大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年02月28日(日)
『存在と時間』期では「等根源性」だけれど、カント書以後は、図式的に根源範疇を言い当てているのだ。しかしそれをもっというと、意味を価値だと転倒するイデア論者=ニヒリストを括弧に括る、というような作業のことなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 14:17:30
それが、さっき解説したこの範疇論 twitter.com/sunamajiri/sta... なのだが、ハイデガーはカントの範疇論が、アリストテレスの図式性を範疇論と誤解してしまい、それを回復するための図式性を明示しようとしているのだ。@LitoSnowfield
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posted at 14:15:44
ハイデガーは、カントのカテゴライズ(範疇論)を攻撃しているのだが、ハイデガーにも範疇論があるのだ。この根源的なカテゴライズ(超越論的範疇論というのだが)は、存在論者と無存在論者の違いのことで、ニヒリストである後者は価値判断で態度表明してしまう人達ね。@LitoSnowfield
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posted at 14:14:07
そうそう、意味の話をしているのに、価値の話だと転倒して、態度表明する人達ねw それをニヒリストというのだw (^-^)/ @LitoSnowfield このお話の流れで…ニヒリズム=無存在論者、ツイッターでよく見かける人たちのことに思えました。
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posted at 14:11:48
要するに、価値と意味の峻別という話で、無存在論=ニヒリズムというのは、意味を価値と転倒する、イデア論者のことだ、ということなのだが、ニヒリストは必ず価値論に囚われ、意味の分からない人たちのことなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 14:10:23
2016年02月27日(土)
カント以来の悩みというのは、概念化するより図式化する方が方法的にむずかしいから、図式化せずに言葉=概念化しておこう、という他愛のないことなので、ハイデガーではそれが非本来性=頽落、もっというと神秘主義、という視座の欠如態である、とするのが超越論的図式光景なのだ。
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posted at 09:43:44
ついでにいうと、それが見えなくなるのが、神秘主義的でないことを実体化、あるいは物象化させる言語の営為なのだ。それによって、本来的に語りえないことを、語るという動態が、見えなくなってしまうのだ。ハイデガーが話している地平は、そういう地平水準なので、大抵の人には見えない。
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posted at 09:23:44
要は、前方法的には神秘主義と語ってしまうことを、神秘主義と語らないための方法を、いかに発見するかという話なんだけどね。そういう視点移動、つまり動性をつかめるか、という話題があるということだ。その動き(動態)が、大抵の人には見えないという。
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posted at 09:18:07
端的に、ファルスにとっては、語りえないことは神秘主義だ、というのが東の主張なのだが、しかしそうしたフロイディアンを、ハイデガーの図式と比較すれば、破綻するだろう。それはハイデガーからは存在論的視座、つまり図式論的超越論の視座を欠如する、単なる神秘主義だからだ。
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posted at 08:57:20
しかし、言語の物象化、換喩を、ゲーデル数と同じ、とみなすことが神秘主義=形而上学=ニヒリズムであり、ハイデガーにはそれがないというだけなのだ。ハイデガーには図式性は超越論性だが、東の図式には超越論的図式性、つまりカントの言う図式光景が欠如しているのだ。それこそファルスだろう。
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posted at 08:54:51
東の「語りえないこと=神秘主義=ゲーデル数」が、ハイデガーからは「神秘主義=形而上学=ニヒリズム」に見えていない、つまり論理的に見えているのだ。だから、東が言うように、ハイデガーはゲーデルと同じなのだ。しかし東はそれを神秘主義と捉えている。それはカントの破綻と形式的に同一なのだ。
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posted at 08:54:37
これはもっと簡単にいうことができる。ハイデガーだけが語りえないことを、神秘主義で捉えていないのだ。しかしそのメタ論理性を東は、言語の物象化はゲーデル数と同じというために、神秘主義と語ってしまっているのだ。ハイデガーの図式光景を読み取っていない。
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posted at 08:40:40
尚、改めて確認しておくと、ヴォルフの形而上学によって、カントの純粋理性批判は破綻している、という論点は、今日では非存在論=ニヒリズムと呼ばれているので、語りえないことを語ることを、言語の物象化、ないしは換喩だとするのは、図式論ではなく、カントが動揺した末に陥った範疇論に見える。
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posted at 08:20:07
超越論とは図式性のことだという存在論なのだが、カントが図式論から範疇論、つまり時間の概念化に頽落しているというハイデガーの図式論が、東にはないように見える。範疇論では図式論とならないというあたりは、タカ基地さんあてのメールで考察した。bit.ly/1Q7aVBN
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posted at 08:17:05
東も超越論的基礎(230p)といっているが、ハイデガーには基礎づけに対する超越論的図式光景がある。東には、実存論的構造とゲーデル数が同じ(235p)という光景があるのだが、それはハイデガーの超越論的図式光景とは、図式論的=超越論的にどのような違いがあるのか?
