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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年12月08日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

タカ基地さん、これはあくまで読解上の作業的なもので、個人攻撃のたぐいと誤解されるようなものではないので、フォロワーさんとの整合もあるので、あえてこちらでレスりますね。対話型読解メモだとお考え下さい。@BeTakada bit.ly/2h79Bpg

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posted at 04:34:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ハイデガーのカント解釈とは、カントが感性と悟性という2つの幹に言及するも、その発生源たる根に言及していないという批判です。それは構想力だが、カントが構想力の威力に言及するも、それを悟性に繰り込んでしまった。構想力とは綜合だから、それでは分析しかできない。@BeTakada

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posted at 04:46:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

また、新カント派には範疇的直観(フッサール)がない。だからこそ、このカントが悟性に繰り込んだ、構想力に言及できず、それを謂わば神話にしてしまった(カッシーラー)。それに対して、範疇的直観からは、時間とは構想力である、というものです。@BeTakada

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posted at 04:46:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ハイデガーのカント解釈では、カントが、構想力を直観しながらも、それをカントが真理として前提出来ず、隠蔽したことが問題なのです。物自体は認識できないが、真理前提が隠蔽されていることで、現象も認識できない。そうハイデガーは暴論を言明できるか、という話です。@BeTakada

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posted at 05:14:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

里見氏は「(恰もハイデガーは時間が触発すると言いたげだが)、触発するのはあくまで対象であり・・・ハイデガーは無理に、時間を力と解釈している」というわけですから、ハイデガーからの退却、つまりハイデガー批判なわけです。これが今までの私の読解との違和感でしょう。@BeTakada pic.twitter.com/8gjN8XQqSj

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posted at 13:41:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

里見氏がその箇所で批判したGA25-391とGA3-189以下、つまりカント書の純粋自己触発の節をPDFにまとめときました。bit.ly/2hiwZkl 里見氏の、いわばハイデガー批判は妥当ではないでしょう、というのは~ @BeTakada

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posted at 13:47:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

里見氏にとっては「有限性」は自明の前提のようだが、ハイデガーが有限性に到達するのは、将来が触発する現在、先駆的決意性をもたらす時間の地平性であり、時間地平が対象を与えるのであって、対象が時間を触発するのではない、というのがハイデガーの言う有限性だからです。@BeTakada

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posted at 13:51:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

確かに、カントの純粋自己触発と、ハイデガーの純粋自己触発は異なる。ハイデガーの純粋自己触発をカントのそれだと誤読すれば、ジャーゴンのレベルで意味不明になるでしょう。里見氏のその箇所は、カント書の単純な誤読と読めました。@BeTakada

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posted at 13:53:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

タカ基地さんが、里見論文に違和感を表明する bit.ly/2h79Bpg のは、もっともでしょう。対象としての自己、あるいは自我は何も触発しない。時間が力のように触発するから自我が有るのだ、というハイデガーの逆説を、里見氏は読めていない。@BeTakada

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posted at 13:56:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

これと同じことが、中島義道『カントの時間論』が、時間を物自体と捉えることへの批判で散見されるようです。どうしても、カントを自我が対象となり触発する論理学だと思いたい人達がいる。それに対して、ハイデガーは時間が触発するから自我が対象化される、といっているだけです。@BeTakada

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posted at 13:58:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ところで、ハイデガーのカント批判としての純粋自己触発論(対象ではなく時間が自我を触発する) bit.ly/2hiwZkl を解題するのも、比較的容易です。それは、タカ基地さんの言葉で言うと、主客分裂への違和感と同じようなことでしょう。@BeTakada

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posted at 14:22:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ハイデガーが、カントは対象が触発すると言っていない、という純粋自己触発論は、カントが「我考える」(コギトエルゴスム)を、恰も常住不変、つまり霊魂の不死性のように自明化、つまり曖昧化したことへの批判です。@BeTakada

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posted at 14:25:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

タカ基地さんは自称に即していない言明は下らない、とツイートしたが、そのとおりであって、常住不変が事象に即していない、あるいは潜勢的なのです。@BeTakada

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posted at 14:26:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ハイデガーの言明が現勢的なのは、常住不変を前提とするような、カントの制度的とも言える読解への批判であり、だからハイデガーはかなり無理な言い方として、時間が対象を触発する、というわけです。こう表明した、つまり命題化した意味が問われなければならないのでしょう。@BeTakada

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posted at 14:28:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

中島義道の『カントの時間論』が、カント的というよりハイデガー的です。時間は内的ではなく、外的である。つまりアプリオリであり、物自体であるというのです。時間が自我を触発しているというのは、まさにカントというよりハイデガーなのです。@BeTakada

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posted at 14:31:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

その点では、中山康雄『時間論の構築』は、同書冒頭で繰り返し断り書きが付されるように、実在論であり、ハイデガー的な意味での時間論ではない。かろうじて固有時間という術語が登場するが、十全とはいえないと、私は以前から見立てています。@BeTakada

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posted at 14:46:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

固有時間(各自の時間)というよりは、各自の時間地平なのです。さもないと、おそらく有限性というハイデガーのテーゼは生じない。里見論文にあったような誤読が生じるということです。こうしたカント書誤読が、制度化しいたのではないか、というのが新たな疑問としてわきますね。@BeTakada

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posted at 14:46:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

國分功一郎がドゥルーズ『カントの批判哲学』に読みやすい解説を付けてるから、お読みなることをお薦めします。一言で言うと、ドゥルーズはカントと同じで構想力のやり場がなく一者(トヘン)に寝返るのです。晩年にカントの時間論を計画するも挫折し自殺する。@BeTakada

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posted at 14:56:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

