大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年02月10日(火)
いまの英語と日本語のどちらが「ありのまま」か、というのは、世界内存在というありのままがどちらにあるかという永井の対比だけど、私の説明は永井よりわかりやすいわけでないので、その部分も貼っておきます(汗)。@ecila808 pic.twitter.com/uRwW8gsNoA
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posted at 11:54:32
次のページはこうです。意識を対象化しないこと、それが無を対象化しないことに近づいていくのだけれど、永井はどちらが、言語としてありのままの表現かという、英語表現と日本語の無人称的特殊性で、西田の純粋性を汲んでいきます。@ecila808 pic.twitter.com/PtKidiN28R
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posted at 11:46:54
重要なのはここですよね。西田の『版を新たにするに当たって』。デカルトのコギトのような神観念要請では満足できない(説得されない)のだから、一端は観念論になる。@ecila808 pic.twitter.com/9SNHePOs3W
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posted at 11:38:37
いま教えていただきたいとすると2つ。一つは昨日仰っていた独我論 twitter.com/ecila808/statu... は、この汲み方でよいものか。またこの永井均の紹介の仕方の妥当性を、どう捉えているか、ということです。@ecila808
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posted at 11:09:29
もちろん、この本 amzn.to/1DVzrOI は西田幾多郎ではなく、永井均の本だけれど、永井は西田前期をある仕方で紹介すると、西田の独我論は、このように汲めると紹介していますね。@ecila808 pic.twitter.com/RHDR5W0022
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posted at 10:53:07
昨日、対象化できない無という一点で、ハイデガーにしろ西田にしろ、可能性が汲みつくされていない、そういう惑乱があるという話になりましたが、永井均が西田幾多郎を論じていて、現代では哲学は紹介の役割しかないといいますね。@ecila808 pic.twitter.com/5czy2Llj6D
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posted at 10:48:15