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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年05月12日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年5月12日

ちなみに個人的にこの数ヶ月立ち往生しているのは、その細川カント書論の注釈11の引用元(GA2-436)が探せていない点です。そのページ数は存在と時間公刊部最終節のはずだが、誤植かしらね? @estei_st pic.twitter.com/68iq3PLSOq

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posted at 21:34:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年5月12日

真理前提(先措定)が、有限的な存在了解であることの内実なのだが、カントでは根源的直観=第一原因(造物神)が真理前提されているために、存在了解の無限性が起こらない、という細川カント書論も併読するとよいです。bit.ly/1pP4drO @estei_st

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posted at 21:29:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年5月12日

要するに、関係性が対象を与えるより先じて範疇的直感が対象を与えていること。たとえば、時間は空間との範疇的関係ではなく、時間として与えられていること等。そのことで思惟が起ること、といったことなのだと思うのだが。esteiさんの直観に近いはず。@estei_st

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posted at 21:29:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年5月12日

「表象なくして魂は思惟しない」とは、フッサールのデカルトに対する範疇的直観の現象学だ、というハイデガーのテクストを、その解釈対象のアリストテレスの霊魂論とPDFにしておきました。bit.ly/1Okz7TN @estei_st

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posted at 21:28:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年5月12日

世界内存在というのは、その外部の視点、デカルト的な対象などないよ、ということですからね。外とか存在者の全体に対する外部視点とか、魂の客体化、そういう真理前提は言葉遊び(潜勢)だよ、という。@estei_st pic.twitter.com/fVFuMDaEyz

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posted at 21:28:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年5月12日

つまり、根源語を本質と実体視すると、世界内存在や存在者の全体の外部、という被制作性という視点が生まれるが、それは本来的な存在論ではない、という批判だが、その際に、魂というのは思考ではない、という根源規定が重視されているだけのように思える(思えてくる)。@estei_st

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posted at 07:58:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年5月12日

魂(という語彙)は根源規定であり、それ自体は独立に思考(能力)ではない。世界内存在は、デカルトのような対象、被制作性を暴露してしまうが、根源を本質や実体と存在論する二元論が、むしろ近代の潜勢性だという暴露が、世界内存在(基礎存在論)からは、相対化される。@estei_st

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posted at 07:54:12

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