Twitter APIの仕様変更のため、「いいね」の新規取得を終了いたしました

大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

  • いいね数 11,694/13,358
  • フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
  • 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
  • Web http://www.sunamajiri.com/
  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2016年06月
«< 前のページ123456のページ >»
並び順 : 新→古 | 古→新

2016年06月01日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

サルトルはデカルトのコギトを意識=対自と思っているが、ハイデガーはコギトを脱自=時間と捉えている。その用語の原則論的齟齬のため、サルトルはハイデガーが(存在)理解できず、構想力もイメージと捉えてしまうが、メルロはそれを本来の時間地平に戻す話をしているのでしょう。@BeTakada

タグ:

posted at 03:53:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

地平は、志向や意識や対自とは対立的ですよね。いわば対自と脱自を比較するメタレベルが地平という光景なのでしょう。その点からも、マクタガートのA系列B系列という時間の実在論も、意識を時間との対立とみなす観念論で、時間という現象を捉える地平となっていないのでしょう。@BeTakada

タグ:

posted at 19:29:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

コギトは単に思惟ではない。超越論化する反省を伴う。だからこそそれを単純に意識という客体にはできない。それが実存論上の存在了解です。したがって、脱自=存在了解というのは、コギトを意識=対自と捉えず、コギトを超越論=時間と捉える了解の仕方、地平=方法自体のことです。@BeTakada

タグ:

posted at 19:46:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

そういう点でも、非常に見通しの良い構図なのです。コギトを意識と捉えず時間と捉えると、超越論的地平が得られ、観念論に陥らない。それを存在了解とか脱自とか、ハイデガーは名付けているが、それは対独我論的なのです。なぜなら原則論上、それをいう権利が有るからなのです。@BeTakada

タグ:

posted at 20:02:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

ところで、木田元は図式論が原則論に成就していない、という光景も参考になるのでしょう。木田はメルロのユクスキュルとの関連、つまり生物学でコギトを捉えていて、超越論的原則論としてのハイデガーを捉えきれていないからです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

タグ:

posted at 20:11:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月1日

メルロのハイデガー解釈は、ユクスキュルの生物学というより、『知覚の現象学』の時間地平の箇所だが、木田元『存在と時間の構築』が再構成する第一部第三篇「時間と存在」に、その明確な地平が欠如していて、単に被制作性の有無、つまり形而上学を語っているからです。@BeTakada

タグ:

posted at 20:18:19

2016年06月02日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月2日

講演料ありがとう。続・ハイデガー読本の『カルナップ・ウィトゲンシュタイン』のとこ総括的でよいね。カルナップは一人で誤解してるが、カルナップのハイデガー批判にハイデガーは全肯定するし、ウィトゲンシュタイン然り、というあたり。また後で話題にするが。@BeTakada

タグ:

posted at 23:40:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月2日

それにしても、続・ハイデガー読本のいう影響史というのは、同書のカント書論で、カント書とは判断力批判の総括のことだというとおり、まさに総括的で非常に見通しがいいね。昨晩のメルロの話もそうだし、論理実証主義の話もハイデガーから総括されてしまう。@BeTakada

タグ:

posted at 23:42:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月2日

何を総括してるのかというのは、コギトを対自や意識とするより、時間や地平とするほうが見通しが立つものがあって、論理実証主義がハイデガーを批判する部分まで、ハイデガーから総括されてしまうというのが、続・ハイデガー読本で浮き彫りになってしまうのが興味深い。@BeTakada

タグ:

posted at 23:45:29

2016年06月03日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

タカ基地さん、読解追従してます? 要は、問題全体を存在者の全体と形式的に混同(カテゴリーミステイク)しない方法、というべき話題なのだが。形式的告示できています? @BeTakada

タグ:

posted at 01:52:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

上記の続・ハイデガー読本のカルナップの問題もそれです。「全体における存在者」やウィトゲンシュタインがハイデガーを肯定する「形而上学的動物」に総括されない問題意識が無意味だ、ということなんですが。@BeTakada

タグ:

posted at 01:54:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

端的に、《存在者の全体》は《問題全体》とは混同できず(それが形而上学です)、だからこそ《全体における存在者》というハイデガーの問題が生じていて、ウィトゲンシュタインがそれに応答した、というのは木田元の『存在と時間の構築』でもモチーフでした。@BeTakada

