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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年11月17日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

これは、ミステリー小説で考えるとわかりやすいです。語り手は犯人を知っていて、それを小出しに読者に開示する。いわゆる全智の視点です。しかし、これでは単にジャンル文学です。より根源的には、語り手も読者と同時に知らないことが語れられなければならないのです。@BeTakada

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posted at 19:02:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

それゆえ時間を即自すると同時性=即物性が二重化されて記述され、時間性自体が記述できなくなるのです。脱自的時間というのは、時間を静的な点に即自しないことです。そのことで、二重化されていた同時性が根源化されるのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 18:58:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

絶対的悟性とか根源的直観が客観であるというのは、第一原因でないのに擬似的に神の視点を想定することです。twitter.com/sunamajiri/sta... 要するに造物主でないのに、神の視点で語ってしまう矛盾が問題なのです。@BeTakada

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posted at 18:54:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

しかしその前に、即自と脱自は、GA26-208-9のカントが同時性を我々の外に二重化する時間の即自性=内時間の問題です。時間を即自すると、即物に対する二重化が起こるのです。それは根源的直観の視点=客観の問題です。@BeTakada pic.twitter.com/JtGITqFusf

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posted at 18:52:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

それは、同時性=アプリオリを、前後関係で語る企投=時間的即自からは、実存の事実性(基礎存在論)が還元できず、様相還元で陥ったフッサールの内時間性を解体する時間の根源性=内世界性が得られない、というGA26の次節の問題です。問題は即自と脱自です。@BeTakada

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posted at 18:45:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

なお、注20の丸山氏の続編とは、heideggerforum.main.jp/ej8data/maruya... のカント書論です。しかし「存在者の全体」に対する「全体における存在者」というのは、いわばさらなるポストメタ存在論で、メタ存在論自体は、時間は内時間ではなく内世界だ、ということです。@BeTakada

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posted at 18:37:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

同時性(アプリオリ)は認識されると前後関係に転倒する。転回とはその転倒からの脱却です。タカキチさんのジャーゴン twitter.com/BeTakada/statu... では、アプリオリとは人類発祥の寧ろ後に備わる同時性のことです。@BeTakada

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posted at 18:34:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

ちなみに、丸山2014注20で引用されるGA26-186 bit.ly/1MjCPIU は「われわれの把捉より先」ということです。@BeTakada

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posted at 18:34:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

同時性であるアプリオリを事後的に語るのはアポステリオリです。アプリオリは「われわれ=客観」が順序立てて語ることに先立つ同時性のこと。しかし問題は、同時性を何方の順序で語るかと、企投してしまうこと。@BeTakada

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posted at 18:18:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

タカ基地さん bit.ly/1QrVV3u は、注20の事象性=同時性を、「人類発祥のアプリオリ」と早計しましたが、それは寧ろアポステリオリです。アプリオリとは事後的に語られていない同時性のこと。@BeTakada pic.twitter.com/BVbytmsds0

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posted at 18:16:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

丸山「二重のアプリオリの前後関係」は、カントでは即自(即物)に対峙する視点が、物自体と現象に分裂したことに対して、ハイデガーが脱自的超越の視点GA26-208から、それを統一的に図式化する時間の問題として捉え直した点に関わる。@BeTakada

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posted at 07:10:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

純粋化=超越論化は、時間を静止状態で孤立的に取り出すことではないということなのだが、GA26-209が引用するカント純理A251は、範疇を純粋化すると客観的実在を取り出せず、超越論的には図式性しかないという箇所。bit.ly/1NXrGQg @BeTakada

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posted at 07:00:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

そこ(GA26-209-210)で、ハイデガーが指摘しているカントの二重性は即自態の矛盾のこと。もっというと即自的時間が孕む二重性。脱自態というのは、その二重性がなくなることなのだ。それは、われわれ=客観=絶対的悟性、という第一原因と矛盾した視点の捨象なのだ。@BeTakada

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posted at 06:53:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

