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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年11月03日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

とはいえ、同一性と時間の差異を徹底解明したハイデガーすら、日本では戦後に断片化され心的深層や認識論という無時間の系 togetter.com/li/891272 のように仏教と接合されてしまう。ハイデガーはむしろ仏教から見れば、時間的徹底を方法的懐疑として厳密化しただけなのに。

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posted at 14:44:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

要するに、方法ではあり得ないはずの死に方だけが関心事になってきたので、そうとは知らず彼らの論理性=同一性を真に受けて生きようとすると、同一性が捨象する時間を生きれなくなる、ということになりかねないからだ。

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posted at 14:36:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

近代(的自我)だけで西欧を断片的に捉えるようなことをすると、汲み尽くせないどころか、端的に根である時間を捨象した同一性=真理の形式論理学的証明という罠に堕ちる。これがハイデガーの現象学的批判だが、この罠は怖ろしい。なぜかというと、彼らは我々には無記であることをあえて語るからだ。

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posted at 14:29:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

この問題がどう重要かというと、時間と形式論理学という水と油を厳密に分節できない不徹底が、あらゆる仮象や曖昧の原因になるからで、特に日本で西欧を近代性として慌てて摂取する際に、西欧人が転倒しないような所で、論理学や自我を絶対視して転倒するということが癖のように繰り返されてきた点だ。

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posted at 13:50:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

菊池さんの無記の解説の仕方が、優れてハイデガーのライプニッツ講義 twitter.com/sunamajiri/sta... の具体的要約に見える。同一性=真理の判明さを奪う時間は根としてしか語り得ない。 pic.twitter.com/vFT1eHTaEL

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posted at 13:16:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

いずれにせよ、語りの根の時間というのは、弁証法が齎す時間は空間との止揚の幾何学的交点で、無としての点だという点時間を非本来的なお喋りに退ける、時間は点ではなく根だという言明のことで、それ自体を気にしても語りが弾むとは限らないのだが。 pic.twitter.com/GhTaobvL3o

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posted at 11:32:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

ハイデガーの場合、一元論的な根源規定以外は無規定的で、たとえば観念論と実在論という規定からはマックス・シェラーでは、人格性しか明らかにできず(GA26-167)、さらなる語りの根源規定が必要と語るのだが。 pic.twitter.com/Eub1Zje84j

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posted at 07:20:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

その点では、確かに「カント風」の語りより、デカルトの方が、語りの根としての時間事象性があると言えるのかもしれない。カントでは超越論と動力学で、そこからは死力に見えるコギトにこそ、実は現勢的根源である時間があるのだからだろう。

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posted at 07:11:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

ハイデガーは語りの根(根源)を時間とみなし、カント的な超越論すら、上辺の談義 twitter.com/sunamajiri/sta... とか、語りの動揺とか、単なる言明に過ぎず、いわば時間的語りではないと主張したいんだろう。事象的には時間は語りの根でしかないという。

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posted at 07:05:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

まあ、ハイデガーから見れば、カントですら(事象的には)時間でないわけだからね。twitter.com/sunamajiri/sta... pic.twitter.com/CMFHik5Ph4

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posted at 06:52:40

2015年11月02日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

そうそう、ハイデガーは主著が硬直感があるけど、講義録はほんとにグルーヴしている。書きおこしでしょうが、ほんとうに滔々とお喋りをしたのか気になるところ。いつまでも語っていて欲しいぐらい魅力的な語り方をする。@Sukuitohananika

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posted at 16:53:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

そうですね。ハイデガーは解説者になると秀逸そのもの。そこから、根拠律を心理的に誤解する通俗的理解、フッサールの論理学でも不充分という処を経て、一気に実存の話に行くのだが、こんなに親切心のある解説者は不世出ですね。講義が学生で溢れたというのも頷ける。@Sukuitohananika

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posted at 16:22:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

これはハイデガー全集26巻『論理学の形而上学的な始原諸根拠 ライプニッツから出発して』いわゆるハイデガーのライプニッツ講義書です。その個所はGA26-141です。(^-^)/ @Sukuitohananika

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posted at 15:31:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

なぜ無である可能性もあるのに、現実には存在するのか、という根拠律を突き詰めれば、善のイデアに至ってしまうからだ。www.evernote.com/shard/s157/sh/... pic.twitter.com/QfWq8wdsuI

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posted at 13:45:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

なぜこれが看過できないかというと、その不徹底をかつては神学と語ったからだ。「なぜムシロ有るのであって、無ではないのかを根拠に有ること」という根拠律は、容易に神による最善の選択を連想させるからだ。 pic.twitter.com/cy0svQOU28

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posted at 13:36:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

要するに見えないモノを誇大妄想して勘ぐらないためには、見えたモノを無差別に語る記法が、実践の方法として、好むと好まざるに関わらず要請される、ということなのだが。

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posted at 12:52:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

見えたモノについては見て見ぬ振りをするというのは、日本では伝統的な心情と重なりやすいから見え辛いのだが、真理は見えないはずだというデカルトに至るまで踏襲されている西欧哲学の悪習なので、見えるモノは無差別に見えた側が報告する、というのが現象学的には真理ですらあることになるという話。

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posted at 12:45:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

要するにデカルト批判だからね。twitter.com/sunamajiri/sta... 普通は見えたモノを見て見ぬフリをするのが良心であるところを、逆に見えてしまった人には、見えたモノを語る責任がある、というのが現象学だからねぇ。笑