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posted at 08:11:01
問題は、現存在~二重襞を、論理実証主義的には語りえないことを語る、言語の物象化と捉える、素朴実在論という地平が、ハイデガーの言う存在論の地平ではない、という根源図式の光景なのだろう。東にはその図式光景がない。それはフロイトにその図式光景がないからだ。
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posted at 07:55:04
うむ、やはり東は「論理実証主義では語りえないことを、ハイデガーが語るのは言語の物象化だ」bit.ly/24sIKEI とフロイト~ラカンが、ハイデガー以上に語りえないことを語った、と言おうとして破綻してるな。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 07:52:06
2016年02月26日(金)
こうしてハイデガー以後、語りは全てアフォリズム(図式論的アフォリズム)になる。それはパフォーマティブという問題ですらない。どんなに長ったらしく頽落して論述しようとも、それは詩のレベルなのだ。たとえばフーコー。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 00:37:05
存在者の全体をコギト・エルゴ・スムとすることに対して、エゴサムコギタンス=時間性という問題は、自我を実体的に範疇化する形而上学という図式性では、時という原現象を明晰判明に語る超越論的悟性を範疇化(概念化)できずに掩蔽される、という超越論的図式性を示している。
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posted at 00:13:48
事象に背後世界はない、という古来からの図式的な霊魂規定を度外視して、霊魂という範疇を措定した時、このように語り手の存在が掩蔽されてしまう。こうした存在者の全体を、さらなる外側から図式論すること(超越論的図式性という)。それをすれば自己という事実が語られる、という現象学。
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posted at 00:08:09
ハイデガーの主張は、形而上学は近代に捏造的に生まれたものであり、そうした近代性とは、語っている人が、語りの図式構造を忘却している状況に過ぎず、だからこそ凡庸な語りは宗教的とも言える永遠時間しか語らない、というものなのだが、語っている当人はなかなか気づかないものなのだ。
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posted at 00:05:57
2016年02月25日(木)
永遠を安っぽく語る凡庸さに対して、鋭い語り=現象学とは何か。ハイデガーによれば、それはアリストテレスの図式性を範疇論と誤解して、想像力を自我という実体として語った近代の形而上学を払拭しないかぎり、得られない語り方なのだという。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 23:56:19
アフォリズムの問題は、現象学を語り方の徳と位置づけるハイデガーにとっては重要。ショーペンハウアー~ニーチェのアフォリズムでは永遠を語りかねないが、ロマン派のアフォリズムの方が、パスカルの想像力をめぐるアフォリズムより優れているという。twitter.com/Michael_Ende_j...
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posted at 23:32:10
語り方のアフォリズム派とアンチアフォリズム(ハイデガリアン)派。アフォリズム派が、ここでパスカルのように想像力といわず、認識というから、おそらく徳や人徳が転倒したのね(^-^)/ twitter.com/Schopen_bot/st...
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posted at 13:12:34
無限とか永遠とかをアフォリズムするか、いや想像力だとアフォリズムするかが、アホリズムとの違い。パスカルを見習いなさい。じつにハイデガーの語り方のマニュアル本=カント書の図式どおり(^-^)/ twitter.com/B_Pascal_jp/st...
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posted at 10:24:18
そんなショーペンハウアー主義者冥利につきるようなアフォリズムを語るから、ハイデガーに、有限じゃん?って切り返されるのよ。アフォリズムをするならパスカルみたいに、想像力想像力といわなきゃ(^-^)/ twitter.com/Nietzschebotjp...
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posted at 10:19:45
2016年02月24日(水)
このハイデガーGA33第10節は、アリストテレス形而上学1046を、力は種類ではないと解釈するものですが、同講義で重要なのは、同1047、力は種類ではないというのが力としての語りの根源だ、という図式光景ですものね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 23:35:48
為すと蒙るは種類でないというアリストテレスの主導的意味を読み取らなかった、デカルト~ライプニッツによって、カントが形而上学となったという、GA33第10節ですね。bit.ly/1XMuked @BeTakada pic.twitter.com/SyPqWpbiQ0
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posted at 23:30:56
これね。bit.ly/1STJ2ke 「漢字の『自』に『みずから』と『おのずから』の二つの意味を当てたために起こる混乱。」これカント的なものの輸入で日本で縒れたよね。ハイデガーではそれが隠蔽性だものね。 @BeTakada 可能態と蒙るデゥナミスの表現そのまま
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posted at 22:43:02
このように、形而上学とはデカルトが自我を実体視したことでしかなく、アリストテレスにはそれはないというハイデガーの解釈学は、形而上学から現象学に「徳」を転回させる系譜なのだが、こうしたいわば現象学的転回を、ハイデガーは見事な精確さで遂行している。
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posted at 17:51:36