大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年04月28日(火)
日本で有数のカント書論の一つ『誤謬論 カント純粋理性批判への感性論的アフローチ』bit.ly/1J6lmRi の岩城見一は京都国立近代美術館館長。というのは、バウムガルテン美学がカントの発端の一つなわけだしね。@LitoSnowfield 美学の先生なのですか〜
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posted at 16:02:00
岩城はハイデガーのカント書から、カントの感性論、つまり美学を再興してるわけだが、簡単にいうと、カントは純粋理性批判第一版で、感性論(全体としての一者はコギトによる神要請ではなく、想像力を触発する時間の一者性だ)というものの、第二版で動揺してしまう。@LitoSnowfield
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posted at 16:06:05
カントの問題というのはハイデガーから見れば単純で、理性とは経験できない、経験の反対語のことだし、一者とは全体性で、有限な要請による神ではなく、自己触発させる時間の無限的全体の一者性にすぎず、そうした感性や直感は、たとえば今では単なる美学問題とされる。@LitoSnowfield
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posted at 16:08:41
カント書は、カントの感性論からの退却、ライプニッツ~ヴォルフへの、バウムガルテン美学による後退、を批判する書だが、学校学問への美の退却でもあるから、美学的にも大問題。生の美は学校論理学にはないからだ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/eMoH4c4mYx
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posted at 16:22:50
一者=直感=感性という超越論的感性論を、超越論的論理学でライプニッツへ退却させる、ハイデガーがカント解釈からカント書で論点とするカントの動揺=思惟というのは端的に、経験できないものとしての理性の超越論性を、経験できるものと混同させてしまうのだろう。@LitoSnowfield
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posted at 16:35:23
そこにあるのはつねに、超越論的感性論を度外視すると、人間に神をも創造する無限な能力を措定してしまい、学校論理学をも絶対化されてしまうという西欧では旧来の問題。それは生的でないのと同様、美的でもないから、美学的にも大問題だが美学はどうでもいい。@LitoSnowfield
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posted at 16:38:55
カントの一者直感=感性の超越論性=時間からの退却を主題化したハイデガーのカント解釈講義~カント書は、つねに人間は神の造り手か、という命題をめぐっているので、それは美学などという退却した問題にはない。端的に、そんなものは学校にはない。@LitoSnowfield
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posted at 16:42:10
デカルトでは思惟に神要請するだけだが、カントでは一者直感がたしかにあるのだ。しかし一者直感からカントは第二版で退却して曖昧化してしまうという動揺があるので、ハイデガーは動揺しないのだ。カント解釈ではカントの直感は2つに分けられている。@LitoSnowfield
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posted at 16:45:31
2つの直感とは、カントが第二版(B71)で付加した、神は根源的直感だが有限な人間の直感は派生的直感だ、というくだり。しかし表明的ではなく説明的。bit.ly/1dnNANy @LitoSnowfield pic.twitter.com/F4o2WaZhhf
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posted at 19:18:39
ハイデガー bit.ly/1EawtbV はカントが何に表明的かと問うていくが、第二版は言い訳ばかりで表明的ではない。有限的派生的直感は被投性としてのみ表明的だが、カント自身は退却してしまっている。@LitoSnowfield
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posted at 19:22:23
国語教科書に頻出の鷲田が携帯の身体論とかやるのだが、スマフォ時代の通知スルーは、現象学的に何なのかという話題。現象学なので、他者承認のような相手がどうのというのはいわば超越してる。ハイデガーの気遣いというのも、相手が気になることではない。@LitoSnowfield
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posted at 20:22:31
相手次第の自分なんて気遣いではない。相手にどう思われようが、自分は現象的に存在している。相手なんて仮象から自由に、死んでも不滅でありそうなほど、というのがアリストテレス霊魂論からカントを解釈したハイデガーの言う気遣いで、相手はどうでもいい。@LitoSnowfield
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posted at 20:32:29
つまり、ハイデガーの言う実存とか不安とかっていうのは、自分の存在を打ち消せないとか、無がないこととか、そういうことなのだ。そんな容易く他者に絡め取られて無に帰すことが出来るほど、存在はヤワではない。@LitoSnowfield ハイデガーを理解?するには文学ドップリ体験がないと
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posted at 20:38:58
真反対というか、カントの言うコペルニクス的転回自体、新カント派から柄谷のトランスクリティークの書き出しに至るまで転倒してそうだが、唯一ハイデガーだけが真意に肉薄できてるのだろう。しかしそれを今までは受容し損なってる、文学もそれで終焉なる仮死状態。@LitoSnowfield
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posted at 20:51:16
2015年04月29日(水)
@sunamajiri そいう理性の絶対化・形骸化を批判して合理主義も数ある物語の一つにすぎないとしたのがポストモダンでしょうけど、今度はたらいと一緒に赤子を流すで理性を一切否定した結果、何がなんだか分からなくなってしまったというのがイマココでは(^^)
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posted at 13:51:11
