大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年03月09日(水)
こうしたことは、音楽家なら誰でも日常的に行っていることで、聴衆が音楽を、過去に伸びるメロディーとしてイメージするのとは全く異なる。記憶とは思考していないことであり、思考とは記憶から自由になることなのだ。
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posted at 04:48:25
構想力とは簡単なことで、機械的には、感覚(感性)が刺激となって、記憶を喚起するのを思考と捉えてしまいがちだが、時間は記憶の持続というように思考の障碍=忘却ではなく、つねに未来に向かって動いているわけで、それに抗わないこと、つまり構想力が思考を齎している、というだけのことだ。
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posted at 04:46:12
よく空想の産物を考えるからダメだ、ということを日本人は言い募るのだが、カントは空想と想像(構想力)を厳密にわけているわけで、大抵の場合、日本人のいう空想とは、構想力のほうで、そしてその肝心の構想力を、空想として排除してしまうところに、諸悪の根源が有るということに気づかない。
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posted at 04:30:33
うーむ、ちょうどエックハルトからの離反と、エックハルト回帰の話をしていたところだった。語りえぬものを語る根源は端的にイデアではないということなのだが。(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta... twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 04:09:21
4/30ハイデガー研究会。フランス現象学界の旗手クリストフ・ペラン氏来日講演会。ハイデガーの「形而上学とは何か」(1929年)と「「形而上学とは何か」あとがき」(1943年)と「「形而上学とは何か」序文」(1949年)との関係の内実。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 04:08:54
そういう点でも、エックハルト(神秘主義)から、語りえない図式の根源への離反と、後期のエックハルト回帰という、ハイデガーの語りの動性しか、興味を持てないほどだ。語りというのはそういう運動のはずだからだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 02:26:27
ウィットゲンシュタインでもクリプキでも、どうしても他を参照するために書庫を彷徨うのだが、ハイデガーの語りの纏め方にはそれがない。ハイデガーの語り以外何もいらない状態になれる、という点が驚愕なのだ。転回というのはそういうことではないかと思えるほどだ。@LitoSnowfield
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posted at 02:23:12
後期ハイデガーのエックハルト化 twitter.com/sunamajiri/sta... というより、初期ハイデガーのエックハルトからの離反、という運動性がおもろいのよね。昨年のはじまりのハイデガーシンポでは、これ。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 02:09:59