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2013年10月31日(木)
性が2つあるのに「デフォルトの人間」を考えようという無理から、神が出てきたんだと思うんだよね。RT @masayachiba なるほど。うーん、確かに身体的な男女差の問題は巨大だと思います。ここをどう扱ったらいいかはまだ考え中で、「デフォルトの人類」というのをどう想定するかにもよ
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posted at 23:25:30
ぼくたちがもしN個の性をもち、みながたがいに多様に交わり子供を産み出すことができる生命体だったとしたら、超越性や神についての認識は大きく変わっていたことと思う。性が2つあること、そして2つ「しか」ないことが、ぼくたちの思想を大きく規定している。
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posted at 23:24:27
はい。ぼくはそういう立場です。RT @masayachiba その場合、男/女の身体差は、もっと個別の身体差(障がいとかのケース)よりも大きくはっきりある(そして哲学的により重要)、ということになりますか。「障がいの哲学」 路線だと、そこで身体差の複数化・細分化を言いたくなる
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posted at 23:21:58
男性も女性も同じ人間でイコールなんだ、というのは法とか政治とかの世界では常識というかそりゃそうだってことなんだけど、哲学的に考えていくとえらい大変な話なんだよね。だって、個体差を超えて身体そのものがちがい(きわめて稀な例外を除く)、したがって欲望の構造も人生の設計も違うのだから。
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posted at 23:17:41
男性と女性は身体の構造がぜんぜん違うのに同じ人間ということになっている、それそのものが奇跡というか不可能な話なのだ、みたいにしてハイデガーの哲学に性差を入れていったのが後期ラカンだったのだと最近ようやくわかってきた。
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posted at 23:15:09
キャラクター/プレイヤーの存在論的循環で、そこを抜け出るにはぼくの哲学では郵便的/生殖的/現実界的経験をもってしありえないので、要は性差がなければセカイ系的なループは脱出できず、したがってまどまぎは女の子しかいないのでだめなんじゃないかとか、そんな話をいつかできたらいいですな。
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posted at 23:11:40
存在論的差異が性的差異と連動しているとすれば、郵便的はどちらかといえば生殖(妊娠)の問題で、「存在論的、郵便的」とはすなわち「セクシュアリティ、妊娠」という意味のタイトルだったのではないかとか、そんな意味不明なことを考えている毎日です。
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posted at 23:07:03
「嫌われたくない」より「仲良くなりたい!」の方が冒険のスタートでしょ?相手が嫌うかどうかっての、どうして分かるの?嫌われて終わりかどうかも分からないはずなのに決めつけてるのは「脳内の他者像と独り相撲」してるからも一因だったりして。自分という迷宮で彷徨っているの図じゃないのかな?
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posted at 11:16:49
「いいお母さんになれない」ではなく、「子供と仲良くなりたいんだもん!」だったら冒険が始まる。仲良くなるためには相手を知らなければなので「他者という迷宮」に足を踏み入れることになるんだな。「いいお母さん」ってのは「自分の脳内にしかない」んだから冒険は始まらないんじゃないかな。
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posted at 11:14:03
「いいお母さんになれない」って悩みや「嫌われないようにしよう」って発想はロボット思考の傾向だと思う。ストーカーの鏡面像だからさ。ロボット化の解除はピノキオが人間になるぐらい冒険が必要になるんじゃないかな。ピノキオのまま生きるぜ!って選択を自分の意志で行い満足できるのならそれもアリ
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posted at 11:08:16
「顔が好みだから好きになった」は分かる。そこから「相手はどんな人なんだろう」「何を喜び、どんな事に悲しむんだろう」と考えながら、出会い、話し、相手と関わり合っていくならそれでいい。「ストーカー」と呼ばれる境界線は、「相手が嫌がっていても自分の感情の方が大事」になった瞬間だろうな。
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posted at 10:14:23
非公開
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posted at xx:xx:xx
ハロウィンのためのゾンビメイク。この傷口はティッシュをつけま用のりで貼っつけて適当に破いたところにアイシャドウや口紅をぺぺぺっと塗って作ってあります。ファンデで唇の血色を消したり肌をところどころ茶系かグレー系で汚すとよりゾンビっぽい。 pic.twitter.com/tMSymRg5Sp
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posted at 05:56:42
希望を失った人に、自分がすでに持っているものをあげてもしかたないんだよな。自分が持っている筈がないものを渡さないと。そのためには(「上に」だけではなくて「横に」)自分を超えていく必要があって、その自分を捨てて超えていくことができる、ということ自体が相手に贈りうる希望なんだと思う。
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posted at 00:36:49