大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年03月29日(日)
柄谷が気にしているのは言い切ることの単独性だからね。ハイデガーが言い切ってるから自分が言い切れないと文句をいってる。それでもう一度、全てをデカルトの実在性の量に還元してしまう。何かを言い切りたくて仕方がないだけだろう。それで共同体の実在性を言い始める。@LitoSnowfield
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posted at 13:11:19
@sunamajiri ん〜(*uou)> 拾い読みで言うのは何ですが、超越論的構想力を超越論的時間規定と論証した出来たことが重要なのに“共同体”ということに止まってしまうのは迷走というか危ういというか…むしろそれで安心できるのですかね〜(*uou)⁇
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posted at 13:08:28
柄谷の語りは、共同体の間、非西欧の日本の特殊性を普遍性に、というところで、読者が安心して思考停止するだけだが、単にヘーゲルの根源的同一性を斥け、ハイデガーが根といえたカントの時間性(普遍性)を忘却したいだけだよ。@LitoSnowfield
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posted at 13:01:38
ヘーゲルは、そのカントの直感的知性=神の力能を、根源的同一性と名づけただけだが、カントはそれを時間直感から取り出している。ハイデガーはその根=超越論的構想力を、時間(超越論的時間規定)と、論証し切っただけだよ。しかし、みんなヘーゲルのようになる。@LitoSnowfield
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posted at 12:56:53
ヘーゲルが出発点としたカントの直感的知性とは純粋理性批判の「自ら直感するような知性(悟性)を想像すれば、それは神的知性、表象即対象という神の同時性のことで、神にとっては範疇表は意味を持たない」というところだから。ヘーゲルぐらいしか見抜けなかったのだが。@LitoSnowfield
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posted at 12:53:03
乱暴に言えば、カント書というのは、理性が神を妄想するのか、無意識が非理性的に神を産んでしまうのか。カントに直感的知性を見たヘーゲルは根源といったが、ハイデガーはカントの時間といえた。それが言えないと自然時間に囚われる、という程度の話だから。@LitoSnowfield
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posted at 12:48:31
この立花隆の臨死体験シリーズ、実証科学では想像力=脳のファルスメモリーに過ぎない、ということのようだが、そんな当たり前のことが、死の淵を問題にしてしか話題にできないというのが面白い。つまり、西欧では真面目な科学なのに、日本では非科学的な話題のように語り出される点かしらね。
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posted at 02:55:17