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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2016年09月02日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

考えてもご覧なさいよ、最愛のパートナーを、やれ天国だやれ来世だに、ぶん取られたら誰でも嫉妬しますよ。こんなに切ないことはない。その気持は最愛のパートナーを持ったことのない、独身者やオナニストやプラトニストに分かろうはずもない。気持ちがあるとはそういうことです。@BeTakada

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posted at 16:59:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

このように、至極当然の有限性を自然言語は語ることができるのだが、有限性を形式言語的な現象だと誤解している輩には、中嶋先生のような思弁が、非常に論争的に映ってしまう、ということがあるらしい。先日O氏と数分その話題になった。@BeTakada

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posted at 16:28:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

それ以外のことを信じている人がいるような語り方が論争的に聴こえ誤解のもとなのだろうが、中嶋先生の真意は「自分が死ぬべき存在だとしても不安もなにも感じない」の方で、ここで「死すべき」という言葉遣いは決定論のことでも何でも無く、不死ではないことを言っているわけだ。@BeTakada

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posted at 16:27:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

表現の節々が危ういわけだが、たとえば「来世や生まれ変わりを信じるということは一度限りのこの生を相対的に軽く見ること」というのは、従来ならこう信じられてきたものだろう。つまり現世利益を独占するバラモンに抑圧されるから、来世利益を願望する気の毒な人たちがいた、と。@BeTakada

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posted at 16:20:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

近所の哲学者O氏にそれをみせたら、思弁的と論争的を混同する人がいるという言い方をしていたのだが、しかし、一方で中嶋先生は、語ることのできない死をめぐって、このように語ってしまうのだ。bit.ly/2c63HCp それはどういうことか? @BeTakada

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posted at 16:17:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

余談だが、中嶋先生が、難病の奥様をめぐって、ギャンブルとは数学ではなく実存だと思弁しようとして、大炎上 togetter.com/li/1014274 (のコメント欄)してしまったようなのだが、誰もその思弁性を理解していない。@BeTakada

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posted at 16:03:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

有限性とは死のこと(不死ではないこと)だという形式は、実は形式言語の中からは明示できない。この形式性の破れ。自然言語でも死は語ることができないが、形式言語では寧ろ有限性を語ることができないこと。こうした形式性のメタが、カント書以後、メタ存在論の地平にあることだ。@BeTakada

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posted at 16:01:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

さらに言えば、有限性は数学のような形式言語ではなく、自然言語のようにしか表せない現象であり、それが本来の有限性の形式だ、という形式告示的解釈学(告知されない形式は形式ではない)という、新たな方法的懐疑が存在論されている、ということだ。@BeTakada 生死とは言語による有限

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posted at 15:46:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

たしかに、奏でられた音楽は、記憶の彼方(過去)から聴こえてくるような気がするのだが、しかし現実に奏でる音楽は、必ずしも過去から到来しない。現在は未来から到来するのだ。この矛盾をどう説明するか。それが現代哲学の全ての苦心だと言っても過言ではない。

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posted at 15:25:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年9月2日

これが現代哲学の発端というのも重要だ。アインシュタインを批判するベルクソンの時間論を、人間がメロディーを脳裏に思い浮かべる記憶力=内的時間としようとしたフッサールに対して、そんなメランコリーは時間(つまり音楽)ではない、としようとしたハイデガーからそれが起こっているわけだ。

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posted at 15:22:35

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