地に足をつけたい
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2011年05月27日(金)
2年くらい前になくなった機能が復活ということなのかな。Twitter初心者が面白いタイムラインの見本を見れるのは良いかなと思う。 / Twitterで人のタイムラインが見えるようになった htn.to/zQ3ZvY
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posted at 10:26:24
日本のオタク評論には「物語史」みたいなものが漠然と共有されてて、漫画ラノベアニメなどメディアに関わらず物語という共通項一点で乗り越えた乗り越えてないみたいな話を進める印象が強い
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posted at 06:08:09
ストーリー要素がないわけではないギャグ漫画だとしても、それに対してストーリー漫画と同様の視線を向けることなんて多分漫画批評にほとんどなかったと思うんだけど、アニメ化された途端そうなるのは日本のアニメ批評が組み立てた「アニメ史」に組み込まれるからだよなー
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posted at 05:53:31
ワタシが驚いたのはギャグ漫画だと思ってた「日常」を物語(ストーリー)として評論する場面に出くわすことが少なくないこと。これは明らかにアニメ化のせいだろう。漫画の文脈で読んでたらアニメの文脈が加わった感じがする。自分にはこれは発見だった
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posted at 03:56:24
原作は単にギャグマンガとしての手付きで背景が薄いんだろうけど、京アニの心配りとしてそうなのだとしたら、たぶん、クラス内の立ち位置を描いてしまうと感情移入が阻害されるからじゃないかな。お、だとするとけいおんの時にうるさかった「俺の居場所がない」派のクレームが反映されてることにw
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posted at 03:42:56
普通だったら、ゆっこがクラスの盛り上げ役だったり、あるいはアウトローだったりするような背景も描かれると思うんだけど、意外なほどクラス全体との接点が描かれてないっていうのも面白い(廊下に立たされるのが生徒として最もマクロな描写だろうか……)
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posted at 03:40:04
宇野さんの読みの感覚に引っ張られた読みかもしれないけどw メインの三人娘がホモソーシャルな友情で繋がっていて、その周囲にヘテロな青春を送ってる連中が取り巻いていて、さらに擬似家族としてのラボが離れて存在してるっていうのは多彩だなあ
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posted at 03:31:42
京アニブランドとしてなら、ハルヒで特権者の集り、次にオタク学生、その次に「学校で輝いてる子たち」を描いてから『日常』というのは、子供に伝えたいものがハッキリしてる気もするんですよね RT @izumino: 「日常のくだらないやりとり… htn.to/ww4TZ1
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posted at 03:24:48
いや、『片輪車と雪女』の読後感はきわめてよいものではありますが。分量は短いといって差し支えないと思うが、不足感はまったくない。音楽はうるさいというか耳に残りすぎる感もあるけど、まず曲が良いし、使い方も適切。絵も取っつきづらいけど本当に作品で生きていて愛おしいです。
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posted at 02:46:13
夜中『ひぐらし』を読んでいてクライマックスに差し掛かったときとか。こりゃ寝る前に読み終わるな……と己の勘を信じて読み進めてもなかなか終わらなくて、頭のねじがひた巻かれ、眼球がみだりに鍛えられ、やがてクリック速度が光速を超え――唐突に最悪の後味をもって物語が終わりを迎えるあの感じ。
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posted at 02:34:55
終わるのかと思ったら終わらなくて、終わらないんだと思ったらふっと終わる、みたいな終わり方が好きなんだけど、ゲームは進行の度合いが体感ではわからないので媒体としてはたぶんいちばん向いている。
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posted at 02:25:49
『片輪車と雪女』、読み終わったー。これはたしかに話題にならなさすぎ。障害者向けデリヘル嬢とその客である少女との同性愛という重いというか特異というか、困難な筋立てではあるけど、切り詰め方と抽象性の差し挟み方が絶妙で、もう中盤から完全にこちらの感情を掌握されてしまった……。
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posted at 02:16:40
bit.ly/j2SvA8
河合克敏/久米田康治/椎名高志/曽田正人/藤田和日郎/藤原芳秀/皆川亮二/村枝賢一
90年代のサンデー作家て仲良いというか同士意識あって凄くホクホクする。僕は90年代サンデー作家はトキワ荘に通じてると思う
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posted at 01:09:03
