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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年02月02日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月2日

タカ基地さんの斎藤元基ニーチェ論文読解へのメール。bit.ly/1UE0yWX To タカ基地 時間の非概念化と生の自由 @BeTakada

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posted at 08:06:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月2日

簡単にいえば、ニーチェは死を語り事とはおもえず、実存と思い悲観的で、キリストは早死した馬鹿だとかいう。それに対してハイデガーはあくまで死は語りの中の問題で、死の自由は不安を打ち消す高揚のことだ、といった対比の構図。bit.ly/1UE0yWX @BeTakada

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posted at 08:07:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月2日

要するに、死は語りの全体性であり実存としては死は語りえない。だから語りとして自覚的に語るのでなければ、死という彼岸は語られないのです。語りの中にある時、不可能はない、というハイデガーのGA33でのアリストテレスのディナミス(可能態)解釈もそれでしょう。@BeTakada

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posted at 17:24:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月2日

ざっくり言うと、人は何でも範疇化し定義し概念化してしまうが、一度、時間なるものを概念化すると、神学になったり、自殺に追いやられたり、語りに被投的に巻き込れてしまうが、それならば書き手の立場、つまり神になって、それを企投=語ればいいじゃないか、というような。@BeTakada

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posted at 17:51:25

2016年02月03日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月3日

そういう動揺がありますよね。被解釈性(先入見)という隠蔽の開示が、実はさらなる隠蔽に聴こえてしまう。存在と時間公刊部の意地悪な語りにはそれがあって、それは被解釈性の開示という基礎存在論から転回しないと開示されない。そういうメタ存在論からの開示が起こっていますね。@BeTakada

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posted at 22:14:58

2016年02月04日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月4日

普段、近代哲学で「自我」を規定語とするのはありか? 規定は「時間」で「自我」は相対的な「もの」ではないか、という話題ばかりしてるわけだけど、「右」という語彙を、辞書で定義するのは、もっと規定がないよ。どうしたらいいかわからなくなる。@ru_ahha それ以前の前提から規定しないと

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posted at 19:13:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月4日

数が時間か、って二千年以上ずっと同じ話題やってるのよ。でも数より右という言葉の規定の方が、より根源的で難しいという映画ねこれ。ハイデガーも方角と方位とかやるけど。youtu.be/5w3SWA9WbPY @ru_ahha pic.twitter.com/sbDBt0uUwZ

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posted at 19:54:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月4日

そうそう、すごく素朴よね。私達から見るとまるで無駄話みたい。そういう無駄口を2000年以上ずっとやってるのよ彼ら。挙句に、そういう無駄なお喋りを、哲学とか頽落とか、名前まで工夫してつけてね。笑 @ru_ahha いやあ、でも面白そうな本ですね!( ´ ▽ ` )

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posted at 21:10:15

2016年02月06日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月6日

ついでに言っておくと、柄谷を形而上学に唆した坂部恵(岩波カント全集総監修者)の構想力論だが、坂部の弟子である近所のO氏の証言によれば、坂部の東大での構想力講義は、ほとんどミメーシス論(音韻的模倣論)だったそうだ。音楽は観念を模倣しない、という構想力に達していなかったことになる。

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posted at 01:25:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月6日

魂が身体の桎梏(監獄)に幽閉されて潜勢しているのではなく、当然ハイデガー以後、魂という概念に幽閉された身体という系=現勢が明快化する中で、これまた当たり前だがフーコーが身も蓋もないのがよい。身体を縛る魂。twitter.com/M_Foucault_jp/...

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posted at 03:24:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月6日

柄谷行人を形而上学に唆した坂部恵(岩波カント全集総監修者)の構想力論が、東大講義では実は殆どミメーシス論だった、という話をした。twitter.com/sunamajiri/sta... 柄谷がトラクリ以降、ハイデガーの構想力論を排除して、形而上学に転じているのが興味深いのだが。

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posted at 10:53:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月6日

ちなみに、なぜ構想力(想像力)という系が重宝されているかというと、非構想力である演繹や綜合という旧来の哲学の方法では、端的に神が捏造されてしまうのに対して、有限な人間の想像力では、そうした捏造が払拭されている、という点があるからだ。想像力は最も非宗教的な人間の営みなのだ。

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posted at 10:54:08

2016年02月07日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

ところで、有限性までは、現れの以前を語る図式は構想力と呼ばれていたが、有限性の後には思弁=語りと呼ばれるんでしょうか? そこで語られるものついては、タカ基地さんがお好きそうですね。bit.ly/1UTzjI8 @BeTakada

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posted at 03:37:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

内的必然って被投=巻き込まれのことでしょう。構想力による有限性の後には思弁的転回論者ではないが、語りの中にしか力がないという、ハイデガーの謂がありそうですね。外力ではなく有力という。@BeTakada さんのニーチェとGA33も、一言で言えば、無力な語りだけが害悪という。

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posted at 21:12:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

いやGA25でしょ。@BeTakada 来月はカントに戻りますがGA31へ向かおうと思ってます

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posted at 22:18:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

GA31は、タカ基地さんの最大の関心事、(イデアから)自由であること、を図式論以降、つまり存在論的に語っているんでしょう、私は来月読解します。@BeTakada pic.twitter.com/CNY29gnrjA

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posted at 23:38:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

一方、前カント書=図式論以前のGA25のカント論は、三種の綜合という図式の内実、GA33でアリストテレスが多様性をイデアから、謂わば救済したことを、カントが如何に時間化したか、という図式の内実が詳述されています。@BeTakada pic.twitter.com/lSQzauLbgl

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posted at 23:43:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

