大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2017年01月14日(土)
つまり、日本人は近代文学に依ってリアリズムを被ったのだが、そのことにより本来は語りの分析論でしかない哲学を、語り以外、つまり物自体を分析するものと、隠蔽されてしまったのだ。そのことにより語れないもの、つまりタブーが生まれたのだろう。@inja650rr
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posted at 01:35:32
デカルトのコギトは、自我を幻想した語りだ。そういう超越論が存在論となる地点。それは哲学が完全な文学となる地平なのだが、それが三島による阿頼耶識への言及、つまり容れ物=仮我であり、イデオロギーこそがそれを隠蔽する、存在忘却させる、とすればどうか? @inja650rr
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posted at 01:28:53
これはさらにこう翻る。仮我にすぎないものを自我と幻想するリアリズムの頽落した語り方が、ロゴス(語り)の学である哲学を、何か他の学のように幻想せしめる、ということだ。イデオロギーとはそういう幻想であり、それはリアリズムに頽落した語りの副産物だったのだ。@inja650rr
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posted at 01:24:13
このことから明らかのは、日本近代文学がもたらしたリアリズムという語り方が、頽落(余計なお喋り)だった、という一点なのだろう。リアリズムで語れば、仮我が自我と幻想されてしまう。あるいは、自我を幻想した語り方である、そういう析出が起るということだ。@inja650rr
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posted at 01:20:03
そして、そのあらましが、三島の『豊饒の海』の阿頼耶識論 twitter.com/sunamajiri/sta... は、単なるリアリズムの語り方への頽落だ、という文学的な問題というわけだ。おそらく、リアリズム自体がイデオロギーであり、頽落なのだ。@inja650rr
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posted at 01:16:46
たとえば、頽落(お喋り)を分析するハイデガーこそが頽落(饒舌)だ、というのが問題的なので、だからこそ物語的にこれを解決する、という話が起るのだが、三島に力量がなかったのは、彼が先駆的決意性、つまり上述のようにイデオロギーしか捉えていなかったという点だ。@inja650rr
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posted at 01:06:29
このように、ハイデガー以後、哲学とはロゴス、つまり語り方の学、つまり文学そのものなのだが、三島以後、どういう語りが可能なのかが正確に分析されなければならない。三島は二次創作されない作家だからだ。@inja650rr
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posted at 00:59:42
こうした明晰判明を転回というなら、三島が阿頼耶識=容れ物を、仮の我ではなく自我と捉え、それを実存論的に死の病へ頽落させてしまったのも、彼にとっての世界が、観念論的、つまり世界観的なイデオロギーでしか無かった、ということに尽きるのかもしれない。@inja650rr
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posted at 00:56:30
ハイデガーの実存論的分析では、世界とは世界観(イデオロギー)ではないことだ。しかし、それでは死の病(不死性)への頽落(お喋り)が起ると分析される。ここから翻って、もし世界がイデオロギーでないとすれば、死の病(不死性)こそが頽落であると、明証されたことになる。@inja650rr
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posted at 00:53:31
冒頭に戻って、三島がハイデガーの転回を誤読する読解状況にあった、という話でいうと、死の病への頽落である実存論は、イデオロギー(世界観)を批判するわけだが、それでもなお三島は世界内存在、つまり死の病(不死)からの転回を果たせなかったのだ。@inja650rr
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posted at 00:43:32
ハイデガーの理路では、世界観(観念論、イデオロギー)から、世界を抜き出す分析が実存論(基礎存在論)だが、そのためには先駆的決意性=死の病への頽落が起こってしまう。しかしそこで取り出された被投性=世界内存在を使えば、死の病(不死性)から転回できる、というわけだ。@inja650rr
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posted at 00:41:15
さておき、君の対話する相手は、海外渡航もないような世界を観念で語るイデオローグだものね。もう一度、その君のいう世界観の転回、つまり存在内世界から世界内存在への転回、という観点から検討してみよう。@inja650rr twitter.com/inja650rr/stat...
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posted at 00:38:12
カント書、ダヴォース討論、1929年というのも、ハイデガーとカッシーラーの対決なのだが、いわばカッシーラー主義(カッシーラーの翻訳者でもあった)全共闘と三島の対決だった、と思うと面白いかもしれない。youtu.be/fkQJyqGj99g?t=... @inja650rr
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posted at 00:13:11