別に大騒ぎしてゲームをしているわけじゃないけど。でも立ち上がってうろうろしたり、おもむろに山から本を取り上げてめくりはじめたり、感嘆や集中が身的アクションに振り分けられるというか、むしろ感極まれば極まるほど時間の進行を散らせたく、遅延させたくなってしまう。
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posted at 01:00:21
どっかの新聞に載ったらしき『ちゃんと描いてますからっ!』評でも写楽やシェイクスピアを引き合いに出して「漫画とは誰のものなのかを星里もちるは批評する」なんてもっともらしく書かれていたけど。それって単にあんたが勝手に考えたことじゃん、作者や作品に責任を帰せるなよなあ、って。
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posted at 00:19:31
2011年05月26日(木)
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『 @naoya_fujita
その例として、「伊藤計劃以後」のアニメ、とお題をおそらく振られているのにも関わらず、『ルパンvs複製人間』が「ゼロ年代批評」的に読める、と締めるこの(商業媒体の制約の中での振る舞いを含めた)戦略と覚悟は、僕には足りないものであったなぁ、と思った次第。
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posted at 22:24:08
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『 @naoya_fujita
これは僕が不用に論争を煽りたい、というわけではなく、藤津さんに媚びたい、というわけでもない。単に、アニメを評論するときに、ある支配的な理論を先入見として持つ「読み」がステレオタイプで、作品に届かない危険性に対する対抗軸のように、僕には見えるだけ。
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posted at 22:21:30
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『 @naoya_fujita
……藤津さんの評論の特徴として、なるべく作品(テクスト)に寄り添って、その意図を作品ごとに読み取り、それをアニメの問題と繋げ、自由ではない媒体で提示する、という技術があると思っている。それはあるひとつの「理論」で多くの作品を「読めてしまう」評論と真っ向から対立している。
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posted at 22:20:21
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『 @naoya_fujita
もちろん、僕はここで東さんが藤津さんを批判したことを問題にしているのではありません。……そして藤津さんは、今回の原稿で、自ら「ゲーム的リアリズム」でまどマギを読み、「読み」の問題を提示した。何があるかは鑑賞者によって読まれ、社会に開かれると。
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posted at 22:19:00
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『 @naoya_fujita
d.hatena.ne.jp/hazuma/2009071... これは、制約のある媒体の中で文章をなんとか書いて言いたいことをなんとか伝えようとする人が絶対に覚悟しなければならないことなわけで、基本的には正しいと思うわけです。
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posted at 22:17:26
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『 @naoya_fujita
以前東浩紀さんは「そもそも、数百字の枠で「○○を見落としているから貧しい」などという批判はだれにでもできるのです*2。なにか新しいことを試みることは、必ず、それまで触れられていたなにかを意図的に落とし、別のなにかを取り上げるという作業を伴うからです」と仰っていた。
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posted at 22:16:40
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『 @naoya_fujita
確かに朝日新聞の評は、評論としてまどマギを語りつくせているか。そうではないと思う。しかし、あの字数、あの媒体で「何をするか」「何を見せたいか」という制約の中の戦略を批判者は理解していないとは思えない。
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posted at 22:15:56
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『 @naoya_fujita
さてと、藤津亮太さんの『SFマガジン』原稿を読んで、ちょっと色々思うところがあった。以前、まどマギの評が朝日新聞に載ったときにいっせいに攻撃が行われたことを思い出したから。そしてそのときに「ゲーム的リアリズム」的にどう、と振られて、僕が口ごもった理由がそこに書いてあったから。
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posted at 22:14:20
今度は買い逃し注意!アイディア編集部による書籍「漫画・アニメ・ライトノベルのデザイン」発売、他 周回遅れ漫画ニュース yoicomic.blog24.fc2.com/blog-entry-222...
