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@behblues

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Favolog ホーム » @behblues » 2011年05月20日
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2011年05月20日(金)

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多田智美 @tomomitada

11年5月20日

2006-2008年度「知デリ」から5つの対話を収録。非売品ながら、山極寿一氏、八谷和彦氏×原山優子氏、藤田一郎氏×藤本由紀夫氏、飴屋法水氏×石黒浩氏、後藤祐児氏×日詰明男氏と豪華なラインナップ。めちゃくちゃおもしろいです。 t.co/x8TQZjF

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posted at 23:55:11

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ゴーキ @gauqui

11年5月20日

もっと詳しいの読みたい / チンパンジーに自己意識の可能性 TVゲームで確認  :日本経済新聞 htn.to/ESV8jG

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posted at 20:42:57

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ハナムラチカヒロ @flwmoon

11年5月20日

2007年に僕が書いた減災絵本「いのちをまもる智恵」のことをブログにアップしました。日本で大きな災害が起こってしまった今だからこそ読んでほしい本です。innerscape.exblog.jp

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posted at 19:51:34

磨伸映一郎@氷室15刊発売中! @eiitirou

11年5月20日

ガチで絵にしか見えない一枚だなコレ・・・!  『「これ、写真なんです」と言われても信じられない、一枚の砂漠写真』 www.hiroburo.com/archives/51758...

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posted at 19:39:16

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せき @my_yours

11年5月20日

でもサルトルはあの嗅覚でホモ・サケルとその政治性を結びつけていたと思う。彼はのちに難民や収容所の問題に発言を繰り返し、F.ファノンなんかに強い影響を与えた。きっとサルトルは、彼ら難民のうちに純粋な実存と政治性の結合体を見ていたんじゃないかな。

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posted at 16:45:39

せき @my_yours

11年5月20日

それは法や共同体から締め出された者として剥き出しの生を捉えるか、それとも自らそうした共同体から身を引いた個人として捉えるか、という態度の違いで、前者のアガンベンは同じ剥き出しの生を政治の問題に結びつけることに成功した。サルトルは失敗でしょう。

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posted at 16:16:40

せき @my_yours

11年5月20日

たとえば『存在と無』のサルトルが提示した人間存在もホモ・サケルの似像として読むことができる。実存主義は、でもあくまで個人主義の哲学を逸することがないから、『存在と無』以降の政治化したサルトルは自己の哲学が政治にうまく接合しないことに苦しむことになっちゃう。

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posted at 16:12:20

せき @my_yours

11年5月20日

もっともホモ・サケルが殺した相手のアラビア人は法秩序に属しているので、罪を犯した意識はなくとも罰は受けることになるけど。ともかくムルソーはホモ・サケル以外の何者でもない。

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posted at 15:42:31

せき @my_yours

11年5月20日

じゃあカミュ『異邦人』をアガンベンから読んでみよう、と。ムルソーは何故殺人を犯したの? 厳密に言えば、彼には罪を犯したという意識はない。彼は法秩序に属していない、共同体から締め出された者。主権者がホモ・サケルを殺しても罪に問われないが、ホモ・サケルも法秩序に束縛されず行動できる。

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posted at 15:39:59

せき @my_yours

11年5月20日

そういう読み替えが読み替えとも思われずに実行されてきたのが近代という時代だ、とアガンベンは診断していると思う。そこで思われるのは、いわゆる実存主義というのはこの"剥き出しの生"(ホモ・サケル)主義のことなのではないかと。単独者・異邦人と呼ばれるのは、自分を例外状態に置くこと。

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posted at 15:34:32

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せき @my_yours

11年5月20日

ハイデガーはなんか運命論的だと思う。世界に投げかけられているという事実性を引き受けなきゃならない。でもハイデガーがここで言ってる事実性ってのは剥き出しの生として、なのに対して、ナチズムはドイツ国民として、血を継ぐものとしての事実性。つまり前述のレトリックでハイデガーを読み替えた。

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posted at 15:05:51

せき @my_yours

11年5月20日

この素朴な生存と政治的身体を同一視させるのが近代国家のレトリックで、そこでハイデガーとナチズムの関わりをアガンベンが指摘しているのは面白い点だと思う。

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posted at 14:46:35

Ayumu OKUBO @waschmaschine

11年5月20日

@Y_H_A アガンベンが描く生政治だと、憲法の人権条項も守らないのが主権権力の根底ということですからね。ある意味生権力の本質を今回はよく表していることになるかとw ただ、現実には今後憲法違反で政府は訴えられていくのかもしれません。そこに望みがあるかと。

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posted at 14:42:10

Ayumu OKUBO @waschmaschine

11年5月20日

@Y_H_A それはまさにアガンベンが言うところの「締め出し」ではないですかw 福島の多くの人は「政府に見捨てられた」と思っているでしょうね。このままうまく対応できないと政府に対する不信感が根強く残ることになるかと。大胆の施策を取れないのは政府の債務が地味に響いている気がします。

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posted at 14:15:26

せき @my_yours

11年5月20日

ぼくらは生まれつき国家に属し、法に守られていると感ずる。でもその保護膜はいつ剥がされるともしれない。純粋な生存状態と法に守られた政治的なありかたを一体のものと考えるのは虚構で、いつ剥き出しの生を露わにされるかわからない。そういう意味でぼくらはみんな潜在的にホモ・サケル。

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posted at 14:08:08

せき @my_yours

11年5月20日

続きが書けない

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posted at 13:27:08

せき @my_yours

11年5月20日

ホモ・サケルとは人の法からも神の法からも締め出された者、法の保護を受けられず(=剥き出しの生として)、主権者に生殺与奪を意のままにされてしまう者を指す。現代における例は、収容所の住人、ナチ体制下のユダヤ人、脳死者、そして潜在的には今日を生きる我々すべてのひと。

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posted at 11:26:02

aynu @ainubot

11年5月20日

アイヌ民族博物館伝承記録3・昔話 上田トシのウエペケレ www.ainu-museum.or.jp/nyumon/uepeker/

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posted at 08:59:35

佐近田展康 @sakotsubu

11年5月20日

メディアアートを「万博みたいなもの」と称した人がいるのだが、それはかなり当たっていると思う。時の先端技術はスペクタクルの見世物としてまずは姿を表すから。

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posted at 03:17:27

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