大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年03月27日(木)
そうか、スピノザを弁証法にしないで詩作にしちゃうと、フランス革命が宇宙人の陰謀論になるのか。どんどんSFチックになってきて楽しい(^-^)/ twitter.com/NakagawaFumito...
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posted at 16:29:31
時間切れ。斎藤第六章第6節前半。「存在者とは何か」という主導的な問いの「非根源性」から別な原初を問う。その点で主著は可能性にすぎず、ニーチェとの深淵となるヘルダーリンへ、という話まで。また後日。bit.ly/1pab9Kf
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posted at 16:24:06
独文は仏文のメルロ君より全くの門外漢だが、ヘルダーリンはヘーゲルと一緒にスピノザ勉強してて、ヘーゲル以上にスピノザの汎神論で詩作に走って発狂しちゃったみたいね。それをニーチェがツァラトゥストラで語らせたのを、ハイデガーは深淵と呼ぶんだそうな。ふーん。(^-^)/
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posted at 15:55:00
次節で、やっとニーチェと深淵で隔たったヘルダーリンに到達した。ドイツ文学は門外漢だが、神の存在証明を批判的理性として詩作と差別化したゲーテが批判的だったというのが印象深い。それよりもヘルダーリンと言ったら三島由紀夫の潮騒だが、つまり朝ドラのあまちゃんの主題であるww(^-^)/
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posted at 15:37:44
まったくもって、自然的存在者を静態的な魔術と捉えて、重力の発見という近代科学の修正主義的史観を騙る日本の全共闘に、ますます説教したくなってきた今日此の頃なのである。子供のような差異は魔法か、ばかたれめ(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 14:37:32
あまりに時計をみないので、つねに動態(思考)twitter.com/sunamajiri/sta... が、現存在のカイロス(時刻的な瞬間性)に陥って、存在(温泉に脱自すること)できないのであったwww (^-^)/
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posted at 14:30:52
やっと動態・静態という現前性の水準から、差異と反復という最近の術語が発生してきたのだが、ハイデガーが糞真面目にニーチェを狭く捉えたことで、却って解釈学的循環の静態(機械的反復)を脱する動態(差異性)が見出された、というのは確かに面白い。bit.ly/1jxeC6p
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posted at 14:22:40
続いて第六章第5節。これまでの論証を受けて、まるで転回のように進む。こういう文章は嫌いではない。現存在に特化したニーチェとの共鳴が、自然や動物という差異を捨象する静態化を招き、存在の解釈学への転回を余儀なくされた、という件。bit.ly/1jxeC6p
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posted at 14:10:39
しかるに、斎藤第六章第4節の結論部は、プラトンの転換に対するニーチェの無転換、系譜学の生成とされる。意志によって実存論から拡張された系譜学が超越論の形式性だ、となる。この無神論がどのように存在と時間というテクストの破綻を齎すのか? pic.twitter.com/ZZMfkU5sy8
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posted at 13:19:54
斎藤第六章第4節。「存在と時間」の挫折に直結する「意志の肯定」。現存在の時間性63~65節を、ニーチェの歴史意識76節によって、解体的反復の循環に対する自立的な意志と形式化したことで、パウロの時間論をも転倒する無神論となったと解明。 pic.twitter.com/US0tVeqCvn
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posted at 13:03:38