大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年05月24日(火)
中嶋さんとのチャット bit.ly/1YT7ZM8 ではないが、フランス人はドイツ人以上に回りくどいが、それでもこうした総括を語るメルロ=ポンティ-の語りの仕方は比較的端的だ。ハイデガーより総括的なほどだ。 pic.twitter.com/CKrEUR8YWT
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posted at 08:27:00
ちなみに続・ハイデガー読本のカント書論のように、時間とは判断力批判にある崇高、直感的総括であるならば、永遠を意識と捉えるのか、ある刹那の臨在(儚さのようなもの)を永遠と捉えるか、という2つの立場が仲良く対話をしているだけなので、事態はそれほど錯綜はしていない。それどころか単純だ。
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posted at 07:37:39
なお、今の要約のメイキングは、このチャットログ。bit.ly/1YT7ZM8 サルトルはハイデガーの構想力=時間を理解できずマルクス主義に意識の永遠を探してしまうが、ポンティは綜合によって永遠に無時間化することから、主体や意識を時間に取り戻そうとする。
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posted at 07:29:57
続・ハイデガー読本、サルトルとメルロ=ポンティ-。サルトルがハイデガーに挫折するのは、存在了解がデカルト的な意識というフッサール的な拘りを捨てているからだが、ハイデガーが通過してしまった身体性を、ポンティーがその拘りによって受け止める。そういうピンポンが小気味よく纏められた一編。
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posted at 07:29:38