しかし、それはカントが時間を量として規定し、自己を静止した点(即自性)として内時間化したために、人間を方法化する世界内から、有意義な時間連関(脱自性)を捨象してしまった、というのがハイデガー。テクニカルにこれは再転回といわれるが、むしろ日本人の通念に近い。@BeTakada

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posted at 06:42:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

デカルト以後、むしろ第一原因の問題だけになってしまった、といったのはスピノザだが、カントでは第一原因ではない「客観=われわれ」と、その「われわれの外」の主観という問題になってしまう、というのがGA26-209。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 06:37:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

コメントアウトすると、デカルト~カントまでは第一原因に明示的に苦慮してるのに、認識論的転回と転倒した新カント派からフッサールまでは、そうとは思わず苦慮し、それちがうだろとハイデガーが独り転回したけど、そうとは思えない日本人読者、という構図に見えるのよね。@BeTakada

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posted at 05:52:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

これで、デカルト~カントが苦悩した、第一原因=因果律という根の問題が、意味連関から抹消(捨象)されて、語りの根は時間=内世界性として取り戻され、自然を語ることができるようになる、という目論見なのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 02:11:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

具体的には、人間とは何かと問う旧来の形而上学に対して、方法的懐疑を徹底させると、人間とは如何にか、という方法が世界の本来の語義で、その内世界こそが時間的意味連関だ、という意味です。それは事実性に対する時間性なのです。@BeTakada

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posted at 02:10:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

ハイデガーの結論とは、時間は内時間=点ではなく、脱自的時間=内世界=意味連関であり、それは実存の事実性を還元できたときに、はじめて根源となるが、しかしそれは領域存在論ではない、ということ。それは第一原因を前提とした旧来の方法的懐疑=思惟からの脱却ということです。@BeTakada

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posted at 02:03:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

twitter.com/sunamajiri/sta... にも言いましたが、私たちはハイデガーの結論を知ってることを前提にしてるのです。そこでハイデガーがそれを方法化できたのは、妥当かという話題の立て方ができるということです。それを念頭に話題にしないといけない。@BeTakada

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posted at 02:00:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

ポスト基礎存在論であるメタ存在論は、GA3カント書で、第一原因そのものを捨象する思惟の方法、世界という人間の方法を根源規定化している、ということです。根源的直観=客観という二重の「われわれの外」の問題に引き寄せれば、根源的直観は第一原因ではない、という思惟。@BeTakada

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posted at 01:55:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

念頭におくべきは、ポスト『存在と時間』ポスト基礎存在論は、GA24の学的企投(領域存在論)の破綻から、GA26のメタ存在論(補論)以後のフッサールの内的時間の転覆(脱自的時間)に成功し、GA25はそれをカントの三種の綜合の根として扱い~ @BeTakada

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posted at 01:53:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

根源的直感は、GA25カント講義書のこの部分、つまり超越論的感性論がわかりやすいでしょう。つまり客観とは有限な視点に対する擬似的な神の視点ということです。擬似的なのは、第一原因たりえないからです。@BeTakada pic.twitter.com/W2zHodAHRt

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posted at 01:47:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

GA26-203-218 は、超越とは神学のことではないが、カントでは根源的直観(第一原因)と派生的直観の二重の「われわれの外」であり、それで客観は絶対的悟性を前提した特殊形而上学だ、と批判しているのです。@BeTakada pic.twitter.com/Zl4tnfQThs

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posted at 01:36:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

それは、丸山論文注9「超越論的演繹との対決を通じ、これを超越の現象の分析において調停するべきであるという見通しに到達した」という点に関係するのですが~ @BeTakada pic.twitter.com/ec1VzHkDms

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posted at 01:25:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月17日

GA26-203-218 bit.ly/1NWnJeN の次の箇所、GA26-218-239 bit.ly/1LYsotS では文字通り「超振動」といってますものね。@BeTakada bit.ly/1HTDWLb

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posted at 01:24:01

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