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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年09月27日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

柄谷行人がトランスクリティークで、カントの永遠時間に退却し、ハイデガーの有限時間を退けるのも、ラカンをカントに二重写しするからなのだが、本当に困ったものだ。(^-^)/ pic.twitter.com/NDELmLp8hB

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posted at 00:07:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

端的に、言語が物自体の名前だという議論は実体論なのであって、父の名前という換喩は、単純に神の隠喩であり、むしろ存在の証明のようなものだ。そうした議論によって、ハイデガーを退けたところで、彼らは一体何を得られるのだろう? pic.twitter.com/lMfy5anVbp

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posted at 00:11:41

りと ᙏ̤̫(3さい) @LitoSnowfield

15年9月27日

@sunamajiri まぁ…物事への興味を失くさせるという教育方法?はある意味で成功してしまった…というか(*^o^)>

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posted at 06:44:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

興味をもつべきなのは、コトバはモノの名前かどうかという一点なのに、それに無関心になったのも、中国では文革だが、日本では教師が労働者しか産めず、いまでは学生運動も教師と生徒が一体だからな。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 11:21:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

FBでこれにコメしたけど、60年代は、民主主義をいう丸山眞男のような教師が、学生の敵だったんだが、いまでは教師と仲良しSNSが、権力を刺激しているのだから、危険極まりない。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 11:23:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

命題的にあるのは、一つだけなのよ。言語はモノの名前か、そうでないかという。西欧で大学というのはそうでないという方をやるんだが、日本ではモノの名前と信じる方向に向かって、解体しちゃったぞ。それが日本の文系の解体議論だ。@LitoSnowfield

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posted at 11:26:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

左傾化ということなんだが。中国では文革で知識人殺して、労働者量産したけど、日本の教師って戦後左傾化してるから、労働者しかつくれんからな。そこでは言語は物の名前なのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 11:27:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

日本の教師が、ラカニアンに到るまで言語をモノの名前と信じる話しかできなくなったのは、カント~ヘーゲル~マルクスでは時間が永遠だからだよ。それを、そんなあほなといったのがハイデガーなんだが、そういう面倒臭い現象学の文を読めなくなったのだ。それが左傾化。@LitoSnowfield

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posted at 11:29:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

いつも twitter.com/sunamajiri/sta... 言っているように、コトバをモノの名前と信じるのは、霊魂の不滅を信じる信仰のことだ。それは存在を証明する経験の話。そうした宗教を教育に持ち込むと、解体されてしまうのだ、当然の帰結。@LitoSnowfield

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posted at 11:49:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

その中のこれは逆。メソッドというのは方法、つまり懐疑のことで、ノウハウつまり方法論のことではないよ。@inja650rr メソッドに従った読解では書物により心を豊かにすることは出来ないと思います。

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posted at 11:59:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

端的な話、方法とは思いやりのことだ、他人の心は存在証明できない、というような藁人形論法を懐疑することだからだ。存在証明は無限遡行だから懐疑する、そういう方法があったればこそ、どんな知識もものすこができる。それを怠ったら、妥協の態度表明ばかりになる。@inja650rr

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posted at 12:06:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

他人の心まで存在証明の問題にしてしまう頽落は、ハイデガーに遣り込められ、ウィーンや英米系の分析哲学に分派して、フランスのラカンに返ってきたのだ。それでソーカル事件でその欺瞞がバラされた。依然として存在証明との戦争が続いている。デカルトが克服しているのに。@inja650rr

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posted at 12:25:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

そうそう。カルテジアン茶番劇場。存在証明で他人を見てしまう。紛れも無く信仰心が危機的ということだよね。@inja650rr 彼の時代とは異なり神への信仰心が薄くなった現代においても、未だ「デカルト茶番劇場」が続いている

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posted at 12:33:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月27日

欧米ではソーカル事件(WIKIみてね)で、存在証明と分析哲学の欺瞞が茶化され、人文学の危機が先行したのだが、日本では今やっと人文学の危機がきている。他人を存在証明する分析などに現を抜かすからいけない。そういう化物を追い払う人文学がこれから現れてくるよ。@inja650rr

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posted at 12:38:22

2015年09月29日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

教えなければ食い扶持にならないことをアカデミズムというのだが、哲学で、実存というのは主に、講壇哲学(教えるのを食い扶持にする哲学)を批判するために生じた、形式的告示である。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 10:07:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

