大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年01月27日(火)
この歴史が歪むのも簡単。DM対論後半で、起源論からヘルダーの起源論が音楽論として排除されて美学が成立してしまうのだが、それではハイデガーが批判するようなカントの歪み、つまり地動説になってしまうのだ。それでは周縁の声が聴こえてこないのだ。それがサブカル。@LitoSnowfield
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posted at 23:46:08
それは物語の方が危険というだけよ。だってフィクションなんだから。ザラデルなんてハイデガーで旧約にエポケーを見出したことになるけど、エポケーもできなくなる。@LitoSnowfield お陰様でおおよそは発見ぽいのですが(笑) 危険な部分が乗り越えていないのかもしれません
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posted at 22:29:22
速達が読めないのは、地動説を与件と学ぼうとしてしまう教育の不備(意味論の不備)なのだが、それではハイデガーが最も批判したレイシズムに陥るものね。契約原則への違反行為なのだが。@LitoSnowfield 従来読めていなかった旧約な黒メールな状態
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posted at 22:18:58
私たちはともすれば、地動説を共有(協同主観)してさえいれば、済まされると思い込んでいるのだが、それでは与件の問題、無限の問題に「新転回」できず、言葉が共有できなくなるのだ。魂どころか神が再出現する契約違反に陥り、宗教のようになってしまう。@LitoSnowfield
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posted at 22:13:25
マルレーヌ・ザラデルのレヴィナス批判、後期デリダ批判に戻ると、反地動説的な旧約の約束の地平を、ハイデガーが脱民族化させた地平なのだが、その契約を受け取らない=共有しないというのは、単なる罪なのだ。だから手紙は受け取らなければならないのだ。@LitoSnowfield
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posted at 22:10:22
反地動説=意味論のことなのだが、手紙とはその意味論がないと通じないということなのだ。ハイデガーの言う存在の意味論というのは、神の存在証明、魂の分解不可能証明などによらずとも、手紙が届くということなのだ。だからハイデガーが届かなくなることがヤバイのだ。@LitoSnowfield
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posted at 22:05:43
したがって、端的に地動説を与件と思い込んでしまった人たちに、手紙が届かなくなることが問題になっているというだけ、と思えば、思考を費やすまでもないことになる。それよりなぜ反地動説が神の代わりに要請されたのかがハイデガーには書かれている。@LitoSnowfield
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posted at 21:54:23
じつは、デッドレターというタイトルの東の最新インタビューは未読で、まだ私にデッドレターが未達なのだが、しかし郵便で共有(協同主観)されるのは、リトさんの言う反地動説的地平=超越論的地平なので、何だそれかと思えば、レターが未達でも大して困らないのだ。@LitoSnowfield
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posted at 21:52:04
昨晩郵便したように、無限=分解できないことね。古代哲学では魂が分解できなかったけど、分解できない与件を探すと時間しかなくなる。それに逆らう偏見は、神に時間を分断させる物語に陥る。そうした偏見を喚起するのが郵便ね。東は最近デッドレターといってるが。@LitoSnowfield
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posted at 21:42:02
そうそう。勿論言語の意味論のことなのだけどね。関心を持たなければならないのは、与件がないと思っていると、地動説のほうが受け入れやすいのだが。それでは空間が無限化してしまい、時間の無限性という、発見を理解できないということの方なのだが。@LitoSnowfield
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posted at 21:30:12
そう、中田光雄先生は、それを「転回に対する新転回」と名付けてたね。原デリダでは、「理念(幾何学の発見者を神にする物語のこと)は現象学の外だ」というのだが。これほど、地動説という転回に対する反地動説、大地論のようなハイデガーの発見は記述しづらい。@LitoSnowfield
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posted at 21:27:52
物語の中にだけいるからね神様。ちなみにリトさんが後期メルロ~原デリダから、反地動説的地平と喚起した超越論的地平というのは、幾何学は発見者を神にする物語ではなく、与件として共有されている「超越論的客観」だ、ということだそうだ(中田先生の説明の仕方)。@LitoSnowfield
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posted at 21:16:27
啓蒙の誘惑は恐ろしくてね、私ですら最近まで、与件自体を読み取ろうとしていたフシがあるのだ。しかしそれでは読めないということなのだが。端的に、超越論性が地平にならなかった、ということなのだが。ハイデガーによるとカントがイケナイww @LitoSnowfield
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posted at 21:06:55
リトさんが原思考上で、超越論的地平を「神無き地平」と換言した意味が大きいのだ。いま与件twitter.com/sunamajiri/sta... が分からず換言できた、といっているのだが、原思考的に与件を持っていなかったのか、というのが関心事になるからなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 20:53:58
原思考(言語化できないこと)が思考(言語化できること)に結びついたでしょ? それ以外のことは何一つ問題にされていない、と分かれば気分も楽になる、というのがハイデガーが一貫して言ってることなのだが。物語は気分を物語れるのだが、それだけでは気分が晴れない。@LitoSnowfield
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posted at 20:48:09
ではなく、学ぶ前から(誰にでも)思考はあるのだが、学んでしまう過程では、いわば原思考に陥るのだ(分からなくなる)。それをさしあたって、元来の思考に戻す手続きを記述できるかということ。啓蒙される前に思考がない、というのは偏見だ、ということなのだが。@LitoSnowfield
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posted at 20:38:05
@sunamajiri 教えられたことが分かるというのは予め知っており、教えることが出来るというのも共有があるから…という理解で宜しいでしょうか(*^o^)?
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posted at 20:37:00
そうなのだ、幾何学的とは歴史的ということなのだが、発見のことなのだ。ハイデガーだって原ハイデガーがあって、それが『存在と時間』のプロセスになっているのだ、原デリダがデリダになったように、原リトさんもリトさんになれる、という共有の話が問題になっている。@LitoSnowfield
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posted at 20:32:53
中田光雄が、脱構築以前のデリダのテクストを「原デリダ」「デリダ以前」と呼び、カント的な「可能性の条件」をクリティークしてるわけだが、このハイデガー的な共有(郵便的なものに対する存在論)を共有した時、原デリダはデリダになる、という按配。それが幾何学。@LitoSnowfield
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posted at 20:26:38
昨日のように、なぜデカルト~カントか、というのが重要で、この共有することを発見してるからなのだが。つまりそれがコギトという神要請(神の存在証明)だったのだが、しかしそれでは非共有だろう、という発見をハイデガーがしたことになるのだ。@LitoSnowfield
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posted at 20:24:35
リトさんが教えられる前から、分かっていたということが極めて重要なのだが、幾何学=哲学というのは、郵便が届く前から目覚めているのだ。言い換えると歴史的に定理が発見される前、ハイデガーなどの言う早朝から、思考はあるのだ。このことの共有が目指せれている。@LitoSnowfield
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posted at 20:23:11
教えられる前から分かるか?という問いなのだが、昨晩教えたwように、非ユークリッドというまでもなく、ピタゴラスでなくても幾何学、つまり公準は誰でも学べる。ここで幾何学というのは思考のことなのだが、それは伝授=郵便が可能なのだ。それを郵便的というのだが。@LitoSnowfield
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posted at 20:21:09
リトさんが見抜いたように、物語では神を要請する幾何学、いわば信仰のようになってしまい、思考が目覚めてこない、という遠近感があるのだが、もう一度、中田光雄が「原デリダ」「デリダ以前」というテクストを。@LitoSnowfield pic.twitter.com/eLnOy3C0IR
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posted at 20:18:35