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2017年07月11日(火)

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ちょって手紙の比喩で考えてみる。短歌は往復書簡のようなもので、五七五の手紙に、七七の返事がもらえたりする。その往復によって人称のゆらぎのようなものを楽しむこともできる。ところが五七五の川柳は、返事がもらえない。人称の返事はもらえない。そこで川柳は人称のショックで勝負する
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2017年07月10日(月)

『寄せては返すweves to break on the shore and retreat』
〝荒波が君を痛めつけてボロボロにしても
いつか過ぎ去るだろう。それは終わりじゃない。
寄せては返す。波はまた来る。
新しい、いい波が。〟 pic.twitter.com/hWgbODPyjm
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2017年07月09日(日)

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2017年07月07日(金)

またもや逃避行で愛媛県大島に来た。ヴァランダーが鬱の時にスカーゲンの浜辺をひたすら歩いていたようにM食堂の前の浜を歩く。 pic.twitter.com/HLrtCt5C5S
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2017年07月06日(木)

友じんたちは、「なんでなの。」と書いていて、私も、初めてゆく青森の、青森に向かう東北新幹線の席にすわりながら、なんでなの。と思って、でももう死んだゆう人たちは、しんでいるので、もうどこにもいなくて、私は中腰のまま高速で北上していて、ラブホの前のホテルに泊まり、明かりも海もみていた
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春に、横になって、たまたまもう亡くなった友人たちのブログをずーっと読んでいて、私は横になってることが多くて、友じんたちは亡くなったままでずーっとそこにいて、私はふとんからぱっと出て大阪に行ったり多摩に行ったり中野に行ったり青森に行ったりして、ゆうじんたちは笑ってて、私は生きていた
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2017年07月04日(火)

短詩幽霊に必要なのは、投稿しやすさと放置されるやさしさで、この投稿しやすさもかばんとおかじょうきの特徴になっている。締め切り五分前でも投稿できるようシステム環境が整っているのはとても有り難い事だ。幽霊は生者の郵便制度が使えない場合があるから(ネットは横たわったまま投稿可)。
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posted at 10:35:29

「かばん」と「おかじょうき」が少し似ているのは、これを書きなさいと言った強制的なイベントが殆どない事なのではないかと思う。また幽霊たちが存在できるスペースや気配があり、幽霊でいても苦じゃないな、と思わせる何かがある。島崎藤村じゃないが、幽霊でもなんとかして生きたい、というのはある
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posted at 10:29:19

放置されたい人がやっていくための短詩入門みたいな本があったら「かばん」や「おかじょうき」がお勧めされるのではないかと思う。私は何年もかばんやおかじょうきの人に全く会ったことがなく、ポール・オースターの幽霊のように短詩をやってきたけれど、そういう人がやっていける場所もあるということ
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posted at 10:26:23

短歌の「かばん」は歌会に出なくても何も言われないので放置スタイルが好きな人にはとてもよく合った場所だと思うが(ああしろこうしろがない)、川柳の「おかじょうき」も句会に出なくても全く何も言われずやはり放置スタイルが好きなひとにはとてもよく合った場所である(ああしろこうしろがない)
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2017年07月02日(日)
2017年07月01日(土)

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