ちなみに、形式的告示というハイデガーの方法は、先理解などという概念以前の段階を、概念という形式に齎すための過程のこと。つまり気分のことなのだが、概念化できていないことが、気分的にもやもやするのを、概念という形式にするよ、という宣言のことだ。

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posted at 10:07:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

実存とは客体視しないこと、つまり自分をモノのように科学的に対象化しないことだが、講壇哲学はそれを対象化してきた。ヤスパースとハイデガーの有名な論争というのは、ハイデガーがその気分(先理解)までも、概念化(理解)しようとしてるではないか、という問題なのだが、そう単純ではない。

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posted at 10:13:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

というのは、気分(先理解)を概念(理解)にもたらすハイデガーの形式的告示だけが、永遠時間の問題を解決しているからなのだ。ヤスパースはハイデガーを批判したが、しかし気分は概念化できない、先理解は理解できない、という立場では、時間が永遠時間に退却するのだ。

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posted at 10:15:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

これはどういうことかというと、自分をモノのように対象化しない実存は、気分でしかないのだから、それは概念(理解)ではなく、先理解(境地)だというだけでは(ヤスパース)、時間が永遠時間という先理解のままに留まる、ということなのだろう。

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posted at 10:18:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

気分(自分を対象化や概念化できない、モヤモヤとしたもの)を、気づくだけで十分なのか、概念(理解)にもたらすことが重要なのか。この気分=先理解は、ヤスパースでは気づき、ハイデガーでは理解(時間は永遠でないという理解)となるのだ。

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posted at 10:24:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

つまり、概念化できない先理解(モヤモヤとした気分)に気づくだけでは、時間が永遠でないという理解の以前ということなのだ。端的に気づくだけでは、気づかないでいることと左程どかわらず、ハイデガーがヤスパースを批判したように、それは時間規定という理解に至らなければならないのだ。

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posted at 10:26:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

ところで、ジャズというと実存哲学の気分を表現する音楽と語られたことがかつてあったのだが、ジャズもいまでは教える音楽、アカデミズムになった。哲学もハイデガーのように、気分を概念化することが権威になったのだ、この転回が極めて重要なのだ。

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posted at 10:28:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

どのぐらい重要かというと、教えることが食い扶持というのが、アカデミズムということなのだが、今日本にあるのは、教師稼業への風当たりなのだ。なぜそのような気分(先理解)になるのか、ということを概念化(理解)に齎す、形式的告示が不在である、ということが極めて危機的なことなのだ。

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posted at 10:32:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

ところで、日本ではデカルトの思惟、対象化されない思い=気分の覚醒ばかりが語られる。しかしハイデガーがヤスパースを批判するように、覚醒した気分だけでは、永遠時間という気分=先理解を払拭することはできない。それどころか、却ってそこへ逆行してしまう、ということなのだろう。

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posted at 11:05:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

デカルトの我を先理解として、それに覚醒する実存(ヤスパース)というだけでは、講壇哲学の轍を踏むだけだ、というのがハイデガーの主張のはずだが、自我が対象ではないという先理解は、日本の悪しき本覚思想を持ち出すまでもなく、単に自明であり、先理解=気分ではない、ということになる。

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posted at 11:15:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月29日

対象化できない自我(実存)に覚醒することだけが気分であるなら、そうした先理解(実存論)では、気分それ自体を先把握(存在論)できない。先行する気分は、単に実存論的問題ではなく、そうした先行関係自体の時間論だ。こうした反論が、冒頭で言えば最近ではアカデミズムを構成している。

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posted at 11:32:52

2015年09月30日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

温泉の食堂での中嶋さんとの談笑で哲学談義は、キルケゴールとヤスパースは有神論的で、ハイデガーは無神論的という一般的(教科書的)な知見の話までだったのだが、どうもそういう教科書的な見方自体が、途轍もなく偏見にであるように思えなくもない。

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posted at 04:46:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

ハイデガーはあくまで、永遠時間を問題視している。実存とは自我をモノのように対象化しないことだが、それだけではヤスパースの実存開明のように、実存が境地として語られるだけで、時間は眼前時間(永遠時間)のままで、有限化していない。この有限時間が従来無神論的といわれていたものなのだろう。

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posted at 04:53:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

