まつど
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2017年05月27日(土)
最近の学生は麻雀をやらなくなってしまったようだが、麻雀には時間(積み牌=未来、手牌=現在、捨て牌=過去)があり、空間(東西南北)があり、積み牌の必然にサイコロと他者の介入(ポン、チー)という偶然が加わるなかで最善を尽くすというまさに人生の縮図があるのだがなあ。
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posted at 00:02:50
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人々の意識において法と社会がポキっと切断されている国を見たことがあるので、ドルゥーズの『マゾッホとサド』を読んだときに、納得した。だって、その国は法の認識があまりにもおざなりにされているため、法の上の形而上学もなければ、その帰結であるユーモアが決定的に欠如している。
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posted at 00:10:42
『夜明け告げるルーのうた』が完璧なのは、物語や人間の内面にはチグハグなところが目立つにも関わらず、そのチグハグな要素同士をオブジェクトや音楽が繋ぎ、歪にブリコラージュすることによって、作品的な何かが成立しているからだ。そしてチグハグなもの同士の出会いの生産力は作中の細部にも現れる
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posted at 00:24:23
すれ違う人間同士をしじみというオブジェクトが接続して、コミュニケーション的ななにかだけを残していく感じ(媒介たるしじみは、作中幾度か反復しシーン同士をも重ね合わさせる)とか、人間と人魚という完全に異質なもの同士が、出会いとも言えないような仕方で出会い音楽を作るのはマジでエモい。
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posted at 00:27:07
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重要なのは人間のみがエージェンシーではないことで、ノンヒューマンなモノたちの要請による準−主体的な内面と、ノンヒューマンとの対位法染みた衝突を通して成立する頑固な内面が、同じことの表裏であり、その逢魔時のような世界観を抜けた先に迎える夜明けにおいて、初めて人が主体的になることだ。
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posted at 00:31:41
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立命館大学の人工知能学会発表論文の一件で改めて思ったのは、隠喩の定義を理解していない作家、学術関係者、出版関係者が大量にいるんじゃないかという疑惑である。詩人が隠喩を多用して意味をぼかすのに対して、作家は言い換えは多用するが、隠喩だらけにして文意を読み取りにくくすることは希だ。
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posted at 01:49:19
たとえば、男性器を陰茎、剛直、ペニス、チンポと言い換えることはあっても、「俺のチンポはメタセコイア」みたいな隠喩表現はまずしないと思うんだが。そもそも、こんなのが大量に書いてあったら、オナニーに集中するのは無理じゃないか? 隠喩って、実質的には明喩の省略表現だよ。みんな大丈夫か?
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posted at 01:58:58
うーん……ひょっとして造語を隠喩カウントしているんだろうか? 出版業界に入った当初から、隠喩の使い方を間違っている人間が大量にいるのには辟易しているので超気になる。
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posted at 02:08:43
@yotsuba11 メタファー好きは何故か比喩表現をことごとくメタファーにしようとする傾向があるんですが、「男性器はまるで陰茎のようだった」と明喩にすれば明らかなように、陰茎は男性器の比喩では無いんですよね。「AはBのようだった」で通じない単語の組み合わせは隠喩では無い可能性が高いと思うんですが。
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posted at 02:13:16
AIを利用し始めて、余裕ができたら、なんとなく他分野の仕事もやるようになった。
例えば、プログラマーだけど、
AIのおかげで、ビジュアルデザインもやるようになった、映像も編集するようになった、と「複業」化が進むと思うのです。
twitter.com/commonstyle/st...
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posted at 09:20:26
声と文学 / 塚本 昌則(平凡社)文学の核心にある声 声をめぐるパラドクスを軸とした論集 dokushojin.com/article.html?i...
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posted at 10:14:01
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その知識だって、うろ覚えなんかよりも信用の置ける情報源に当たる行為というか習慣の方が後に繋がる。でも入試はそれに対応できていないし、受験勉強だってそういう学習にはなっていない。そこを是正できればいいんだけど、制度的になかなか難しい。
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posted at 18:50:41
『君の名は。』についての拙評「恋する彗星」に対する長文の批判。自分の書いたものについてこれだけの文字数を費やして反応してくれたこと自体、(皮肉ではなく)素直に光栄に思う。
sabreclub4.blogspot.com/2017/05/blog-p...
さーべる倶楽部: 「作者よりエライ批評家の俺様」という批評
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posted at 19:50:31
ただ、批判の内容はいささか的を外しているように思う。まず、主観ショットの使い方がおかしいのではないかという指摘に関しては、僕の書き方が誤解を招くものであったのは確かだと思うけれど、間違っているわけではない。
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posted at 19:51:11
「彗星の主観ショットで幕を開ける」というのは、まさに最初のショットがそうだと言っているのではなく、冒頭のシーン内に彗星の主観ショットが含まれているという事実に基づいて書いたもの。映画には、落下する彗星の視点から地上(湖)を見下ろすショットが間違いなく含まれている。
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posted at 19:51:42
それから、僕の文章は「彗星が恋をしている」ことを映画作品に即して論証するためのものではない。それは非人間的な主題を導入するためのレトリックの一部でしかない。「もしかしたらそういう風にも感じられるかもね」くらいのことで、当然、作品のすべての細部がそれを支えているとも思わない。
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posted at 19:52:12
したがって、その点に関して「論理破綻」あるいは「根拠薄弱」と言われても、それはそうだろうと言うほかない。僕は「恋する彗星」を何かを論証するための論文として書いたわけではない。
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posted at 19:54:28
(とはいえ、それこそ小説であれ批評であれ、書き手の意図などどうでもいいことなので、僕の意図などによらず、僕の文章を読んだ人が感じたことを好きなように書いてくれて構わないわけだけれど)
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posted at 19:56:03
この方は、僕の文章中にある「作者のつまらない意図」という表現に引っかかりを覚え、そこに「作者よりエライ批評家の俺様」意識を見出しているのだけれど、これに関してはなかなか鋭い着眼だと思う。とはいえ僕自身はそんな「つまらない意図」でわざわざ批評を書いているわけでもない。
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posted at 20:04:26
作者に見えていないことが批評家に見えることはある。しかしだからといって両者の間に序列があるわけではない(批評家の方が作者より偉いわけではない)。それは当然。この部分に関しては批評家としての「自負」を見て欲しかったところではある。
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posted at 20:04:32
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後藤明生でもっとも挾み撃ち的な場面って、「ああ胸が痛い」の前から来た「キチガイ夫婦」に痴漢扱いされ、後ろから来た警官に挾まれたところか。警官に深夜に出歩いていたことをとがめられ、痴漢扱いが狂言だと言うことがわかっているのに交番に連れて行かれたのは、もしかしたら実体験だろうか。
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posted at 22:08:17