大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2013年08月04日(日)
そう、しまいには男女の性差しか言明できなくなる。そもそも物語は個人の対極だけど、いわば脱個人化すると、あれは男、これは女、という話だけに煮詰まって、何も言ったことにならない。@198819952007 性倒錯=異性愛絶対主義=男女差だけの物語。個人差主義じゃないのね。
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posted at 14:49:39
日本では直感の男性性はあてにされてないのよね、すぐ陰謀論になるくせして、すぐに責任者出せっていうから。責任者なんていないのにね。(^-^)/ @198819952007 女性刑事でしか物語れないのは、能力の足りなさこそが重要だから、だとしたら、男性版は、赤かぶ検事かな。
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posted at 04:13:20
ちなみに、宮崎裕助氏『弁解機械作動中』twitter.com/sunamajiri/sta... の論考は、ルソーが回心告白を失敗したこと(これを脱構築というのだが)、それは告白という下心がいかんのか、事実認定に誤りがあったのか、というので揉めてるわけwww @198819952007
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posted at 03:54:48
そういうのが、宮崎裕助氏『弁解機械作動中』twitter.com/sunamajiri/sta... よ。回心告白は告白というパフォーマンスなのか、事実認定なのか、という応酬をデリダとド・マンがしていただけという。@198819952007 ドラマでは、推理から告白まで行っちゃうけど。
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posted at 03:51:03
小説は、話者が探偵になることだけど、(なぜか日本では殊更に)その探偵の性別を女性にしないと、事件という重層的なものが、陰謀とか荒唐無稽になるだけで、けっして真犯人に辿り着かない、という証明になってそう、ストロベリーナイト。物語だけが証明だからね。@198819952007
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posted at 03:40:56
刑事を女性にしたからといって、作家は女流ではない。しかし、女流がこういう物語を書けない、という宿痾のほうがよほど問題だ、とアイロニーしているかのような、女性主人公の刑事ドラマ。女流作家では、真犯人は突き止められない、とでもいうように。
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posted at 03:17:13
杉本哲太演じる父親も、加害者の息子と被害者の妻を抱えてしまうが、じつは息子は被害者だったと分かり、はじめて回心に到達していたけど、息子は自殺してしまう。元刑事の父親は殺人鬼になっていたが、初めて泣くことができた所で、誰も逮捕されずハッピーエンド。@198819952007
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posted at 02:57:57
ストロベリーナイト『過ぎた正義』、結局、レイプされた側が罰を受けるイスラムみたいな原理に、どう打ち勝つか、という謎解きになってたでしょ? 真犯人の捕物というサスペンスではイスラムのようになる、と物語られている。@198819952007 確信と確証は違うんだ~ とかセリフの応酬。
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posted at 02:41:27
比喩がないというのは、ツインピークスやXファイルのような、超常現象とか宇宙人の陰謀論に言及しないでも、捕物のための実証(証拠捜査)を脱して、人間の性的な直感だけでストーリーを紡いでいっている、というような点。@198819952007 日本版ツインピークスみたい?
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posted at 00:12:59