思考が先決かという誤謬の「当のもの」に直接論究するハイデガーからカントが読める人と、迂回して軽薄な思惟に陥る者、という格差しか有意に思えないほどだが、ハイデガーは全集以前には当のものをはぐらかす当人と目されていた。@J_J_Kant pic.twitter.com/EVJ1A2qMPX
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posted at 15:34:08
2015年05月04日(月)
経験を実経験の告白のように空騒ぎしますよね。経験の実在性など何も問題になっていないのに、無意識のリビドーの話になったりする。西欧も近代以降、経験を誤解すると、必ずと言っていいほど仏教的な縁起説に逃げますね。いわば近代病なのかもしれませんね。@takeuchitatsuki
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posted at 14:08:01
三島のヘルダーリンも転倒してますね。右傾化する連中はカントの美学を誤解しますね。自発的な思考(コギト)が存在の根拠となることを、今一度論理学に戻そうとする俗者に対して、感性=美学といっただけなのに、美学だけが一人歩きして、実経験と誤解する。@takeuchitatsuki
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posted at 14:27:06
ハイデガーの受容が、破綻の内的必然性とされる中で、三島は潮騒でヘルダーリンからハイデガーで転倒したのだろうが、春樹は近作でなんとか挽回を模索してる、という話に見えている。ハイデガーの破綻ではなくカントの美学への退却という事態からの挽回だしなー。@takeuchitatsuki
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posted at 14:51:14
2015年05月05日(火)
経験という西欧近代の命題は、必ずしも私小説的な経験の実在性を意味するのではなく、なおかつロマン主義となるものでもない。そのように喩的な営為を可能にするという距離感の取り方は、三島も春樹も世代的に対照的というより、戦後的に一枚岩なんでしょうね。@takeuchitatsuki
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posted at 23:28:53
どうやら戦後は世代を過剰に意識する同時代なんでしょうが、時代的に女流ですら、たとえば有吉より曽野といわれたのも、有吉が私小説のかわりにサーガを書いてしまう。女流のサーガ、男流の私小説、から抜け出せない時代だったんでしょう。そこから距離を取れない。@takeuchitatsuki
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posted at 23:48:31
2015年05月06日(水)
近代化できないというより、西欧化、あるいは転回できないてないのかもね。ハイデガーのカント書で反復といえば、柄谷的ループとは、非常に対照的に感じたりするのだが、どこかで転倒してるんだろうなやはり。twitter.com/Consav455/stat...
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posted at 00:16:08
近代化できないループというより、転回に抵抗があるだけのように見える。ハイデガーはカント的言表の退却を立証するカント書で反復を遂行するが、柄谷的なループとは全く相容れない。おそらく柄谷の言う転回はどこかで転倒しているのだろう。twitter.com/Consav455/stat...
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posted at 11:39:53
2015年05月09日(土)
昨夜の論文は twitter.com/t_77/status/59... の若見理江『 カテゴリー的直観と時間性 ― ハイデガーにおけるフッサールの志向性受容』 heideggerforum.main.jp/ej9data/wakami... @LitoSnowfield ほ〜(・o・)! <面白論文
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posted at 08:20:48
カントは直感(感性)から悟性(数学のようなもの)に退却してしまうのだが、退却する前の純粋性をフッサールは取り出した。しかしそれを存在と表明的になれなかったのは、一なる全体としての時間=純粋直感からフッサールも退却していたからだ、という趣旨ね。@LitoSnowfield
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posted at 08:25:40
@sunamajiri このカントから新カントへ退却するかハイデガーへ進む分岐点は日本のハイデガー受容時の歪みと共に興味深いのですよね〜(*uou)> なんで退却る?
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posted at 08:29:40
そうそう、退却というのは端的にと言うか、ただ単に、コギト(思惟)の神観念要請への退却ね。カントは神を観念のようには要請せず、一なる全体=時間の純粋性に触発される、いわば純粋な自発性を発見したけど、退却したわけだから。当然退却すれば観念論のようになる。@LitoSnowfield
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posted at 08:31:25
そうそう。あれはハイデガー的なテーゼから転回もせず、退却していつまでも堂々めぐりする柄谷、みたいな話だったのだが、思想の人たちですらおかしいからね。@LitoSnowfield 放蕩さんのループ話ではないですが同じところをグルグル回ってもなぁ〜と
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posted at 08:57:57
カントの純粋直感からの退却というのは観念論やロマン主義どころか、西欧でも仏教への傾倒になるんだけど、やはり日本の場合の磁場というのは、井筒の絶対的シニフィアンとしての読経の声ではないが、何でもかんでも退却しないでは済まされないものがあるんでしょう。@LitoSnowfield
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posted at 09:04:18
そうそう、柄谷ですらそうだが、単なるバウムガルテン美学でいい、程度の感性じゃない?www(^-^)/ @LitoSnowfield つまり…カントな退却はヤバイですよ…な感覚がないという(*^o^)/
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posted at 09:09:38
理解できていないことって暗記するしかないでしょ? 的確に分かっていることは暗記などいらない。生徒のほうが却って理解できていたりするので、国語科だとそれを引き出しちゃうのよ。他の教科でも本質は同じ。@Sergei_Micchan
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posted at 10:56:22