大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年07月15日(日)
確かに心理学に哲学が職を奪われ、自分がいるという存在の知覚が危機なのだとはいえ、またデカルト的幾何学に遡行する幼稚さは、まだ大人になれないの?ってみえちゃう。メルロポンティ可哀想(^-^)/
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posted at 16:28:24
國分氏の脱構築的スピノザをみただけに、この知覚の幾何学への遡行は、幼稚にすら見えてしまう。スピノザでは本質と本性を切り分けたことで、定理8以降、神の幾何学は証明対象から外され解決されてしまうのに、メルロポンティは二次的知覚ではない知覚を幾何学的に証明する循環に再帰したいかのよう。
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posted at 16:23:28
知覚は経験的な二次的知覚ではない、とデカルト省察の言及した直後に、恒常性仮説批判に戻り、それらは意識にとっての標識(デカルトでは神による信憑性)ではなく、今度は知覚は悟性と異なり逆さまの図形を認識できない、と幾何学に戻ってしまう。
t.co/tC5YwNIa
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posted at 16:18:57
まあ、ここは経験論に対した主知主義を批判してるから、単に相対的にデカルトにあるのは神の要請による再構成で、ないのは経験による存在の知覚の結合と、なるだけなんだろうけど、相対性=対立項の定立(呈示)が下手ね。(^-^)/ QT: t.co/Fcgnrkwa
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posted at 15:54:20
存在と本質の結合(自分がいるという存在の知覚の統合、心身一元論)が、神によってではなく、デカルトにおいては経験によってなされていない、というメルロポンティは堂々巡り(デカルト的循環の内部)にしか見えないな~。 t.co/8F4tMIQD
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posted at 15:48:43
純粋感覚は構成されたものだが、知覚は存在の原初的認識(自分がいるという存在の知覚)であり、それが心理学の言う感覚を構成できるのは、なにもデカルト第四省察のように、神を要請して再構成するのではなく、存在の知覚ないし思惟があるからだ。 t.co/IVKYZta4
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posted at 15:25:56
メルロのデカルト省察言及t.co/UGleN8UX t.co/n6OD2c8r の続き。自分がいるという存在の知覚をデカルトは神で証し、心理学も同じ独断だ。t.co/LyQNmAW3
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posted at 14:44:23