存在者に素朴に対象化する懐疑論ではない。存在者(表象)から探求すれば、存在(現象)は部分否定されてしまう。存在者(対象)は存在(現象)を表さないのだから、という存在論的批判ですよね。@BeTakada

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posted at 06:22:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

このように量子は表象でも起源でもない。こうした起源論批判を、私はスピノザ批判と見なしたのだが、ハイデガー以後どうなったかは、私は中田光雄のこの起源論批判が一番分かりやすかった。タカ基地さんに感想を伺いたい所。amzn.to/2hetPK5 @BeTakada

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posted at 06:29:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

冒頭に戻ると、タカ基地さんが時間を地平ではなく場だと表象化するのは、GA3がミッシングリングなだけです。古書が高騰しているのでぜひ図書館へ。デカルトを解体するスピノザにとっては、万物は無限=汎神論で、時間すら原因から生まれてしまうが、量子論では有限でしょう。@BeTakada

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posted at 07:59:10

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