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posted at 20:34:36
本日、5月26日。《ゴースト トリック》NINTENDO DS版が、《NEW Best Price! 2000》として、お求めやすい価格…2000円で再登場します。
まだ遊んだことがない方は、この機会にゼヒ! 手にとってみてくださいね。 #takumi_gt
タグ: takumi_gt
posted at 12:52:32
りりかSOS最終回の変身バンクがいい例だけど、まったく同じバンクシーンでも前後の流れしだいで意味やテンションが全然違ってくるんだよねー。能面みたいな。・・・って前に同じ事書いたな。
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posted at 04:51:38
「ハッピーエンドだからバットエンドではない」とか、否定するならちゃんと対偶をとれるもので否定しないとだめで、前者が後者に包含されるような組み合わせで否定文を作る(「ハッピーエンドだから欝アニメではない」とか)のは倒錯してるという話かな。オチによって否定できるのはオチについてだけ!
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posted at 02:13:11
(→)例えばですが、セカイ系だというレッテルに対して「いや、登場人物が「世界には俺と彼女以外にも人がおるんじゃ」とはっきり言ってるからセカイ系から開放されとる」という反論は、まだちょっと危うい。何故それをあえて明言し意識しなければならないか考えれば、むしろ縛られてる(面がある)
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posted at 01:57:54
このお話は●●●だという批判に対して劇中で人物がそれを打破する言動を取るから違うんだ…て論法はちょっと気をつけたほうがよくて、解は問いの存在を温存する(否定や超越されるための対象を温存する)のでカウンターかました時点ではまだ呪縛は続いてる。そもそもそこを問題にしない次元に移らんと
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posted at 01:46:18
「そんなので楽しいの?」と言われたら、「別に楽しいことだけが楽しいわけじゃないし、例えば『美しい』は一般にいう『楽しい』とは違う感覚だけど、そういう感覚を得られるというのは楽しくないことでもないんじゃないかな」みたいな答えが
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posted at 01:11:51
なので「面白いとか楽しいといった感情をまったく抜きにして感動する」ことに価値を覚えることが自分は多くて、逆に「楽しい」という感情は基本的にやましいもの、百歩ゆずって良い意味でなら「きれいに何も残さないもの」くらいに考えていたりするのですが、まぁ、たいがいズレた感覚ですよね
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posted at 01:02:09
甲斐谷忍@カモのネギには毒がある5巻7月 @mangakap
お知らせです。集英社から新雑誌が出るのですがその雑誌名、僕のアイデアが採用になりました。「ジャンプX」と書いて「ジャンプ改」と読みます。「X」はギリシャ読みでは「カイ」なのですよ。jumpx.jp
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posted at 00:55:50
以前から「面白い・楽しい」を多用する語りというのは個人的にマネしたくないという意識が強くて、なぜなのか言語化したいのだけど、まぁ性悪説的に「人間はほっとくと悪事を面白がり、嘲笑を楽しがる」という人間不信が根っこにあるのだろうな。さっきのいちゃもんも本人が面白がれば「面白い」わけで
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posted at 00:49:31
なにかにいちゃもんつけたいときに一番ラク(だからこそ全く無自覚・無意識・悪気なくやれるものでもある)なのに、対象を「自分が気に入らないカテゴリ」という箱の中に入れて、その箱ごとこきおろすこと。非常に魔術的思考にとらわれた未熟な思考なので、自分としては頑張って回避したいと感じる自戒
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posted at 00:27:26
「妹の学校で禁止になったのはボカロ」という情報だけ得たが結局意味が判らない。妹の学校では「ボカロを連れてくるの禁止」 「ボカロとして振舞うのは(10年後に枕を抱えて叫びたくなるので)禁止」 どっちだ。
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posted at 00:15:25
エヴァ(庵野)の作家性って何だったのよ、と。太宰治を読むようにエヴァを読んだからそういうものが読めちゃっただけじゃないですか。予算がどうとか、自己啓発がどうとか、オタクがどうとか。世評を真に受けてあんな劇場版(アンサー的な、ベタにメタな)を作ってしまった彼らも悪いのだけど。
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posted at 00:07:03