タグ:

posted at 01:57:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

続・ハイデガー読本の『カルナップ、ウィトゲンシュタイン』 bit.ly/20VIf2k は、同書のカント書論のいう「総括」のまさに実践のような総括。問題全体=驚異は、存在者の全体とカテゴリーミステークできない、という話ですね。@BeTakada

タグ:

posted at 02:39:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

注1で、論理実証主義の中でもギルバート・ライルだけが、カテゴリーミステイクに気づいていたという話をしていて、メイヤスー以後とするなら、もはやヒューム的なデカルトに対するカテゴリーミステイクの話でしかなないのですが。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

タグ:

posted at 02:40:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

当然、ここでデカルトに対するカテゴリーミステイクというのが、コギトを対自としたり意識とする誤謬のことで、そのカテゴリー誤謬を解消するために、コギトを時間とか脱自と規定し直す話(形式的告示)をしているわけです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

タグ:

posted at 02:41:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

一般に、語りえない神秘といわれるものなのだが、そうしたプラトン~アリストテレスの語った驚異を、問題全体とする方法でウィトゲンシュタインとハイデガーが同調している、という話が木田元『存在と時間の構築』の最大のモチーフです。@BeTakada

タグ:

posted at 02:41:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

とはいえ、木田元の地平は、おそらくニーチェの被制作性からカントの被制作性を露開するにとどまっていて、そうしたカテゴリー誤謬を解消する再規定=存在論の地平創造に到達していないだけ、とも見做せるんですが。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

タグ:

posted at 02:41:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月3日

まあ、じっくり読み進めてみてください。単に西欧というと、被制作性とみえてしまい、デカルトあるいはヒューム以来のカテゴリーミステイクという問題が隠蔽されてしまう、それを形式に齎す形式的告示、という方法が話し合われているだけで、事態は単純でしかありませんから。@BeTakada

タグ:

posted at 02:42:07

2016年06月07日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

そうした点からも、twitter.com/sunamajiri/sta... … に続けるなら、こうした近代的自我という道(方法)に、格別の道標を与えているのが、さすがにハイデガー全集編纂者、後期カント論で纏め上げたGA9『道標』というアンソロジーのようです。@BeTakada

タグ:

posted at 01:03:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

GA9『道標』所収の後期カント論は『有に関するカントのテーゼ』で、理想社版『物への問い』に、訳者の近藤功氏が要約を付しています。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada pic.twitter.com/eJb348Od0f

タグ:

posted at 01:04:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

この後期カント論へ方向づけられたGA9『道標』は、サルトルの人間中心主義を批判する『ヒューマニズムについて』と、コギトは何であるかではなく、何かに命じられることだという『何が思索を命じるか』所収です。つまりコギトを方法とするための文字通りの道標でしょう。@BeTakada

タグ:

posted at 01:05:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

『何が思索を命じるか』の名要約がハイデガー読本にあります。bit.ly/1t0JXEL アリストテレス~ニーチェまで、過ぎ去りに対する存在者の永遠回帰という形而上学だ、という問題全体。@BeTakada pic.twitter.com/xQxljThwCG

タグ:

posted at 01:17:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

レスコギタンスのように、自己を過ぎ去らない存在者と措定してしまう形而上学を懐疑すること。それが問題全体であって、存在者の全体でも、コギトという全体でも、あるいは意志ですらなく、このことを告知する形式(超越論的時間地平)がある、ということなのでしょう。@BeTakada

タグ:

posted at 01:20:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

要するに、時間をアリストテレス~ニーチェのように定立すると、存在者であるレスコギタンスが、永遠回帰しようとしてしまう。しかし、それは時間の定立の誤謬だ、という話なわけです。コギト=時間という原則論が措定されるのは、そういう辺りでしょう。@BeTakada

タグ:

posted at 01:22:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

問題全体は存在者の全体でもレスコギタンスという近代の素朴実在論でもなく、時間によって告知された思惟であり、そうした方法を告示することだ、という形式告示=問題、あるいは有問題があるということでしょう。それ以外は謂わば無問題という。@BeTakada

タグ:

posted at 01:25:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

一方、これを二重襞(存在者と存在の差異)に対する一重襞だ、と批判するのが、ドゥルーズ的逃走だ、というのが続・ハイデガー読本の『ドゥルーズ』でした。ハイデガーの差異=二重襞はよいが、ハイデガーの問題全体=形式が一重襞になるのは、反復ではない、という批判です。@BeTakada

