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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年10月13日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

最近の私のツイッター利用は、ハイデガーを読むためにあるようなものだが、それもツイッターだから自然に読めてしまうところがある。ハイデガーの存在論とは、コトバが自然に生まれることだが、それがツイッターにはあるからだろう。精神分析のカウンセリングや、学術論文にはそれがない。

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posted at 07:28:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

それは、なにか秘めたるものを前提としたコミュニケーションということでも、同調圧力を前提とした空気感でもない。だから精神分析が取り出すようなコトバでもない。もっとコトバそのものが必然的にあるようなこと。それがハイデガーの主題だし、それがツイッターにはあるのだ。

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posted at 07:31:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

以前、中嶋先生が、法律のいう明文が、コトバを秘める日本人には文化的に馴染まないことを話題 twitter.com/sunamajiri/sta... にしていたが、コトバというのは契約のコトバがそうであるように、心に秘めることが出来ず、思わず顕在化することなのだ。

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posted at 07:38:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

そういう、自然なコトバの生成、つまり存在であることが、自然にツイッターでは現象してしまう。それが他人に見られている、という空気感のことでもあり、秘めたる自分にたどり着ける、ということでもある。それがカップルだと、他人に見られて、自分を偽らなくなる、というのが神話的なレベルだ。

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posted at 07:40:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

そうした、神による仲裁、神による裁定、というフロイト派の戦後 twitter.com/sunamajiri/sta... も、そろそろ終わろうとしている。そのことで秘め事されてしまったコトバ、偽りだらけになってしまったコトバが、空気を察してぬくぬくと発露しはじめている。それは実に快いことだ。

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posted at 07:52:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

ハイデガーというと、頽落や非本来的なお喋りを、単なる疎外に重ね合わせる人を見掛けるが、他人によって抜き差しならぬコトバを共有できるようになること、つまり端的に同意に到ること、それが本来の黙すること、無記ということだが、沈黙とはむしろハイデガーのようにお喋りなのだ。

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posted at 08:03:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

ハイデガーのお喋りは、いわば親切心 twitter.com/sunamajiri/sta... なのだが、世界で戦後思想となったフロイトに、こうした親切心はなく、彼には神に取って代わるという野望 twitter.com/sunamajiri/sta... しかないのは、明白なのである。

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posted at 08:11:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

日本では、コトバは黙して秘めた心のことで、それを共有することが滞る、というのはフロイトのような神の仲裁では、おそらく解決しない(柄谷が言うように抵抗にあうだけだ)。黙するのは無記だからにすぎないのであって、それを顕在化させることに、本来のコトバの営みがあるわけではないからだ。

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posted at 08:15:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

ツイートまとめ(^-^)/ コトバとは秘められたものではなく、顕在的なものなのだ。
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 08:19:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

構造主義も精神分析もポスト構造主義も、コトバの自然な発露に、何か恣意性を付け加える。それが取り出す深層には、コトバ=存在という自然なコトバの発露がない。精神分析自体が屈折そのものなのだ。コトバは深層的に秘められていると前提する彼らが、猜疑心に囚われているだけなのだろう。

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posted at 08:48:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

昨晩、規定と根源の違いが、関係としての縁起と、無関係としての時間の違いだ、とツイート twitter.com/sunamajiri/sta... したが、その最たるものが深層表層という関係に、コトバを還元する間違いなのだ。

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posted at 08:49:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

規定と根源の違いは、関係性は規定できるが、根源は規定できないということだ。それが色蘊を空に関係づける縁起という規定が、無記であることの規定になるといったようなことなのだが、存在論=有記が関係論ではないのは、関係の規定ではなく、時間という根源に言及するからに他ならない。

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posted at 08:51:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

この存在論(有記)と、仏教のような無記の違いは極めて大きい。しかし結局同じことを言っている。仏教では五蘊を空に関係づける規定によって黙する無記が語られるのだが、存在証明を退ける存在論(コトバの発露)では、コトバは顕在的であるので、その深層ではなく根源の所在が時間に規定されるのだ。

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posted at 08:53:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

これは当然、因果律と時間の大差である。原因と結果という両端、つまり第一原因から終末論に到る、コトバの深層や因果律の内部性が解体されてしまい、根源の所在である時間が、直接関係性を規定し、一義的なコトバの発露、おそらくは言挙げを齎す。この宇宙観の違いはあまりにも大きい。

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posted at 08:57:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

精神分析や構造主義、つまり関係論が恣意的に付加するものというのは、神の視点である。関係には規定が必要だが、その関係としての構造を規定する根拠を、第一原因に置くこと。この精神分析のオイディプス的循環は、付加された恣意性である。

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posted at 09:01:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

