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2017年06月07日(水)
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「おちるとこまでおちたらいいよって前言ってたじゃないですか」って言ったら「いや私はいくとこまでいくといいよって言ったんですよ」と言うので(えーなんてうかつなんだよ私は)と思う。(どうしていつもこんなに決定的で致命的にうかつなんだよ)と。でも「うん。わかってました」って言ってしまう
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posted at 22:31:01
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で、なんで溝口映画は巻き込まれてるのに巻き込まれてない感が出るのかというと、(記憶で書くけれど)バストショットや顔のアップ、眼や瞳などをほとんど意図的に撮らないからなんじゃないかと思う。要は人物の内面の焦燥や決意がわからず、構図で判断するしかないからではないか
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posted at 12:31:15
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人から「溝口健二の『近松物語』みたいな死に方するんじゃないかと思ったんですよ」と言われて「え、いやだよ」と思ったが、そう言えば溝口健二の映画って〈巻き込まれ型〉が多いんだなあと思う(『雨月物語』『山椒大夫』)。巻き込まれるが、巻き込まれてるのを感じさせない距離感が溝口な気もする
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posted at 12:28:47
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この映画は三角関係ができそうな構図をあちこちに用意しながらその三角関係を外していく。三角関係の肩すかしをくらわせる。主人公はパートナーの女の子とは友情を結び、同性の恋人と恋愛を育みながら、三人の友情関係をつくっていく。愛のカテゴリーに縛られず関係を育む明るいヒントがある気がする
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posted at 12:08:12
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また異性愛をシリアスに描くものの、それは高齢の異性愛というシルバーの恋愛をテーマにしていたのも面白い。最後、祖母が抑圧していた欲望を解放し、正装した姿でひとり静かにありとある洋菓子をむしゃぶり続けるシーンはとても素晴らしい(糖尿病だから自 殺をしたわけだが)。
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posted at 12:03:22
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映画『明日のパスタはアルデンテ』は〈ゲイ〉をテーマに扱っているが、面白いなと思ったのが同性愛を深刻に描かずさわやかにごく軽いタッチで描きながら異性愛をシリアスに死に比重するものとして描いている点だ。一般的には同性愛の方が重たく描かれやすいところをこの映画はさかさまに描いている
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posted at 12:00:37
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大抵の映画は、〈おっぱい〉は「はい見てくださいね」という構図のなかで展開されるのだが、アルトマンやペキンパーは「なんだか出てしまっているが俺にもよくわからないんだ」的な形でおっぱいが出てくる。こういう普段は支配的なコードで語られてるものに注意してみると映画がまた違って見えたりする
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posted at 11:51:12
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ペキンパーやアルトマンを観ていてわかったのだが、その映画を観ている時にその監督の価値観を知るのに、その映画の〈おっぱいのありよう〉を観ているとわかることがある。たとえばペキンパーやアルトマンは非常に無駄なよくわからないおっぱいの使い方をするのだが、それは彼らの物語そのものでもある
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posted at 11:48:17
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アルトマン映画のよさは登場人物たちの価値観をまとめあげようとしていないところにある。『ロンググッドバイ』の探偵マーロウの隣人の裸で踊る女のひとたちや愚かだが個性的なギャング、マーロウになつかない猫を見ているとよくわかる。でも映画の中に流れる歌だけが彼らをやさしくまとめあげていく。
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posted at 11:44:27
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ちょっとそれは幼稚園の感覚に近い。普段は群衆映画的に幼児たちはみな個人の嗜好や関心に基づいてばらばらにそれぞれの物語を生きているのだけれど、その一日の中で時折挟まれる歌の時間が彼らの群衆空間をまとめあげていく。彼らはまとめられるがそこに暴力はない。歌がまとめるのだ。だからやさしい
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posted at 11:42:03
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私はアルトマンでは『ウェディング』が好きなのだが、アルトマン映画を最近いろいろ観直していてアルトマンの良さは挿入歌によってところどころで分散しそうになる映画をまとめ上げていくところにあるんじゃないかと思った(アルトマン映画は隅々が濃いので)。その意味でアルトマン映画は、やさしい。
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posted at 11:38:45
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「なんで怒る人達ってボールで割れる窓とか盆栽もってずっと待機してるんですかね。割られるの待ってんじゃないかな。座ってね。いつか割ってくれる人待ってんじゃないかな。プリンセスみたいに。で、割られたら姫みたいに走り出しながら雷落とす。うれしくて」(「姫」『きょうごめん行けないんだ』) pic.twitter.com/rJtWVPc9qG
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posted at 03:54:57