タグ:

posted at 01:28:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

続・ハイデガー読本『フーコー、ドゥルーズ』は、両人ともハイデガーへの直接言及を避けるが、どっぷりだという話だが、とくにドゥルーズの「ハイデガーは二重襞を反復せず、永遠回帰へ一重襞化して、逃走していない」という批判の仕方は、私達の世代では耳慣れたものです。@BeTakada

タグ:

posted at 01:32:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

続・ハイデガー読本『サルトル、メルロ=ポンティ-』では、コギトを意識とするサルトルが構想力をイメージと混同し脱落するのに対して、構想力を時間と捉えるメルロの話になっているが、ドゥルーズは、ハイデガーの二重襞を一重襞に混同=逃走する話になっている。@BeTakada

タグ:

posted at 01:45:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

メルロ=ポンティ-は構想力を時間と捉えるが、ドゥルーズがサルトルと同様、イメージの有無に囚われる様が非常に面白い。これらがすべてハイデガーの二重襞を隠蔽してしまう現代思想の見取り図になっているので要併読。bit.ly/1U9S0JV @BeTakada

タグ:

posted at 01:51:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

要するに、フーコーもドゥルーズもハイデガーからニーチェに回帰してしまうのです。しかしそれは等しい物=存在者、つまりレスコギタンス、あるいは意識の永遠への回帰(願望)なのだが、ハイデガーの問題全体はそれの一蹴であり、一重襞ではない。@BeTakada

タグ:

posted at 01:52:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

コギトを意識と捉えるか、時間と捉えるか。意識と捉えても構想力を時間と捉えられたのは、メルロ=ポンティ-だけで、サルトルもドゥルーズも、なぜかハイデガーを一重襞だと誤読している、という戦後ハイデガー受容の見取り図が見て取れるはずです。@BeTakada

タグ:

posted at 01:54:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

二重襞(存在論的差異)と、それに対する問題全体(一重襞)こそが、差異であるにもかかわらず、それを同一物だと誤読・転倒してしまうこと、それがハイデガー読解をめぐって、議論されていることだ、ということです。@BeTakada

タグ:

posted at 02:09:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

時間論で言い換えると、時間を過ぎ去るものとすれば、等しい物=存在者の永遠への回帰という形而上学しか語られなくなり、コギトという存在者すらそれを免れない。それに対して懐疑する問題全体は可能か、というハイデガーのテーゼが、回避されてしまうのでしょう。@BeTakada

タグ:

posted at 02:09:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

二重襞(存在論的差異)とは、コギトを時間と規定する原則論によって、存在者の等しさ(同一性)である永遠に回帰する頽落から、思惟を呼び戻す一重襞のことであり、コギトの永遠性を一重襞だと誤解する、いわゆる流行りのポストモダンは転倒だ、ということになりそうですね。@BeTakada

タグ:

posted at 02:09:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

ものすごく平明に言えば、デカルト以後、霊魂の不滅という誤謬が生じてしまったのは、アリストテレスに遡る時間の措定の仕方に原因があるだけで、この問題を是正すれば、コギトの問題はレスコギタンス=存在者ではなく、存在という一重襞に回収される、というだけの話に読めました。@BeTakada

タグ:

posted at 02:12:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

続・ハイデガー読本の『フーコー、ドゥルーズ』と『サルトル、メルロ=ポンティ-』の見取り図的な読解を入れといたよ。twitter.com/sunamajiri/sta... 彼らのハイデガーに対する距離感がわかると、一気に見通しが開けるはず。@LitoSnowfield @BeTakada

タグ:

posted at 05:34:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月7日

要するに、コギトを永遠な魂にしてしまうのは、時間を過ぎ去るものとして、過ぎ去らない物、存在者の永遠性を思考してしまうからなのだが、ハイデガーとメルロだけは、そうした永遠な魂への回帰という問題にとらわれていない、ということなのだが。@LitoSnowfield @BeTakada

タグ:

posted at 05:37:36

«< 前のページ123456のページ >»
@sunamajiriホーム
スポンサーリンク
▲ページの先頭に戻る

タグの編集

あまちゃん うさぎ うさぎのいる暮らし うさぎ好きさんと繋がりたい うさぎのいる生活 うさぎのしっぽ ホーランドロップ Yahooニュース ldnews onisavulo

※タグはスペースで区切ってください

送信中

送信に失敗しました

タグを編集しました