彼らのいう転移が恣意的なのは、文字通りカントが確定した神の視点、根源的直感・第一原因を、生産的構想力と混同するからだろう。しかし、それは恣意的な混同だ。おそらく転移が生産的構想力とならないのは、単に根源的直感を疎外のことである派生的直感と混同しているからなのだろう。

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posted at 09:12:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

このように、転移によって恣意的に深層を表層に齎す関係論は、仏教の場合のように、無記の規定の所在を確認できない。よって神への信仰に頽落してしまう。それに対して有記である存在論が、神の存在証明とならないのは、根源の所在論そのものとなるからだ。

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posted at 09:14:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

このように、関係論は何も語らない。関係論は規定性に担保された空論なのだ。それに対して、無規定性そのものから、根源の所在に言及することを、本来の語りというのだ。仏教が関係論ゆえに黙し、その沈黙が存在証明を招くのはそのためで、存在論はそうした頽落を気遣うのである。

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posted at 09:34:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

それが点ということなのでしょう。ハイデガーは時間の点性は幻想だと言っているんです。点はゼロだけど、時間は空間的にはゼロではないという。まあ、アリストテレス以来、時間が点時間と規定され、それゆえアリストテレスの形而上学が間違って伝わったという話なわけで。@inja650rr

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posted at 22:51:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

隠者君は、頽落というのもネガティブに捉えるようだね。日常のお喋りが頽落なのはポジティブなことなのよ。そうしたお喋りに引き換え、従来の形而上学、時間を空間的な点として無化するあまり、第一原因の存在証明に陥るような従来の形而上学が、くだらんと言われてるだけだよ。@inja650rr

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posted at 22:58:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

そのチャットは端的に、構造主義や関係論でたどり着く深層は、まだまだ上辺で、他人が無責任に認識論をしている段階に過ぎず、根源とは、表明する当人の確信する真理のことなんでしょうね。他人がとやかく言えないということですね。(続く)@inja650rr

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posted at 23:47:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月13日

(続き)それをアリストテレスが霊魂というも、時間を間違ったため、デカルト以後もヘーゲルで関係論に頽落した。それでハイデガーが表明の根源は時間だというのでしょう。ちなみにハイデガーでは真理とは単に同一律のことです。bit.ly/1LIGTPo @inja650rr

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posted at 23:49:17

2015年10月17日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月17日

言い直すと、超越論が形而上学でないのは、無規定性から規定性に転回してるからで、超越論が無限後退に見えてしまう人は、無規定性に陥っていることになり、超越論的規定から超越論を見ている人は、端的に方法が見えるというだけなんだけどね。@BeTakada @inja650rr

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posted at 02:43:37

非公開

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2015年10月20日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

先日の「始まりのハイデガーシンポ」のことについて、考えている。twitter.com/sunamajiri/sta... 初期ハイデガー(つまり『存在と時間』において解消するハイデガー)はセムや旧約への言及を回避するのだが、それはこれによって、新約的な歴史性が完全に払拭出来たのかという論点。

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posted at 13:53:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

先日のシンポは、第一部第二部とも、書籍『始まりのハイデガー』を、大御所が批判的に論評するという形になったのだが、まず第一部の神崎繁先生は、古典哲学からハイデガーのストア派~セム回避の意味を問うていた。bit.ly/1OPs9DD

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posted at 13:58:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

私は最近、ハイデガーのカント書の時間規定を話題にするとき、カントまでを潜勢的霊魂規定(心身二元論)、ハイデガーからを現勢的霊魂規定(一元論)と術語化しているが、神崎繁先生は「分裂型葛藤」と「振幅型葛藤」(一元論)という術語を使う。 pic.twitter.com/qd9ozrcPkt

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posted at 14:05:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

要するにこういうことだ。初期ハイデガーには、カイロス(好機)が本来・非本来に分裂する形式的告示があるのだが、それはストア派やスピノザを回避することで可能になっているのであり、存在と時間~カント書での時間の規定化とは、ストア派~セム的な一元論を歴史的に扱わない、という態度なのだ。

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posted at 14:09:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

ここで、ギリシャ古典哲学者の神崎繁先生が、初期ハイデガーが回避したものは、ストア派であるばかりか、セム的一元論だと、ハイデガーの形式的告示(フッサールのエポケーに相当する方法的懐疑)に疑問を呈したのは、極めて鋭い。 pic.twitter.com/CiWccDy8Zf

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posted at 14:11:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

神崎繁先生は、このセム~ストア派~スピノザ、つまり一元論の回避を「ハイデガーにおける不在の現前」、つまり潜勢的二元論(=形式的告示)と指摘しているのだが、それならばなおのこと初期問題を解決する時間規定は一元論(=現勢的形式)なのである。

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posted at 14:19:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

