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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2015年04月28日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

真反対というか、カントの言うコペルニクス的転回自体、新カント派から柄谷のトランスクリティークの書き出しに至るまで転倒してそうだが、唯一ハイデガーだけが真意に肉薄できてるのだろう。しかしそれを今までは受容し損なってる、文学もそれで終焉なる仮死状態。@LitoSnowfield

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posted at 20:51:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

つまり、ハイデガーの言う実存とか不安とかっていうのは、自分の存在を打ち消せないとか、無がないこととか、そういうことなのだ。そんな容易く他者に絡め取られて無に帰すことが出来るほど、存在はヤワではない。@LitoSnowfield ハイデガーを理解?するには文学ドップリ体験がないと

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posted at 20:38:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

相手次第の自分なんて気遣いではない。相手にどう思われようが、自分は現象的に存在している。相手なんて仮象から自由に、死んでも不滅でありそうなほど、というのがアリストテレス霊魂論からカントを解釈したハイデガーの言う気遣いで、相手はどうでもいい。@LitoSnowfield

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posted at 20:32:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

国語教科書に頻出の鷲田が携帯の身体論とかやるのだが、スマフォ時代の通知スルーは、現象学的に何なのかという話題。現象学なので、他者承認のような相手がどうのというのはいわば超越してる。ハイデガーの気遣いというのも、相手が気になることではない。@LitoSnowfield

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posted at 20:22:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

ハイデガー bit.ly/1EawtbV はカントが何に表明的かと問うていくが、第二版は言い訳ばかりで表明的ではない。有限的派生的直感は被投性としてのみ表明的だが、カント自身は退却してしまっている。@LitoSnowfield

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posted at 19:22:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

2つの直感とは、カントが第二版(B71)で付加した、神は根源的直感だが有限な人間の直感は派生的直感だ、というくだり。しかし表明的ではなく説明的。bit.ly/1dnNANy @LitoSnowfield pic.twitter.com/F4o2WaZhhf

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posted at 19:18:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

デカルトでは思惟に神要請するだけだが、カントでは一者直感がたしかにあるのだ。しかし一者直感からカントは第二版で退却して曖昧化してしまうという動揺があるので、ハイデガーは動揺しないのだ。カント解釈ではカントの直感は2つに分けられている。@LitoSnowfield

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posted at 16:45:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

カントの一者直感=感性の超越論性=時間からの退却を主題化したハイデガーのカント解釈講義~カント書は、つねに人間は神の造り手か、という命題をめぐっているので、それは美学などという退却した問題にはない。端的に、そんなものは学校にはない。@LitoSnowfield

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posted at 16:42:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

そこにあるのはつねに、超越論的感性論を度外視すると、人間に神をも創造する無限な能力を措定してしまい、学校論理学をも絶対化されてしまうという西欧では旧来の問題。それは生的でないのと同様、美的でもないから、美学的にも大問題だが美学はどうでもいい。@LitoSnowfield

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posted at 16:38:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

一者=直感=感性という超越論的感性論を、超越論的論理学でライプニッツへ退却させる、ハイデガーがカント解釈からカント書で論点とするカントの動揺=思惟というのは端的に、経験できないものとしての理性の超越論性を、経験できるものと混同させてしまうのだろう。@LitoSnowfield

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posted at 16:35:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

カント書は、カントの感性論からの退却、ライプニッツ~ヴォルフへの、バウムガルテン美学による後退、を批判する書だが、学校学問への美の退却でもあるから、美学的にも大問題。生の美は学校論理学にはないからだ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/eMoH4c4mYx

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posted at 16:22:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

カントの問題というのはハイデガーから見れば単純で、理性とは経験できない、経験の反対語のことだし、一者とは全体性で、有限な要請による神ではなく、自己触発させる時間の無限的全体の一者性にすぎず、そうした感性や直感は、たとえば今では単なる美学問題とされる。@LitoSnowfield

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posted at 16:08:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

岩城はハイデガーのカント書から、カントの感性論、つまり美学を再興してるわけだが、簡単にいうと、カントは純粋理性批判第一版で、感性論(全体としての一者はコギトによる神要請ではなく、想像力を触発する時間の一者性だ)というものの、第二版で動揺してしまう。@LitoSnowfield

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posted at 16:06:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年4月28日

日本で有数のカント書論の一つ『誤謬論 カント純粋理性批判への感性論的アフローチ』bit.ly/1J6lmRi の岩城見一は京都国立近代美術館館長。というのは、バウムガルテン美学がカントの発端の一つなわけだしね。@LitoSnowfield 美学の先生なのですか〜

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posted at 16:02:00

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