大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年09月24日(水)
それこそ空twitter.com/sunamajiri/sta... だろうな。般若心経のように個人は楽になれるのだろうが、縁起や因果があるという信仰だけで、消費税のようなものまで信仰対象twitter.com/kiba_r/status/... になったんだろうなー。(^-^)/
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posted at 23:29:45
実際、今日本にあるのは柄谷を読まない迂回twitter.com/sunamajiri/sta... ぐらいだろう。私から見ると無我に対決した柄谷行人を迂回するとは、無我しか言語の論理性を認めない日本の古典的な呪縛への回帰にしか見えない。それほど迂回したくなるものなのだ。
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posted at 17:17:03
小説では近代的自我がリアルになるのに、評論では無我のように難読化するだけ、という日本の国語の呪縛は、なぜ無我への執着だけが論理的とされるのか、ということに尽きるが、『批評空間』twitter.com/cgsa794/status... つまり柄谷行人がそれとどう向き合ったか要再検証だろうね。
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posted at 17:14:05
まあ、そうだろうね。日本で国語というと、古典に対する近代的自我だが、そうした現実性を習得させる小説を補う評論が、無我の可能性ばかりを論じて紛糾する。戦後直後は小林秀雄ぐらいが禅僧のようなインテリを達観できていたのかもしれない。twitter.com/cgsa794/status...
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posted at 17:05:32
この点で、おそらく高田新訳は、日本のハイデガー翻訳の中では異端的な部類になるのかもしれないが、日本語としては一番しっくりくる。従来定訳とされていた邦訳が、すべてこの程度のことも訳出できていないというのは、おどろくべきことである。
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posted at 08:09:44
ここで出てくる「基礎的存在論」とは端的に、ハイデガー『カントと形而上学の問題』冒頭で断られる、有限な人間存在に関するもので、無限に対する存在論ではない。しかし、高田氏以外は、存在論も解釈学も基礎的存在論、つまり現存在を「主題とする」と、誤訳していることになる。
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posted at 08:09:11
存在と時間の高田新訳が画期的な点を、熊野新訳・桑木・辻村・細谷と比較。「現存在からは存在は解釈されるしかない」という命題に対して、高田訳だけが現存在の基礎存在論が主題ではない、と文意を汲んでいる。bit.ly/1uF70jn
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posted at 08:04:09