大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年08月18日(月)
そうですね、よく分かります。ちょうどハイデガーのカント認識論批判と、そのハイデガーの存在論を仮象論と批判する話、さらに日本におけるハイデガーの経典のような受容と、日本の現代文の学習能力という話を主題として話していたもので、興味深く拝読させていただきました。@kikuchi_8
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posted at 23:58:22
ネトウヨが自己責任で死ぬはメシウマだが、そもそも自己責任なんてものが日本の仏教徒の哲学から生まれてくることが気色悪い。togetter.com/li/701699 @juntaro5656 @HASSANKONAKATA @forestnamal @tangeshinikuo
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posted at 22:42:52
彼岸は感覚の彼岸の物質で、物自体は形而上学だというが、そもそもイデア界なんて前世の記憶のような彼岸が、物質であるはずがない。twitter.com/kikuchi_8/stat... そうした現世的な仏教の観念論=経験論に意味があるとは思えない。
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posted at 22:29:02
彼岸の奪い合いで、認識論に軍配をあげたがる日本の仏教徒は、いわば仏教陰謀論のように分析すべきなのだと思うのだが、そうしたものはどうでもよい。そんなことより、昼過ぎにRTした日本の学習能力のほうが本質の問題に感じる。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 22:26:23
ただし、私はデカルトの神要請に従う「近代人」であるのか、華厳仏教によるプラトニズム批判twitter.com/kikuchi_8/stat... には批判的。物質を彼岸という認識論が、イデア界を彼岸という存在論より、「真理」ないしは現象であるはずがない。
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posted at 22:20:48
例えば今、「書き手=他者」と便宜的に書いたが、今朝もツイートしたように、他者とか存在者というのは、対象や事物を対象という延長の用語で表さないための論理学であって、むしろ書き手とはつねに非他者、あるいは自己のことだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 15:23:07
まあそれは、松岡正剛によれば、存在と時間が未完なのは美少女アーレントとの悲恋ロマンだからtwitter.com/sunamajiri/sta... で、いわば男子は女子に対するコミュニケーションに頽落するが、女子は本来の性に直面する、といったことと単純に同じである。
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posted at 15:11:06
このように、あらゆる点で学習とは、無神論化させる性という理不尽や、その転写である他者の文を克服する、一蹴能力なのだが、それはどうやら女子とのコミュニケーション能力に頽落した男子より女子の方が直面する、という書き方になっているのが、非常に面白かった。
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posted at 15:05:58
面白いのは、有神論を隠す書き手の理不尽さによって、性の早熟など自己の理不尽さを突きつけられるのが、この抜粋RTでは、子役で娼婦役をやらされたジョディー・フォスターや、禅の公案をしているようなはるかぜちゃん、という女子ばかり、という点。bit.ly/1rLrfdv
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posted at 14:58:01
よりざっくりいうと、ハイデガーが有神論を隠すために意地悪な本を大量に書いたが、そうした他者=書き手の理不尽さよりも、早熟な性など自己の理不尽さの方が、無神論の克服という抽象化能力には貢献できるというのが、この抜粋RTの要約と言ってよい。bit.ly/1rLrfdv
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posted at 14:54:29
理不尽さは他人から来なくなり、あるのは早熟な性など自己の理不尽さ。それを克服するのは禅の公案のような抽象化能力だが、それはネット時代のように、常に師匠が寄り添うことで得られなくなっている。刑務所などそのためにあるようなもの。twitter.com/Batesonian/sta...
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posted at 14:50:03
宗教全般に近づけるのはヘーゲルからで、そこから折返して社会や経済を分析する諸理論の源泉になった。 近世哲学の厳密な思考に疲れてくると、そういうトンデモっぽいドイツ哲学らしさが恋しくなってくる。。
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posted at 00:59:23
それはそうと、哲学者が神の存在を語ってやっとキリスト教の神らしくなるのは、やっぱりヘーゲルからだなと。中世の哲学者よりはるかに自分のほうが宗教としてのキリスト教の神髄に行ったという自負が彼にはあったのだろう。
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posted at 00:57:45