大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年03月01日(土)
本一冊しか書けず、しかも未完本。あとは講義でくっちゃべってるだけだからねー。説明文を書きたくないために、口頭で説明しちゃうという。文が書けないことそのものなのよね(^-^)/ @guevaranecosan そこがハイデガーの三流たる所以かしらね…
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posted at 20:20:05
いやまさにジャズ理論です。ハイデガーは人間はなぜキョドって、ちゃんと物を言えず、信仰にはまったり、ヒトラーのようにひどいアドリブ奏者になるのか?ということしか問うていない。つまり的確なアドリブの実践論と読めなくない。非常に迂遠だが。@LitoSnowfield
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posted at 20:07:06
ジャズ理論のパラドックスと同じね。ジャズではハウツーを理論というでしょ? ところが和声学など伝統的な権威主義では、それでは説明にならないとなる。論じ尽くすには膨大なことになるか、論じ尽くせない可能性もある。しかも理論では、まるで実践につながらない。@LitoSnowfield
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posted at 19:57:46
おもろいのに、文は経文よ。それを明らかにするためには、そういう用語法でしか言えない、という極めて慎重な言い方だから。それを短絡すると、単なるテオリア(理論)になり、能力にも運動にもならず、フロネーシス(実践)ができず、信仰に頽落するということなので。@LitoSnowfield
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posted at 19:24:55
私よりうまいこというね。面白くはないのだが、ハイデガーって、非神学的な私達が煩悩と捉えてることを指摘しまくるからね。信仰で音楽ができるわけがない。@LitoSnowfield 即興演奏の側?から言えば、一瞬が永遠でさえあるような確信でもあるのですが、それを見逃しているという指摘
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posted at 19:14:05
(続き)ルターによると、アリストテレスは能力・理論・運動と分類したが、神学者は、瞬間が基点となる、ということを見逃して、瞬間があるから、観念より先に、いわば咄嗟の実践が生じる、とは捉えられなかったことになるようだ。一言で言えば迷いのなさなのだが。@LitoSnowfield
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posted at 18:46:29
まだ読書メモの遂行途上だが、結論を先取りすると、信仰が音楽の即興になるとか、神による即興という実感はない。言うまでもなく、もっと身体的なものだ。それこそ即興的なバッハを神の記述と捉えさせるのはドイツなのだが、ルターによると~(続く)@LitoSnowfield
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posted at 18:43:39
精神病理より音楽を如何に教えられるか、にしか関心がないのだが、ルターtwitter.com/aruma_zirou/st... のアリストテレス批判がドイツ語そのものというのは、インスピレーションの源泉かもしれない。@LitoSnowfield
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posted at 18:25:27
違うと思う。神学自体がアリストテレスの誤読だから、信仰で言動がズレなかった、と捉えられている。ある意味、だから私達には本来、さほどブレがない。迷いがないと言ってもいい。@LitoSnowfield 替え的な信仰のようなものがある…とかでしょうか(・o・)? <脱神学でブレない
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posted at 18:14:58
ご存知のように精神病理学がこの考察になるわけだからね。キョドる、何か考えと行動が一致しない、みたいなのは病理的だから。しかし疾病学自体からは明らかにならない。信仰があると行為がブレないのだが、脱神学で(言動が)ブレないためには、何があるのか云々。 @LitoSnowfield
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posted at 18:06:38
それ違う。それこそハイデガーを再読すると、語弊があるのだが瞬発力、つまりアドリブ力のことしか書かれていない。それがないと概念を言って失言して議論にならないだけ。@LitoSnowfield ああ…(^o^;)> twitter.com/kagakunoumi/st...
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posted at 17:49:12
(続き) 最も肝心なハイデガーはこれまで考えられてきた前期ルターというより、後期ルターといかに親和するのか、という点が、すべて注釈に逃れているのは、論証を尽くしていない。ただ書けばいいだけの話だ。 pic.twitter.com/SVVHIzPyj7
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posted at 13:17:06
私はデカルトが本を読まなかったように、脱神学とはアリストテレス全集を一々引用せずに、直感で語ることを論証とすることだと思っているし、ハイデガーの存在と時間の未完成性は、脱神学は可能かという命題であるのに、それが不可能だったということに尽きると思うのだが、その最も肝心な点である 続
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posted at 13:14:29
斎藤元紀氏の「ハイデガーは解釈学だ」という脱構築。査読者でもないのに、どうしても論証の是非が気になってしまう。立論というのは直感と同じで明示的なもので、読んでいても誰でも分かるものなのだが、論証ができているかどうか。國分氏と同様、肝心なことがすべて注釈に逃れているのが残念。
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posted at 13:14:18