その点で、ハイデガーをキルケゴールの延長で実存哲学に分類する教科書自体が、ハイデガーを無神論と偏見でみていることになる。最近のハイデガー受容の変化は、その払拭に貢献してるのだろう。ハイデガーにおいてはじめて実存という境地が、永遠時間への批判性として登場したことが重要だ。

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posted at 04:53:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

フォロワーさんに、デカルトを境地のように捉える方がいるのだが、ここで問題になっているのが、この自我を境地として語ることが実存なのか、というヤスパースとハイデガーの論争だ。自我を対象化しない実存は境地というより、あくまでも時間の永遠性を脱却する批判性でなければならない。

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posted at 04:57:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

自我を対象化できないように、実存も境地のように対象的に語ることが、そもそも無限後退や永遠時間という有神論を齎しているだけで、それをハイデガーの言う本来的な語りにしたところで、変化が起こるのは時間の有限化だけであるように思える。

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posted at 05:13:53

怪老医@doctor0621 @doctor0621

15年9月30日

む、難しい・・・・・ twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 08:06:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

あえて140字で約言に興じているからね。動力学に対する数学が存在証明(神学)ではないという問題が、そんな文字数で収まらないから、現実的に日本では文系理系という派生が起こったようなものだからね。しかし、ハイデガーでは単に有限時間の問題として一文化されている。@doctor0621

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posted at 15:47:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

「存在証明しないこと」をどのように実現できるかといえば、時間に死という限界、つまり死後に他人が継承する永遠時間などない、と時間を再規定すればよい。これは常識的に日本人が動揺するほどの問題ではないのだが、存在証明ということを課せられた彼らにとっては大問題。@doctor0621

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posted at 15:53:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

逆説すれば、死後に継続する時間は、時間ではない、という再規定は、単に存在証明をしない、あるいは存在証明はできない、ということの謂(言い換え)なので、文字通りに受け取る必要があるわけでもない。日本語的に言い直すと、デカルト的要請は方便なのだ。@doctor0621

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posted at 15:55:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

以上は、ハイデガーの『存在と時間』を補う『カント書』にある、有限時間という問題と、それを踏まえてカントを読みなおしている菊池健三の近刊『カントと動力学の問題』から得た霊感に過ぎませんが、今日本にあるパニックは、単なる反知性主義に収まらないのでしょう。@doctor0621

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posted at 16:04:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

ハイデガーは、日本の教科書的には無神論的実存主義だが、最近はハイデガーを実存主義とは語らない。実存とはデカルトの自我をモノのように対象化して無限後退しないことだが、しかしそれを境地のように対象化して、さらに無限後退を加速させることでもない。なお~ @doctor0621

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posted at 16:14:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

なお、ハイデガーの永遠時間の拒否という問題は、主著の『存在と時間』のヘーゲル批判の箇所が一番分かりやすい叙述です。第81~82節あたり。ベルクソンの時間規定の問題 twitter.com/sunamajiri/sta... は注で欄外化されてます。@doctor0621

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posted at 16:17:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

今日、日本にパニックがあるのだとすると、それはよく言われるような反知性主義には収まらない。それは自我という規約を、境地のように誤解する、一種の信仰のようなもので、その解体の停滞という具体的な問題は、むしろ楽観すべきだ。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 16:35:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

存在証明はやめましょう、という規約のことであるデカルト的懐疑(デカルト的要請)というのは、実存主義のように自我を境地に無限後退させることではなく、むしろハイデガーのように規約解体に直面することであるに過ぎない。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 16:37:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

結論から言うと、存在証明を断念する規約は、境地というより方便なのであって、無神論的実存主義のように、存在証明が真に排除されたわけではない。しかし、デカルトの規約を境地として受け止める実存主義では、却って存在証明が単純にできなくなる、というだけなのだろう。

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posted at 16:39:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

要するに、デカルト的規約を真に受けるかどうか、言い換えると自我を境地として語るかどうか、という問題だが、たとえばヤスパースの実存開明と対比させると、いかにハイデガーがデカルトを規約として捉えているか、が判明になる。

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posted at 16:41:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

なぜこの話を、日本のパニックとして語るかというと、フォロワーさんにある混乱が、この一点に凝集されているからだ。デカルト的な規約を、一つの境地として受け止めるのか、それとも方便として受け止めるのか。ウィトゲンシュタインが遠回しに触れたこの問題に直接触れたのはハイデガーだけだろう。