要するに、ハイデガーには、こうした煩悶がないのです。あれだけ回りくどい、のたうち回るような語りであるにもかかわらず、ハイデガーにだけは、この構想力のやり場のなさと、一者への回帰という願望がない。それがなぜなのかは、タカ基地さんにはお分かりのはずです。@BeTakada

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posted at 14:58:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

カントがそうであったように、ドゥルーズも時間を構想力と捉えない(そう捉えるハイデガーに批判的です)。それ以上にベルクソンの持続と捉える。国分氏によると、それは自然の偶然性への退却だそうです。時間論から因果論への退却なのです。スピノザのように。@BeTakada

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posted at 15:07:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

こうした因果論への退却、ハイデガーはそこから限りなく自由です。そのどこに論争があるんでしょう? ハイデガーがカッシーラーを単なる神話学だとしてやり込めたじゃないですか。それ以後、どこに論争なんかがあるというのだろう。私はそんなものはないと思います。@BeTakada

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posted at 15:09:02

2016年12月09日(金)

A・タブッキbot(作成中) @A_tabucchi

16年12月9日

時間についての研究書でした。その中のある文に、私はひどく考えさせられましてね。こんな文です。『ある瞬間から、宇宙には〝時〟が存在し始めた』。この文を書いた科学者は無責任にも、『この概念はわれわれの理解の範疇を超えている』とも書いています(「ダマセーノ・モンテイロの失われた首」)

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posted at 16:43:33

2016年12月11日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

起きた。午後から生徒さんだが、起き抜けメモでスッキリ。昨日は、存在=基礎づけは時間である、という理想社版『物への問い』近藤の解説、つまり「我思うに対する、我時間を考える故に存在する」に関して。bit.ly/2hlrTUf

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posted at 10:08:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

今日は、米文学のラポパートのデリダ批判と入谷時間論のハイデガー批判の言語論的転回(言語=時間性)をめぐって。bit.ly/2hjQeXV twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 10:08:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

両者を接合すると、アナクシマンドロス論としての郵便論は、なぜ我思うだけれで、我時間を考える故に存在に至らないのだろう。つまりカルテジアン(延長論や表象論)から、なぜハイデガリアン(奥行論というより存在論)に至らず、彼らは形而上学的なのだろう。

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posted at 10:14:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

それにしても、TLは、なんでいまさらカルテジアンなんだろう。カルテジアン(とくに延長論)の妥当性というより、ハイデガリアン(奥行論)を言表することの、妥当性という土俵であるに過ぎないのに。bit.ly/2gNhDA9

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posted at 10:15:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

時間が存在=基礎づけであるとは、我思うだけではなく、時間を考える超越論的我が、自我の存在の基礎づけだ、というだけの単純な話であるのに、なぜ彼らは時間を考える=基礎付け bit.ly/2hlrTUf 、つまり物自体を放置しているのだろう?

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posted at 10:18:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

つまり漠然とした思いが存在を基礎づけている(形而上学)というよりは、厳然と時間を思考することが、自我の存在の根拠を言い当てている(存在論)、という単純なことが、またしても延長論と奥行論の相克に差し戻されているのだが、これとフリードマン史観をスッキリ接合する方法はないものか。

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posted at 10:29:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

ラポパートがいうように、米文学から始まった、デリダ批判(ホフスタッターの反知性主義論)に対して、たしかにデリダはハイデガーからユダヤ教(固有名)に転回ならぬ転向しただけだが、ホフスタッターのほうがよほど反知性主義的だ、という話であるはずだ。

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posted at 10:31:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

日本では文系以上に理系の閉塞だが、こうした反知性主義の震源は(ラポパートがいうように)、さしあたりホフスタッターのGA24解釈が、木田元のカントの被制作性=形而上学以上に、デリダ批判たり得なかった、という理路にあるだけだが、こうした郵便論がなぜ日本では存在論からの退却になるのか。

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posted at 10:36:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

つまりなぜデリダのように、転回としてのテクネーを終末論と捉え、ユダヤ教への転倒が生じたのか。反知性主義とはむしろそちらのことであるはずだ。共通するのは、木田元とホフスタッターのGA24解釈。ホフスタッターの反知性主義に対して、木田元のカントの被制作性暴露=形而上学だ。

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posted at 10:41:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

確かな言い当て、言挙げ、表明とは、時間に基礎づけられた存在(自我)の言表だが、それは単に被制作性暴露=形而上学や反知性主義では済まされない。この問題を取り出せないのは、カント書論~フリードマン史観論がGA31での表明性を、扱いきれないからだ。

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posted at 10:43:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

昨日のメモ bit.ly/2hlrTUf のようにハイデガーのカント解釈の表明性は、むしろGA31の因果論に対する時間論の表明で、それがスピノザ的な因果論に対する、迂遠なカントの批判だ、という私の最近の言い方に接合されているはずだ。それ以外は形而上学である。

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posted at 10:45:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

bit.ly/2hlrTUf ハイデガーのカント解釈の表明性は、むしろGA31の因果論に対する時間論の表明で、それがスピノザ的な因果論に対する迂遠なカントの批判だ、という私の最近の言い方に接合されているはずだ。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 10:49:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

これ以外(つまり被制作性暴露としての固有名)は、すべて非存在論、あるいは形而上学であり、それは存在=自我の基礎づけとしての時間性、アプリオリテートに対するテンポラリテートではなく、格律(表明性)ではなく、単なる宗教だ。

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posted at 10:50:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月11日

さて、音楽教室の頭に戻れてきた。霊性(と解釈すること)を全面的に許す=全肯定だけでは、音楽にならないからだ。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 10:53:21

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