大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年11月17日(火)
それゆえ時間を即自すると同時性=即物性が二重化されて記述され、時間性自体が記述できなくなるのです。脱自的時間というのは、時間を静的な点に即自しないことです。そのことで、二重化されていた同時性が根源化されるのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 18:58:49
絶対的悟性とか根源的直観が客観であるというのは、第一原因でないのに擬似的に神の視点を想定することです。twitter.com/sunamajiri/sta... 要するに造物主でないのに、神の視点で語ってしまう矛盾が問題なのです。@BeTakada
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posted at 18:54:29
しかしその前に、即自と脱自は、GA26-208-9のカントが同時性を我々の外に二重化する時間の即自性=内時間の問題です。時間を即自すると、即物に対する二重化が起こるのです。それは根源的直観の視点=客観の問題です。@BeTakada pic.twitter.com/JtGITqFusf
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posted at 18:52:22
なお、注20の丸山氏の続編とは、heideggerforum.main.jp/ej8data/maruya... のカント書論です。しかし「存在者の全体」に対する「全体における存在者」というのは、いわばさらなるポストメタ存在論で、メタ存在論自体は、時間は内時間ではなく内世界だ、ということです。@BeTakada
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posted at 18:37:20
同時性(アプリオリ)は認識されると前後関係に転倒する。転回とはその転倒からの脱却です。タカキチさんのジャーゴン twitter.com/BeTakada/statu... では、アプリオリとは人類発祥の寧ろ後に備わる同時性のことです。@BeTakada
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posted at 18:34:50
タカ基地さん bit.ly/1QrVV3u は、注20の事象性=同時性を、「人類発祥のアプリオリ」と早計しましたが、それは寧ろアポステリオリです。アプリオリとは事後的に語られていない同時性のこと。@BeTakada pic.twitter.com/BVbytmsds0
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posted at 18:16:42
純粋化=超越論化は、時間を静止状態で孤立的に取り出すことではないということなのだが、GA26-209が引用するカント純理A251は、範疇を純粋化すると客観的実在を取り出せず、超越論的には図式性しかないという箇所。bit.ly/1NXrGQg @BeTakada
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posted at 07:00:36
デカルト以後、むしろ第一原因の問題だけになってしまった、といったのはスピノザだが、カントでは第一原因ではない「客観=われわれ」と、その「われわれの外」の主観という問題になってしまう、というのがGA26-209。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 06:37:43
これで、デカルト~カントが苦悩した、第一原因=因果律という根の問題が、意味連関から抹消(捨象)されて、語りの根は時間=内世界性として取り戻され、自然を語ることができるようになる、という目論見なのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 02:11:49
前 twitter.com/sunamajiri/sta... にも言いましたが、私たちはハイデガーの結論を知ってることを前提にしてるのです。そこでハイデガーがそれを方法化できたのは、妥当かという話題の立て方ができるということです。それを念頭に話題にしないといけない。@BeTakada
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posted at 02:00:54
根源的直感は、GA25カント講義書のこの部分、つまり超越論的感性論がわかりやすいでしょう。つまり客観とは有限な視点に対する擬似的な神の視点ということです。擬似的なのは、第一原因たりえないからです。@BeTakada pic.twitter.com/W2zHodAHRt
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posted at 01:47:54
GA26-203-218 は、超越とは神学のことではないが、カントでは根源的直観(第一原因)と派生的直観の二重の「われわれの外」であり、それで客観は絶対的悟性を前提した特殊形而上学だ、と批判しているのです。@BeTakada pic.twitter.com/Zl4tnfQThs
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posted at 01:36:49
それは、丸山論文注9「超越論的演繹との対決を通じ、これを超越の現象の分析において調停するべきであるという見通しに到達した」という点に関係するのですが~ @BeTakada pic.twitter.com/ec1VzHkDms
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posted at 01:25:33
GA26-203-218 bit.ly/1NWnJeN の次の箇所、GA26-218-239 bit.ly/1LYsotS では文字通り「超振動」といってますものね。@BeTakada bit.ly/1HTDWLb
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posted at 01:24:01
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