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posted at 16:44:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

じつは昨晩、中嶋さんと温泉の食堂でした哲学談義は2つで、一つがデカルトを境地として語ることは実存主義か、もう一つはキルケゴールとヤスパースは有神論的だが、ほんとうにハイデガーは無神論的なのか、という話だったのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 16:47:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

なお、ここで(あるいはほとんどいつも)問題にしているハイデガーというのは、戦後のことではなく、戦前の『存在と時間』から『カント書』に到る、時間規定の解体、つまりデカルト的方法の規約の解体、という問題だ。

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posted at 16:49:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

もちろん、ヤスパースとの対比は、来月シンポのある初期ハイデガーを現代思想の着手点とする問題(『存在と時間』までの成立史の問題)で、『存在と時間』破綻後から、カント書に到る規約解体の問題(いわゆる内的必然性の問題)とは、書誌的に厳密に異なるのだが、当然、問題としては必然的に同じ。

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posted at 16:53:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

たとえば、菊池健三 twitter.com/sunamajiri/sta... が、三批判書にある超越論性を、より大きな動力学という視点、潜勢的霊魂論の永遠時間の規定と捉えられたのも、批判書の前後を縦断するからで、ハイデガーの内的必然性=規約解体の問題も、カント書までは縦断的であるべきだ。

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posted at 16:57:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

カントとハイデガーがテクスト性となるのは、重箱ではなく、規約(潜勢的霊魂論の永遠時間の規定)と、規約解体(永遠時間を解体する霊魂の現勢的規定)という、縦断的な論点なので、それを把捉できないものは、テクストクリティカルではない。

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posted at 16:59:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

テクストというのは本来的に、神の契約しか記述できないので、方法的懐疑以降、テクストのキャノン(神聖化)とは、主に規約解体(現勢的時間による霊魂という根源の再規定)の問題としてしか直面することができない。要するにリセットのことである。

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posted at 17:07:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

ちょっと余談だが、契約が人と人との契約であることができないのは、こうしたリセットをまつまでもないのだが、それは方法的懐疑と一つも矛盾していない。

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posted at 17:08:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

たとえば、永井均が、ウィトゲンシュタイン的な欄外でハイデガーの規約解体に言及的なのだが、ハイデガーはウィトゲンシュタインのように規約解体に迂遠に触れてるのではなく、そのものを遂行している。

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posted at 17:11:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

知性とはスピノザの知性改善論や、カントによるデカルトの悟性解釈という古典の問題であるよりは、現代的なハイデガーによる解釈学的転回を受け止める知性に厳密化されるべきで、ホフスタッター的反知性主義と曖昧化されるのは得策ではない。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 17:22:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

そうそう、形式的告示というハイデガーの方法的懐疑とは、形式=概念にならない気分を、概念化=形式化するよ、という宣告=解釈のことで、気分とは永遠時間は嫌だな、ということね。(^-^)/ @LitoSnowfield Fav twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 17:28:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

寝起きに、必ずOSリセット、真っさらからの起動が起るのであった。起動終了(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 17:29:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

このように、アリストテレスの霊魂の規定であるタブラ・ラサは、現代ではPCの起動に譬喩化できるのだが、しかしPCは完全な真っさらからかでは起動しない、ということが重要なのだ。人間はマッサラではないのであった。@LitoSnowfield

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posted at 17:33:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

ところで、実存論が実存主義になると単なる境地(無限後退)であることになってしまうように、反知性主義という批判主義も単なる境地(無限後退)であるのだろう。批判は主義のような境地ではなく、無限後退しないことだ、という規定がここには存在していない。

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posted at 19:10:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

柄谷行人のトランスクリティーク(トラクリ)は、超越論的批判というが、しかしそれは批判主義という境地、無限後退しないための規定を持たない批判、つまり無限後退そのもの、あるいは無限後退の形式化のようなものなのだろう。

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posted at 19:14:26

怪老医@doctor0621 @doctor0621

15年9月30日

@sunamajiri 個人にとっての死という限界に於ける時間の終了はややニュートン力学的見地の死という感じもしますが。また他人には故人に対する思い出という時間の継承も生じるように愚考致します。あくまで哲学に素人のたわごとです。お手柔らかに。

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posted at 21:14:25

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