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posted at 12:31:01

2015年10月31日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月31日

夜中病院ベッドで眠くなるまでiPhoneに入れてたNスペ神の数式2の超弦理論みてたが、とにかく点だけは明証的でないのだ。デカルトが点性であることが問題。 pic.twitter.com/OswqmgdQbE

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posted at 17:14:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月31日

デカルトでは幾何学的延長を齎す点=死力で、カントでは自由運動を記述する動力学に過ぎず、根源規定が潜勢的な点性=否定性のままで、時間自体=点でないことに現勢化していないという話なのだが。www.evernote.com/shard/s157/sh/... pic.twitter.com/dURXAc8BES

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posted at 17:07:38

2015年10月26日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

まさにそれね。曖昧な言明なら黙するしかないということ。@inja650rr 要するに記述が曖昧であったのだと思います。神の存在証明にしても曖昧であったからこそ、批判され。だからこそ教会から隠れる事が出来た。非言明にこそ真意を隠す事ができ、故によく生きる事が出来るのかもしれません。

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posted at 18:49:27

隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

15年10月26日

@sunamajiri 要するに記述が曖昧であったのだと思います。
神の存在証明にしても曖昧であったからこそ、批判され。だからこそ教会から隠れる事が出来た。
非言明にこそ真意を隠す事ができ、故によく生きる事が出来るのかもしれません。

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posted at 18:39:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

空間と時間の止揚という交点は論理的に無でしかないが、良心と実践を一致させる好機=時間というのが有=言明性(言明すべきこと)なのでしょう。それは、あるものとしてのあるもの、あるいは、ありてある、という契約の記述の仕方に携わること、だからなのでしょう。@inja650rr

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posted at 18:34:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

良心が実践の目的(因果律)ではなく、時間的な現勢になるというのは、迷いがなくなることでしかないが、その誰にでも自明なことが、哲学的にはハイデガーが史上初だ、ということの意味だけが厳密に問題になるのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr

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posted at 18:27:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

それが、この前のシンポで登壇した古代哲学者の神崎繁氏のいう、葛藤から実践へ、という問題ですよ。フォアゾクラティカ以来、ハイデガーが初めて、実践と良心を時間的に一致させた、というのはそういうことです。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr

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posted at 18:20:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

カントの動揺(図式性である超越論的構想力から弁証論への墜落)も、潜勢=動揺があるからですよ。つまり迷いとかパニックをハイデガーは現勢的=実践的でないと問題化する地平を記述しようとしているだけです。別に誰でも出来ることなんだが。@inja650rr 葛藤をしている

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posted at 18:15:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

たしかに、主著というだけあって『存在と時間』に出揃っているのだが、まだ決意性のままで、現勢的時間根源そのものが書かれていなかったり、脱超越論性である転回後が形式的告示されていなかったりするので、一冊では不十分。一冊でまとめておいてくれないと、持ち歩きに不便。

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posted at 18:01:55

隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

15年10月26日

@sunamajiri 現代の人間とはもしかしたら、本来的な人間の在り方を見失っているのかもしれませんね。
だとしたら、解脱とは本来的な人間に回帰する事であるというようにも思えます。

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posted at 17:46:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

それを言い直すと、解脱という境地が目的となる今の苦というのは、目的が今に一致していない因果律に過ぎず、その先には決定論しかないので、本来的な現勢的時間規定ではない、というのがハイデガーです。だから解脱のように非本来的時間で物語ることが、批判されているのです。@inja650rr

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posted at 17:42:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

ハイデガーでは、実践=当為、つまり今とは目的そのもなのです。今の後に目的があるのではない。目的が今の後に来るのであれば、それは潜勢的であって、現勢的今は苦であることになってしまう。それをハイデガーは実践的ではない、といっているんです。@inja650rr

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posted at 17:37:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

そうだと思います。迷いというのは、二元論的に潜勢して、死後の解脱を証明しようとして苦しむようなことです。そこでは解脱は境地のように目的化されている。それに対して、ハイデガーが現勢的規定から潜勢的規定を批判するのは、迷わないということです。@inja650rr

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posted at 17:37:21

隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

15年10月26日

はい、輪廻の解脱を目的とする教えであったとするのであれば、
本来的な人間の在り方とは、活きながら輪廻を解脱する事であり、
その見方からすると漏神通とは、形而上学を見抜く力であると考えます。
この考えではハイデガーと同様だと考えます。 twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 17:34:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

空は時間と名付けられないが、時間は空でもある。だからより根源的な名称(根源規定)は、空ではなく時間である、と受け取らなければならないのだ。時間から見ると空は方法的ではないということなのだろう。@inja650rr

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posted at 00:30:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

つまり、言ってみれば、端的に方法を、何と名付けるか(呼称するか)ということだけが問われているのだが、懐疑的方法とは空と名付けるよりも、時間と名付けたほうが、より方法的で根源的だ、ということが問題になるのだ。@inja650rr

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posted at 00:28:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

時間は、空間との交点や、ゼノンのパラドックスのように、無としての点や、停止でありえないばかりか、方法としての空ですらなく、方法そのものと規定されているのだ。@inja650rr

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posted at 00:25:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年10月26日

思考実験してみるべきなのだが、方法を空として語り、時間と語らない仏教は、ハイデガーからはデカルトが懐疑した静態性=形而上学の一つの源流に見えているかもしれない。ハイデガーの方法からは、空という方法は単に非時間的・非本来的な語り方なのだ。@inja650rr

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posted at 00:24:06

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