大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年11月30日(日)
これで妙な杣道に迷い込むことも、すこしは減るだろう。神は存在論にたずさわらないのだから。ハイデガーをインテクストに研究しない専門でないわれわれにとって、ハイデガーがもつ威力がストレートに伝わってくる。そういう野心作といってもよいガイド本に思えた。これからじっくり読ませていただく。
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posted at 23:53:58
全集をインテクストに研究しまくるハイデガリアンとは違い、われわれ部外者にとって、こういうガイド本は欠かせない。斎藤元基氏らの監修によるハイデガー全集全ガイドも、われわれ非専門家には、うってつけの俯瞰図だ。 pic.twitter.com/RK3P8DIG5y
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posted at 23:51:06
私が棺桶に入れるならこの一冊と思っている『カント書』を短く、端的に紹介した安部浩氏の『神は存在論にたずさわるか』の末尾、カントを巡る討議でカッシーラが亡命し、ナチズムの中ハイデガーが学長就任をする様が語られる。ちなみに私の理想社版にはこのダヴォース討論の付録がなかった。
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posted at 23:48:22
深さというのは、従来的な受容で先入観をもたれた、実存している現存在ではなく、いわば主節、存在への問いである。『カント書』では有限な人間だけが、この問を抱き、神が問うているわけではない、つまり端的に擬人化された神という想像力を超越してしまっている。この短い紹介文が全てを語っている。
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posted at 23:38:02
受験読解の話題なら全文引用しやすいのだが、それに絡むとはいえ新刊書は気が引ける。しかし、この安部浩氏の『神は存在論にたずさわるか カントと形而上学の問題』で、この読本のわかりやすさ、つまり深さを知っていただきたい。bit.ly/1vCoWgk
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posted at 23:37:18
全集全巻ガイドは巻末付録。本文は前期・中期・後期と日本のハイデガリアンが寄ってたかって研究を更新する意欲的な論集。その前期の最後に間奏という短い文が、私が棺桶に入れたいハイデガーの『カント書』に触れている。タイトルは『神は存在論にたずさわるか』
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posted at 23:34:11
斎藤元基さんがハイデガー全集全巻のガイドを監修するなどした『ハイデガー読本』。25日刊行直後アマゾンで売り切れで。まさか地元の小さな書店に入荷してると思わず、ちょっと感動したのであった。amzn.to/1A3fHHr pic.twitter.com/uIeHvRmbpq
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posted at 23:33:44
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 転回後から語りだすザラデルでは、ハイデガーは朝の爽やかさだ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 10:29:13
ところで、夜は転回前、朝は転回後で、より生活感のある気分になると冒頭に語ったのだが、当然、わたしは昼夜逆転が日常なので、転倒して転回前の夜が主題になったりしているらしい。しかし、転回後から語りだすザラデルは朝の爽やかさだ。
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posted at 10:21:09
ザラデルはリクールのハイデガーが無視したヘブライというテーゼからハイデガーの外部化に言及していくのだろうが、存在論から転回後に形而上学の歴史に拡張され解消される螺旋の中で、ギリシャ語よりドイツ語という動態への着目はなかなか面白かった。 pic.twitter.com/fZvYJ6VaW0
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posted at 10:14:50
斎藤元基氏がシンポで発表した「翻訳の解釈学」とは、解釈学が言語から事柄を取り出す換言を見出す、といったものだったのだが、しかし事柄はそれだけでは記憶できない。そこで登場するのがザラデルが螺旋として取り出すハイデガーの転回なのだろう。換言は記憶の対立項だったのだ。
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posted at 09:59:32
高田珠樹氏がハイデガーが強いる換言的和訳が、村上春樹と似ていると語っていたが、村上春樹の作風は、自分の作品史に自己言及する螺旋のようになる。つまり自分で書いた文(章)を反芻するのが主題となるのだが、ハイデガーの転回はこうした螺旋が見事なのだろう。
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posted at 09:47:54
ザラデルは、転回の複合性を論じている。しかし、簡単な話で、プラトンによる発明とは一言一句を覚えられないから、文字や書物にするというものだ。文章どころか、一文ですら書き留めなければならない。名前以外は覚えられない。非常に身近な話なのだ。 pic.twitter.com/TkTfeNoJ0r
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posted at 09:44:13
もちろん、転回後からハイデガーを煩悶のように見下してしまうからというよりは、ハイデガーが存在論から転回後の形而上学の拡張によって迫った追想を、喩の動態として明確に取り出すから爽やかだ、ということなのだが。 pic.twitter.com/Xotn639jHi
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posted at 09:26:08
復習すると、先日の高田珠樹氏のシンポは、ゾルゲどころか転回を踏まえて、ハイデガーが志向した換言を和訳で成就する、という問題提起だったのだが、ザラデルは転回以降の話ばかりになり、和訳により換言を果たした『存在と時間』より、はるかに身近に感じられる。
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posted at 09:16:14
ハイデガーは本来、かなり身近だ。しかし転回前のハイデガー、つまり『存在と時間』の乱立する和訳と、和訳による換言によって転回の先取り、という話ばかりだと、たとえ身近でも、どこか遠くの話に思えてしまう。斎藤元基さんの前期ハイデガーの立論も私には夜の読書向き。
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posted at 09:07:37
本は同時並行に数冊の癖があって、最近は夜間は転回前のハイデガー関連、深夜はなぜか経済学、そして朝にマルレーヌザラデル『ハイデガーとヘブライの遺産』amzn.to/127H8oz で爽やかな気分になっている。この本、いかに転回後のハイデガーが身近かを実感させてくれる。
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posted at 09:05:39