大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2017年04月01日(土)
@BeTakada 不労所得者は食うべからず、という第一次大戦前後の終末論は、間違った時間の形式だ、というハイデガーの形式的告示 twitter.com/sunamajiri/sta... 、つまり論理性というのも、不労所得者を排除しないんです。むしろ、問題は、投資先のない閉塞、終末論の方。
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posted at 00:03:38
@BeTakada 「不労所得者のくせに剰余価値で食べやがって」という単なるジェラシーを論理的と受け止めてしまうと、じつは端的に論理学的な矛盾だ、というのがハイデガーの時間論的論理学の告示した形式と言っても過言ではないと思います。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 00:04:35
2017年04月03日(月)
めずらしく、カント読者がいらしたので、哲学的コメンタリー、デカルト的な霊魂に対することとしての批判、霊魂が時間ではなく、時間こそ霊魂だ、というハイデガーのアリストテレス~カント霊魂論の読解のご紹介でした。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 01:06:51
ツイートまとめ(^-^)/ 近代的自我=霊魂を前近代と転倒し、「私は私なのか?」と問い続ける日本的近代特有の不死性=哲学的宿痾の話。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 01:28:26
2017年04月04日(火)
@BeTakada それは、デカルトの《思う我》では寧ろ以前からの《我々》のことで、それは「真理前提」でもなんでもいいが、時間を漠然と思うだけの我々なのです。だから、以前、漠然と思うだけの我=我々から、時間を厳密に思考する我=私、という話をしたのです。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 23:53:52
2017年04月05日(水)
@BeTakada 日本人はイギリスを経由すると訳が分からなくなるらしいが、オックスフォードのストローソンのカント学も、カントの「私」の「非我々性」bit.ly/2n7sJHO を、カントの霊魂の誤謬推論から要請されてしまう。しかしハイデガーは、この手の話を要請されないのでしょう。
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posted at 00:03:07
@BeTakada ここで仮象とは霊魂の非物質的実体性というカントが批判するデカルトの形而上学です。しかしこうした弁証論自体、一般形而上学=合理的心理学=デカルトの霊魂概念と、特殊形而上学=宇宙論と神学という旧来の枠組みで、ハイデガーなら問題にもしない。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 00:15:09
2017年04月06日(木)
@BeTakada タカ基地さん、またぞろこれ? bit.ly/2ocN2CI 実在するかしないか問題は、卵が先か鶏が先か問題より、質悪いのよ。なんで実在しないのよ? @BeTakada 似非知識人が蔓延している、気持ち悪いなぁ...
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posted at 17:43:01
@BeTakada なぜそれほど実在していないことにしたがるのか。何かを実在させられるとでも思っているのか。この前触れたように、熊野純彦が、埴谷雄高に見るのも、そうした日本的近代特有のカントの誤読の仕方なんでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 18:04:36
実在していないらしい。twitter.com/sunamajiri/sta... 存在感という意味ではないが、存在感も陽炎のようだ。存在感の希薄なものが、何かの拍子に世の中にデビューなんてストーリー、ガラパゴスな村社会でゲンナリなのよ、個人で楽しめばいいのに。 @LitoSnowfield
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posted at 18:14:49
2017年04月08日(土)
だいたい、柄谷がカントは旅に全く出なかったが、旅に出たデカルト以上に、旅的だとかいうわけだが、さすがに旅に出ないタイプの人の話し方というのは、旅に持っていくには嵩張りすぎるから、常識的には却下なのだが、他の読み物では全く物足らないのだから仕方がない。
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posted at 00:33:01
@BeTakada カント書と物への問いといえば、熊野純彦の埴谷雄高論の冒頭がさり気なく要約する、従来未公刊だった廣松渉の修論『カントの先験的演繹論』がカント書を、地平は先保持ではなく、地平形成自体だというのは、物への問い未読だから?と読み始めた。bit.ly/2oMDjEb pic.twitter.com/Av3uLevgb6
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posted at 16:03:03
@BeTakada そもそも、地平とは先保持(志向)なのか現(生起)なのか、という議論であるのに、なぜか日本人は、実在しているのか否かという話題と受け取って、私は不在なのか、と発問するのも、現である地平を先と受け取るからか。廣松渉はカント書ではなく物への問いの原則論を、どう読んだのかが気になる。 pic.twitter.com/upG3KvrEQu
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posted at 16:08:40
@BeTakada bit.ly/2oMDjEb は、www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%8... と www.amazon.co.jp/%E5%9F%B4%E8%B... です。廣松とハイデガーのカント論、読み比べてみて。
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posted at 16:12:14
2017年04月29日(土)
性感帯の比喩である資本、つまり快感の彼岸である、終に先駆できない頽落というのは、日本では現実社会に蔓延した、生涯現役という反復強迫なのだろうが、たしかに反復運動が性感帯を発生させる以上、彼らはそれを止めないだろう。bit.ly/2oTyAgu
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posted at 02:42:49
資本主義や貨幣を存在論すると、性感帯を生む運動、つまり反復運動に行き着くのは当然なのだ。前から一貫してツイートしているように、カント以後は、こうしたオナニズムしかない。それに風穴を開けたのがハイデガーであるとしてもだ。人はなかなか資本=性感帯の彼岸へは突破できない。
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posted at 03:02:59