大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年08月23日(土)
そう、ドラマがないのが漫画なのだよ。あまちゃんのように漫画チックなヒロイズムは女子のアイドルの話しかない。しかし男子のドラマは漫画にはない。漫画と報道は紋切型で、そこにはドラマがないというのを、クライマーズ・ハイは意識的に突きつけてるね。@LitoSnowfield
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posted at 16:31:14
漫画的に、キャラと心理ドラマにしたら、あのラストはカットするしかない。日本の漫画の限界ね。さらに、報道でこそ紋切型になる日本の仏教観のようなものが、父と子を自縛霊のようにさせてしまい、その嘘っぱちな日本に背を向けると、父親になれる物語。@LitoSnowfield
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posted at 16:23:24
いやだから、キャラ読み心理読みが通用しない、何らかなメタレベルを持っている物語。命を紋切型で報道しなければ息子を失わず(原作~ドラマ版)、命を紋切型で報道すれば息子を失う(映画版)。お気づきのように映画版はネトウヨを生み出すような話。@LitoSnowfield 過去に囚われ自閉
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posted at 16:12:42
あまちゃんが劇画化させパロったように女子のヒロイン-ニズムは漫画的だが、男子の漫画的なヒロイズムでは、このラストが重くなりすぎて不可能になるんではないか? 映画も漫画タッチにして、ラストが消えた。おそらく日本の漫画はドラマツルギーが弱いのかもしれない。@LitoSnowfield
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posted at 15:59:09
坪内逍遥が近代とは仏教的に紋切型に表現しない小説にある、と自覚したように、命を仏教的に紋切型で表現するのが新聞なのか?という葛藤の物語なのだが、映画版では神崎が紋切型ではない生々しい表現と引き合えに命を失っている。ドラマ版ではそれがない代わりに、@LitoSnowfield
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posted at 15:11:13
ざっくりいくと、ドラマ版では、命を仏教的紋切型で報道する新聞社に異を唱えると記者生命を失くし、20年後息子と和解できる。映画版では、墜落犠牲者の遺書で記者生命を失くさず、20年後息子に会いに行っても、途中で引き返すラストになる。@LitoSnowfield
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posted at 14:02:26
日本の報道の問題、命を仏教的な紋切型で語ることと、それではいけないという表現の自由の問題が、主人公の出自や母親のリビドーといった深層の問題に呪縛させるか、そこからの呪縛から解脱するのか、と係る物語で、映画版では解脱できていない。@LitoSnowfield
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posted at 13:58:31
このように言語の深層やリビドーという紋切型では、背後のない現象という物語が未完化してしまう。この言語に深層はなく、あるのは治癒のようなものだけだ、というのは物語的にしか証明することができない。原作者はつねにそれを主題にするが、三島以降、クライマーズ・ハイは一つの完成形。
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posted at 10:59:24
ドラマ版で神崎が惨状を語らないのは放送コードの問題。しかし映画版では表現の自由で、惨状を生々しく台詞にできてしまった。その紋切型の政治小説では語れない惨状が、新聞社の部下を自殺させるのだが、そうした表現の自由が息子の許しや、それを受け入れる父親という悲劇の解消に直結できない。
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posted at 10:47:04
この戦場の惨状を報道する紋切型が報道する者の命を奪うという問題、小森陽一が坪内逍遥の小説神髄で日本の近代性の発生を、戦場を「修羅場」と仏教的に紋切型にする政治小説を批判し、戯作的な人情物への目覚めとして捉えたとおり。クライマーズ・ハイでは新聞社の問題として提示される。
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posted at 10:28:03
三島以降、ヘレニズム的な悲劇を、ヘブライズム的に解消する物語が、日本でも試行錯誤されるのだが、三島に言及するあまちゃんでは、女子の三代記で、悲劇が解消される物語が意図されていた。しかし、男子の場合は、誰かが犠牲になる。クライマーズ・ハイが死屍累々としているのもそのため。
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posted at 09:50:42
孤児がオイディプス悲劇を終わらせるという、現代ユダヤ文学の語法、ポール・オースターなどでお馴染みだが、これがどうやら日本では、クライマーズ・ハイで初めて実現したということのようだ。ドラマ版ではそれが誠実に描かれたのだが、映画版では深層暴露でオイディプス悲劇になり台無しにされた。
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posted at 09:35:28