大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2018年02月21日(水)
哲学が当為を遅延させる脆弱性となると、たしかに政治や宗教が当為を語り出してしまう。書簡体の二人称の疑問文のように、確実性と他者承認の主観性原理に依存してしまうなら、哲学のない宗教や政治による当為しか残らない。そういうタカ基地さんの叫びが、ハイデガーのそれと重なったのであった。
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posted at 15:02:11
私「いいですね、ワクワクしてきます。宗教と政治は、たしかにそうですね。勿論、両者とも哲学ではないからそれらなのだが、あの野放図さに対する牽制する威力を失った哲学には魅力がないですよね、まったく。彼らを黙らせられないものか」
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posted at 14:55:34
私「そうした当為を語ることを憚れるというのなら、手続き的にはまず疑問文で語ってみれば?」
タカ基地「疑問形で語ることは基本だと思います。しかし、宗教や政治が当為的で実定的な手法で思想を抑え込もうとしてくる場合は、そうも言っていられないかも知れませんが。」
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posted at 14:54:34
私は、ハイデガーは、カントが語りに自覚的でないがために、長々と当為に至る脆弱性を来したが、ハイデガーはそれに自覚的な語りの哲学であってみれば、その脆弱性は全て塞ぎきったので、タカ基地さんの疑問文は当為に書き換えるべきだ、と結論したという次第だ。以下タカ基地さんを少し代弁する。
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posted at 14:47:32
タカ基地さんは、カント晩年の脳論のエーテルが、虚物ではなく量子の概念化だ、というのだが、たしかにカントの批判期のいう先験では、単なる実在論であるイギリス経験主義の先でしかなく、超越論を存在論といい切れない脆弱性だ、とハイデガーなら怒り出すのだが、~
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posted at 14:32:15
それに対して私は、ハイデガーは、カントが自覚的ではなかった語りの哲学でもあるのだから、それを確実性に付して疑問文で提示してはならない、と主張していた。つまり、ハイデガーの存在論は、原子論に対する量子論なのか、というタカ基地さんの疑問文は、当為であると応酬していたことになる。
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posted at 14:20:32
これを受けタカ基地さんが、ハイデガーの存在論は、形而上学である因果律から、いわば自由であること=存在論という意味での量子論そのものであり、もはや唯物論哲学のような、虚物を措定的に排除するというやり方ではなく、虚物の措定自体が排除される存在論が語らていると力説していて興味深かった。
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posted at 14:17:43
村井則夫『自性態の四方域』 bit.ly/2ojFDjq では、近頃の思弁的な実在論を尻目に、ハイデガーの存在論を、基礎存在論では脱人間学の図式であり、非本来的形而上学の批判でしかないが、GA41原則論の裏本『寄与論考』では、形而上学である実在論から存在論へ超越した系譜が喝破されていた。
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posted at 14:11:44
先月の現代思想ハイデガー臨時増刊号で目を引いたのもその点だ。つまりハイデガーがアリストテレスから書き換えた主導的問いだが、収録された昨秋のシンポ翌日の鼎談では、ハイデガー自身は人間学を存在忘却と捉え、存在の問いを発しているのに、と辛うじて把捉されようとしており、さらには~
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posted at 13:58:21
さしあたって大まかに言えば、プラトン以来の【実在論】(存在忘却)は、デカルトの確実性やヘーゲルの弁証法など枚挙に暇がない(日下部なら主観性原理)。しかし、そうした「虚物」の措定は、個物である「私」の実存を説きさえすれば、実在論の拘泥から【存在論】に突破する。それなのにという叫び。
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posted at 13:51:27
最近、タカ基地さんとは、体系哲学の時代の書簡体のように、DMで盛り上がってしまう。その豊穣な語り口を全て再話することは不可能だが、それを削ぎ落としてもある一点で一致していた。それはハイデガーの叫びとでも呼ぶべき事態だ。体系性を全て払拭する叫びなのだから、もはや書簡体に意味はない。
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posted at 13:50:27