大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年03月11日(火)
神学をカッコ入れしてると、実践的配慮だけに頽落できて楽でよいんでしょうが、第一哲学を問わないから、つい神になろうとか妄想するんでしょうね。今回のSTAPも妄想にみえる。twitter.com/sunamajiri/sta... @bogie_0913 最近は、第一哲学を問えていませんね。
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posted at 23:17:53
下品かどうかしりませんが、日本の書き手は、被造物の問題を宗教の問題であるとカッコに入れてしまいますからね。そういう宗教が別建てである、という捉え方を事実性というようですね。その上でそれ(第一哲学)を問えるか、ということのようですよ。@bogie_0913
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posted at 22:58:13
私達には問うほどのことではないのですよ。キリスト教圏では重荷になる。被造物かという問です。アリストテレスにある縺れを指摘することが現象学的還元となっていると斎藤が指摘していますが、被造物ではなく存在するという運動に成ること、それは私達には当たり前のことです。@bogie_0913
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posted at 22:31:20
それだと、サルトルみたいになるんだそうですね。私は限られたテクストでどこまで読み取れるかを実践しているだけで、他のテクストを知りませんが。あくまでも事実性という言葉は、いわば妄想としての宗教ではなく、事実としての宗教という意味でしか、使われないようですね。@bogie_0913
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posted at 22:14:54
ご質問のエロスはヌースに本来化されると、「実践哲学の復権」として読まれる傾向のハイデガーから、そうした配慮のテオリアではなく、運動という存在の動態に再分類化ができた、ということのようです。@bogie_0913 @estei_st pic.twitter.com/xq5Yk2ym58
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posted at 22:07:30
ヌース(直感知)のことのようです。続く箇所は、ポイエーシス(捏造神)のテクネーを批判するソフィアは、フロネーシス(実践)の配慮的テオリアからは得られない、となります。@estei_st 学的態度に先立つ「エロス」、タウマゼイン? pic.twitter.com/gjZahsMdY7
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posted at 20:09:01
私達がハイデガーの動態としての存在を事実的に扱うと、全く存在するという動態にならないという、この点は確かに面白い。いわば言葉の引掛けのようなもの。挙句にハイデガーが最も批判したポイエーシス(神捏造)に頽落してしまう。それは事実的信仰とは掛け離れている。そういう地平でしょうね。
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posted at 18:19:47
プラトン的直感の本来化を受け、動性によるアリストテレス形而上学の本来化の系譜から、テクネーとフロネーシスの極限化による「神的なもの」の本来化、生と神という本来的な二重性に解釈が被投化される、と述べられていますね。bit.ly/1csNBhv @estei_st
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posted at 16:54:37
告示的解釈学というのは、「より本来的には」ということのようです。体験問題では例えば、より本来的なプラトンのエロスでは等となります。@estei_st 体験を体験として語らない、という。語ってしまったら哲学にはならず体験談になってしまう pic.twitter.com/mRNJUO3Wge
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posted at 16:23:45
どうも去年のあまちゃんをみるまでは、3.11直後のままだったのが、あまちゃん震災編で震災が過去のものにおもえていたので、3周年で意識させられると、トラウマ的な気分になるね。
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posted at 14:58:19
現象学として読むより、解釈学として読んだほうが、現象学がわかる、といったような本ですなww (^-^)/ heidegger.exblog.jp/18164601 @estei_st
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posted at 03:20:24