要するに、遂行歴史は図式以前と以後で、図式以前とは、闇雲(構図無き)な概念対立、誤謬推論、アンチノミー、無限遡行、時の空間との点的止揚=否定=無であり、それらは仮象的図式であるというものです。@BeTakada

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posted at 23:54:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

仮象的図式にいわば頽落して例示すると、その概念対立は、実在論と観念論という認識論の図式、唯物論と唯心論という存在論上の図式です。たとえば、detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de... @BeTakada

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posted at 23:55:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

しかしそれを無-問題(GA26)としたハイデガーの内的必然的転回以後は、その概念図式の根源をいわば言挙げしているのであり、イデアのような一性に対する多様性の語り、言挙げ、つまり有という現象なのです。もし有=言挙げという現象を伴わなければ、それは単なる多様性です。@BeTakada

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posted at 23:57:28

2016年02月08日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

しかし、方法的に如何にその自由が取り出せたのか、という懐疑に興味があります。図式論以後、決意性が語りの当為から不要化される。つまりアンチノミーが解消している。そうした図式が、GA33の「語りの中にある時、可能態は現実態だ」ですが、それを如何に取り出したのか? @BeTakada

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posted at 00:13:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

こうした背反しない当為を恐らく自由というのでしょうが、それは概念化しないことです。人は分かりやすいという時に図式的というのです。概念、つまり時間概念が覆ってしまうこと。そこから自由になることが、本来の目的論です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 00:19:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

いま偶然TLにあった写真。ハイデガー全集31巻「人間的自由の本質について、カントの超越論的自由と実践的自由」講義がされた年の、ドイツの風景ww(^-^)/ twitter.com/historyinmomen... @BeTakada

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posted at 00:53:46

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

ハイデガーのいう根源図式からでしか、ファシズムに対する批判性が全く生まれてこない、というのは今の日本を見ていると痛感させられるのだが、GA33-72に、力の多様としての権力というのがありましたね。@BeTakada pic.twitter.com/PwwAM0sqP5

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posted at 01:32:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

こうした多様に対する一はイデアではない、というハイデガーのいう自由の問題を、もう一度、先日の森一郎~斎藤元基twitter.com/sunamajiri/sta... のニーチェ~ハイデガーの、力の問題と、いわば綜合しないでは、またしても人間性に回収されそうですね。@BeTakada

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posted at 01:50:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

ところで、創文社全集外文書の、いわゆるナトルプ報告の第二部問題(アリストテレス形而上学第九章に対する解釈学的視点)はご一読でしょうか? 図式論(カント書)以前の第二部予告では、図式とは解釈学的状況でしかないですね。bit.ly/1L8HACp @BeTakada

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posted at 01:53:28

2016年02月17日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

しかし、共同存在は、現前性の時間=時間の概念化からは生まれないのです。つまり神学や、神的なものによって、宗教のように共同的な言語が生じるわけではない。各自が脱自的時間を生きる時、お互いに共観する、というほどのことです。しかし前者と後者では大きく違う。@BeTakada

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posted at 09:29:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

カントでは内的時間が図式性(超越論的時間規定)として語られるも、それが徹底されないために、図式性が歪んでいるのです。図式性が歪むというのは、内的時間が歪み、超越論的統覚たりえていない、というのがハイデガーの批判です。@BeTakada

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posted at 09:36:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

不動の動者、あるいは一性というのは、すぐに神的なものと誤解されてしまうが、それこそが現存在のことです。動態に対する不動の動者。それは動態の多様性を、細大漏らさず捉える一つの一貫した視点で、そうした視点も静態的には想定できない。@BeTakada

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posted at 09:59:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

一なるものとは、紛れもなく現存在(という無神論者)のことだが、そうした現存在同士でなければ、多様な人間同士は、言明を了解しあえない(デカルトの神観念要請に最も鋭く対立する、いわば無神論要請ですね)。そういう共同存在は時間を、如何に伝統的概念から解体するか。@BeTakada

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posted at 10:09:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

そういえば、あのあたりの人たち、全て一般論にして喋るのよね。現象学的還元ができないというか。(^-^)/ pic.twitter.com/kByHnJRIsE

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posted at 14:58:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

現象学的還元で思い出したが、ハイデガーのカント書でのカント批判を、フッサールの地盤から、平明に解説した本として、これは読んだ? 丸山文隆論文でも、この本ではないのだが、批判的に言及している注釈があるほどですす。www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%8... @BeTakada

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posted at 15:07:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

私が丸山文隆の内的必然性論文で、ずっと問題にしているのはこの注釈。そこに領域的存在論説をとらない側として、この斎藤慶典氏が列挙されていて、それはフッサールからハイデガーの転回を自明化する誤謬、と理解しているのだが。@BeTakada pic.twitter.com/26TwfbQQ0b

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posted at 15:08:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

つまりハイデガーはフッサールの論理性をライプニッツに遡って真理性から退けた時に、メタ存在論への転回となるのだが、フッサールの内部からはそれがみえない。だが斎藤慶典氏はハイデガーと同じでメタ存在論を領域存在論とみなしていない、というのがその注釈です。@BeTakada

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posted at 15:10:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

その一点だけを私はずっと考えている。領域存在論ではないメタ存在論を、ハイデガーは言い当てているが、フッサールは言い当てていない、しかし斎藤慶典氏はハイデガーのカント書に言及することで、フッサールを転回させてしまっているんです。@BeTakada

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posted at 15:13:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

なお、斎藤慶典『フッサール、起源への哲学』では、ナトルプ報告も非常に分かりやすく解説されています。メタ存在論(超越論的図式性)どころか、現象学的還元もままならないのなら、ハイデガーからフッサールを見ているような同書をご一読ください。良いか悪いかは別として。@BeTakada

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posted at 15:14:51

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