これ(規定的時間)は、レヴィナスの弟子でデリダのハイデガー理解を骨抜きにしたマルレーヌ・ザラデル twitter.com/sunamajiri/sta... ではないが、歴史=キリストの新約を制圧し、旧約の一元論性を回復する、唯一の方法なのだろう。それが神崎繁氏が表題化する「制圧」だ。

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posted at 14:23:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

この「制圧」とは、振幅的葛藤(一元論)による、分裂的葛藤(心身・主客二元論)の制圧のことだ。ハイデガーは分裂的葛藤(二元論)を形式的告示することで、振幅的葛藤(一元論)の形式性を、規定的時間として述定しようとしているのだ。 pic.twitter.com/fOcRsIc0Ou

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posted at 14:29:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

もっと簡単に言うと、主客や心身のように二元論を規定として前提すると、分裂的な葛藤(シンポで神崎繁氏は、ハムレットのような独白と表現していた)になってしまうが、それを形式の告示とハイデガーのように前提すると、一元論(振幅的葛藤する時間の規定性)を形式化できる、ということなのだ。

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posted at 14:32:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

ハムレットのような分裂型葛藤は英米文学的な脱構築派、たとえばハロルド・ブルームなどがハイデガーを批判する際に引き合いに出すのだが、明らかに振幅型葛藤(一元論)を形式性として規定できるか、というハイデガーの方が重要なのだ。一元論を形式化しない二元論は形式的告示ではない。

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posted at 14:38:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

アメリカの脱構築派でユダヤ文学者のハロルド・ブルームでは、このことでハイデガーを脱構築しフロイトを(唯一の)形式性とするのだが、単純に二元論性を形式性と勘違いしているだけで、形式性は一元論的にしかない、とハイデガーは言っていることになる。

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posted at 14:42:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

マルレーヌ・ザラデル的なハイデガーに引き寄せて言うと、ハイデガーは一元論的な旧約文学に言及せずに、二元論的な新約を形式的告示とすることで、一元論的旧約の非歴史性、つまり(契約の)形式に言及していることになるのだ。

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posted at 14:46:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

二元論を形式と捉えるのか、形式的告示として捉えるのか。この差分が問題になっているだけなのだが、しかし前者では一元論の形式性に到ることが出来ないのである。ハイデガーの規定的時間という問題は、この二元論は形式の告示に過ぎず、一元論が形式だという命題を、新約的な歴史から回復している。

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posted at 14:57:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

新約文学(心身・主客へ分裂する葛藤、つまり哲学のサブカテゴリーである心理学的素朴実在論)というのは、二元論を形式化=歴史化するための、文学的営為である。それに対してハイデガーは、二元論は形式ではなく形式の告示だと捉えることで、本来の形式性である一元論を回復しているのだ。

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posted at 15:00:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

二元論を形式的自明性と捉えるのか、自覚的に二元論を形式の告示に過ぎず、現象学的還元ができるのか、というのは大違いである。二元論的形式性を得るためには、一元論的形式性が規定されなければならないが、自明性からはそれが明らかにならない。

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posted at 15:05:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

ハイデガーには形式的告示(二元論を自明的形式としない自覚)があるので、結論もありきなのだ。形式を告示させる二元論は、一元論を自動的に形式化してしまう。その自動化された形式が、規定的時間という公理なのであって、それ以外の根源的規定は恣意的で非形式的な根源であるに過ぎない。

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posted at 15:08:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

ハイデガーのテクストに引き寄せれば、それが『存在と時間』で、空間と時間を止揚あるいは幾何学的交点とする弁証法を形式的告示として、点性を「時間とは何か」と問うことへ一点化させることであり、その問いに「時間とは根源規定である」という形式を与えるのが『カント書』の叙述といえるのだろう。

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posted at 15:11:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

これはいうまでもなく、神崎繁氏が、初期ハイデガーが言及を回避したストア派、つまりゼノンのパラドックスのことであり、点とは無であり、だから時間は弁証法的な交点としては無であり、時間は眼前ではなく根源の規定だ、と表明的になるべき問題なのだ。点は語れず、語れるものを形式的告示するのだ。

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posted at 15:14:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

問題は、それを神崎繁氏のいうように「始まりの制圧」 bit.ly/1OPs9DD として語れるか、である。初期ハイデガーはカイロスを本来的とも非本来的とも振幅的に語る。それが形式性なのだが、その始まり(形式的告示)が制圧されるわけではないからだ。

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posted at 15:16:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月20日

先日の『始まりのハイデガー』シンポジウムについて、レジュメが論文として提出された第一部の神崎繁氏 twitter.com/sunamajiri/sta... … については、形式的告示を制圧できるのか、という問として考えることが出来たのだが、第二部については録音しかないため、また後日。

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posted at 15:29:11

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