大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年03月28日(金)
どんな瞬間でも迷いのない即応的な知性ということですよ。デカルトの延長を批判したスピノザだと知性改善論ですが、一方、形而上学というのはつねに知性の能力の話です。コギトによる認識論のような信心の話ではないです。@Shin_Kishida @LitoSnowfield
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posted at 23:42:28
「有時性」というのは、そうした神を証人にした延長という時間把握の仕方を、無時間性として比較的単純に批判してるんだと思いますよ。それだけではうまくいかないそうですが。@Shin_Kishida 例えが 判りやすいです。@LitoSnowfield
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posted at 23:17:58
(スピノザによれば)、コギトは、神観念の要請、つまり神が保証してくれるなら、我が認識するものは延長だ、という程度だそうです。(^-^)/ @Shin_Kishida 本当にコギトしているのでしょうか?@LitoSnowfield
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posted at 23:04:06
いや、気の長い話というよりは、その都度、過去から未来、未来から過去まで、神の視点のように、わかっちゃうことです。具体的には、議論などで口ごもらないことです。@Shin_Kishida @LitoSnowfield
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posted at 22:56:07
悪くないよね。時間を(コギトの空間的延長で)年表のように空間的に喩えたら、それは時間では「無い」、ということだから。@Shin_Kishida 「有時性」なら私も判ります。@LitoSnowfield
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posted at 22:04:06
ハイデガーが好きな人twitter.com/sunamajiri/sta... は、いまの50代以下にはあんまりいないよね。それでだまくらかされてる部分がおもろいのだが。そろそろ、それもネタ切れだろうけど(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 18:21:06
SFの起源だな、ヘルダーリンww (^-^)/ twitter.com/NakagawaFumito... twitter.com/NakagawaFumito... @LitoSnowfield
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posted at 17:08:51
コギトでは時間が空間的な延長に喩えられるという問題なのだ。だからといってスピノザが時間を分節できたのかというと、ヘーゲルのようになってしまう。そこいくとニーチェに歴史性を語らせ、ハイデガーを詩学に転回させたヘルダーリンが、宇宙人と言われるのも・・・。@LitoSnowfield
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posted at 17:04:23
熊野氏の造語かしらないが、たしかにデカルト~カントの空間的時間は、無時間性だから、有時間性という対語は正しいのだけどね。コギトの延長的空間に時間を喩えれば、なくなるのは時間だから。(^-^)/ @LitoSnowfield 有時性としてしまうと
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posted at 16:54:12
うん、うさたんも中上健次は、ポルノみたいに性的に感じちゃうだけなのだが、柄谷は感じないのかなー、といつも思っていたwww(^-^)/ @LitoSnowfield 中上さんは物凄かったですからね〜(^o^;)> 柄谷さんは地元への帰り道を迷ってしまったのでしょうかね〜
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posted at 16:29:52
熊野新訳と斎藤博論の現象の地盤の「地盤」が、理想社の60年台訳では「ドグマ」ね。一方、肝心なデカルト~カントを排除するテンポラリテートが、熊野新訳だと「有時性」と漢字に戻されてる。@LitoSnowfield まさに…般若心経 pic.twitter.com/6WHtzSQ590
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posted at 16:28:05
斎藤博論第六章だと、それでヘーゲルと机を並べてスピノザを勉強していたヘルダーリンに行き着いてしまう。ヘーゲルは弁証法に頽落したが、ヘルダーリンはスピノザを詩学に本来化したようなものなのだろう。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 15:10:08
その比喩の妥当性まで問われそうだが、ハイデガーにあるのはそのようなものなのだ。たしかに阿吽の呼吸に近いかもしれない。しかし、おそらく阿吽の呼吸よりはるかに絶大な呼吸なのだ。それが分からずにコギトと言っていると、クラスタ化のようにバラバラになってしまう。@LitoSnowfield
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posted at 15:05:23
彼らが経文にありついて倫理をも吹っ切るのは、ハイデガーが問いとは何かと問い、問うことの方法をデカルト~カントのコギトから取り戻すからなのだ。決意性が鈍るのは問い方に迷いがあるからなのだ。キリストは質問に質問で返すわけだが、問えない者は去るしかない。@LitoSnowfield
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posted at 14:56:41
したがって、私達が悟るには、超訳以上に、より端的に「~ということに過ぎない」と教示しなければならない。それでなければカイロス(瞬間性)の時熟的決意性が鈍るのだ。「他人の金を収奪するのは悪いことだ」なんて甘っちょろいこと言ってるから、奴隷にされる。@LitoSnowfield
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posted at 14:40:54
氷河期世代が、「盗人になることはいけないことだ」なんていっている時代に、団塊の世代が平気な顔して、他人の金をごっそりかき集める、なんていう所業は、彼らには倫理観がないからなのだが、それは倫理観の欠落というよりは悟りを開いている、ということを私達はもっと理解しないといけない。
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posted at 14:33:35
ちなみに、ハイデガーというのは、ニーチェに残存していた倫理観を脱色することで、キリスト教神学の時間性を転倒するばかりか、現存在(人間のことね)から存在(自然)へ向けて、形而上学の実践的瞬間性を詩学に解放してしまってるからね。楽なのよこれやると。@LitoSnowfield
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posted at 14:29:07
団塊の餓鬼あたりまでだと、そのように新しい経文で吹っ切れたのだが、うちらの世代になると経文もいらず、個々人で最初から悟りきってるからね。悟り世代という言い方も最近でてきてるほどだ。ところが他人と悟りの共有ができない。その方法が必要なのだ。@LitoSnowfield
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posted at 14:28:24
私達より若い氷河期世代になると、自己啓発本を読んだり、「自分が悪い」とか「盗人になるのはいけないことだ」とか、ぐちゃぐちゃいうでしょ? 団塊の世代だと「盗人のどこがいけない」ぐらい悟ってるよ。経文にありついて、吹っ切ってるよ奴らは。@LitoSnowfield
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posted at 14:20:44
そうよ。漢文のお経が音(おん)に固着してるから、同じお経を新訳にするわけいかず、新たなお経をつねに求める習性が日本人だからね。新たなお経があるとそれで安寧になり、金儲けとかに没頭する団塊の世代のようになるよ。私の世代以降だと、その安寧が得られていない。@LitoSnowfield
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posted at 14:06:17
ハイデガーの「形而上学入門」は、その真言宗のお寺から早大教授(某氏の恩師か?)になった川原栄峰の訳文なのだが、冒頭からいきなり経文の修辞なのが微笑ましい。素読吟味すら出来ない人達は、現代文体のお経を渇望してるだけなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 13:58:07
こうして、餓鬼の団塊の世代は70年代に入ると、ハイデガーで沈思黙考して、わけのわからなさに悟りを開いて、いまや日本を破壊するほど収奪世代gekkan.bunshun.jp/articles/-/979 になってしまったのだ。仏門に入ってるから自分のことしか考えてないぞ。@LitoSnowfield
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posted at 13:49:31
この半世紀で日本が失ったものの一つが、このハイデガー崇拝だな。挙句にネトウヨまで登場。私の世代だと、へたしたら柄谷行人どころか、村上春樹あたりで満足してしまう。理想社版は初版が1964年。70年台、餓鬼の団塊の世代が沈思黙考しながら読んでいたが、もう絶版。
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posted at 13:20:08